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点描千葉市とその周辺


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#3 幕張随想 〜新都心周辺に見る幕張の今昔〜

国道357号線から、JR新習志野駅東を通り、千葉工業大学の北を東に折れて、幕張新都心方向へと進みます。新習志野駅については、周囲をはっきりと見て回らなかったので何とも言えないのですが、北側の住宅地とは東関東道で遮断されている上、メルクスや千葉工大はあるものの住居表示上「芝園一丁目」となっている場所はただただ何の構造物もない茫漠とした土地が広がるのみですので、見方によっては周囲に“何もない”駅ということになってしまうのかもしれません(ちなみに、私はどんな特徴の薄い地域であっても何らかの特質はあるわけで、地域のことを語る時に“何もない”という言い方をするのはあまり好きではないため、極力使わないようにしています)。

とはいえ、「芝園」と呼称される埋立地は、流通関連の事業所が立地しているものの、広大な敷地のみの広がる地域です。隣の美浜区豊砂までの京葉線沿いは、緑のシートのカーテンに囲われた、ただただだだっ広い土地なのでした。この道より海岸側を通過している県道沿いを行けばよかったかもしれませんが、私の通った中ほどの道は、満足な歩道スペースもありません。彼方に屹立する美しい幕張新都心のビル群に向かって、ひたすらに対向車両に気をつけながら“埋立地砂漠”の只中を歩んでいきます。千葉市と習志野市の境界に立てられた「千葉市」のプレートも、かなりくたびれていて、なおかつ少し傾いていました。ショベルカーが整地する作業をしているような光景も見られましたので、もう何年かすればこのあたりも変わってくるのかなという妄想も起きましたが、目の前の光景を見る限り、ここを一変させるには多大な労力とコストが必要と推察され、先行きが不安なところではあります。

芝園一丁目付近の空き地

習志野市芝園一丁目付近の空き地
(2002.11.30撮影)
幕張新都心遠望

習志野市芝園二丁目付近から幕張新都心を望む
(2002.11.30撮影)

コストコホールセールの前まで来ると、やっとのことで新都心の雰囲気が高まってきます。幕張メッセの建物や、千葉マリンスタジアム、マリブイーストとウエスト、更には幕張プリンスの三角柱などが林立する光景は、間近に見るとさらに美しく感じられます。豊砂の交差点からメッセ大橋交差点へ向かう間に歩道橋をいくつか超えましたが、高い場所から眺めると、その美しさが一際目を引きます。この日はたまたまイベント等が開催されていない模様で、広大な駐車場も一台の車もなく、非常に閑散としていたのですが、一大イベント開催時にはこの雰囲気も一変してしまうのだろうと思うと、この時のしずかさの中にかえってこの新都心の凄みのようなものを感じてしまうのでした。

海浜公園入口の交差点付近から、マリンスタジアムのエントランスを右手に、幕張の浜へと出てみることにしました。以前この掲示板で報告がなされていたように、入口には「火気厳禁、海水浴場は開設していませんので、遊泳を禁止します」などと仰々しい表示が並びます。午後3時を回って、冬の低い日差しが徐々に水平線に近づく時間帯で、数組のグループが波打ち際で水と戯れていました。周辺は松並木を配するなど砂浜海岸のごとき景観が整備されていますが、このような砂浜が維持されにくい当地においては、むなしい造形のように思われました。海に向かって造られた突堤たちの姿が、冬の夕暮れ時の海辺に黒々と滲んで、今にも消えてしまいそうに見えたのが印象的でした。

とはいえ、幕張海浜公園のほうは、いろいろな工夫が施された、すてきな公園のように思われました。この新都心には、北西側の業務地区と、南東の住宅地区との間に長い緑地帯−幕張海浜公園−が造られているのですが、主要道路のレベルを低くし、道路に分断された公園同士が大きなスロープを経ることなく跨道橋で結ばれており、一体的な公園として十分に配慮された設計になっていました。見浜園を過ぎ、ひび野橋を渡り、大芝生広場まで来ると、やはり大きな落差なく道路にかけられた橋を通って、多くの人たちが幕張ベイタウン方面から往来し、広場で楽しい時間を過ごしていました。緑地帯の向こうに聳え立つ新都心のビル群の姿も眩く、にぎわいの広場から望むガーデンウォークの景観なども、たいへん好感の持てるものであったと思います。

幕張新都心遠景

幕張新都心遠景
(美浜区豊砂、2002.11.30撮影)
千葉マリンスタジアム

千葉マリンスタジアム
(美浜区美浜、2002.11.30撮影)
幕張の浜

幕張の浜(千葉港方向を望む)
(突堤が見える、2002.11.30撮影)
幕張海浜公園

幕張海浜公園
(美浜区美浜、2002.11.30撮影)
新都心東側の高層住宅群

新都心東側の高層住宅群
(美浜区ひび野ニ丁目、2002.11.30撮影)
にぎわいの広場

「にぎわいの広場」から新都心を望む
(美浜区ひび野ニ丁目、2002.11.30撮影)

JR京葉線の下をくぐり、左は新都心、右は千葉商業高校や高度職業能力開発促進センターなどの建物はあるもののまだまだ空き地も多い景観という公園大通をJR幕張駅方面へと進みました。東関東道と国道357号線を跨道橋で超え、国道14号線の交差点(幕張5丁目交差点)に進む間も、敷地の中に巨大な施設が惜しみなく屹立する光景が続き、その威容のすさまじさと、その間の空き地の広大さとが好対照を演じる、どう表現していいのか、とにもかくにも強力なインパクトを放つ新都心の姿を見せつけられたような、そんな探訪であったと思います。国道14号線沿線も、多くの店舗や集合住宅が進出し、新都心の近隣としての一定の活気に溢れていました。

国道14号線を過ぎて、幕張駅方面に歩き出すと、周囲がみるみる庶民的な町並みに変化していくことに驚かされました。放送大学前を過ぎて、行政区上は「花見川区」に入った辺りから、歩道にまで商品を溢れさせたスーパーマーケット的な商店が見られるなどその“前触れ”はありましたが、幕張駅に近づくにつれて徐々に道幅もせまくなり、個人商店が増えるなど、駅前の庶民的な商店街へと見る見る様相が一変してきます。夕刻時、人と車とがくっつきそうなくらいに行き交う様子は、あれだけ近代的な新都心の近傍という地勢を忘れさせてしまうほどです。京成線の踏切を超える頃には、本当にありふれた下町的な商店街の一隅といった雰囲気にすっかり様変わりしていました。これが、いわゆる昔からの幕張の持つ情緒のようなものなのでしょうね。

JR幕張駅前

JR幕張駅前の商店街
(花見川区幕張町五丁目、2002.11.30撮影)

帰路、幕張駅のプラットホームからは、昔ながらの幕張の町並みの向こう、オレンジ色の夕日に照らされた新都心のビル群が輝いている様子が眺められました。新都心が強烈な存在感を最後まで示している光景とも思われましたが、一方で古くからの幕張のまちの豊かな情景のようなものも同じに感じ取れて、微笑ましくも思われました。昔ながらの幕張も、最新の幕張も、共にこの地域の今の姿そのものなのだ。本当にそう思えました。今後も、互いの個性を生かしながら、すてきな地域として歴史を刻んでいって欲しいな、心からそう願います。

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