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点描千葉市とその周辺


#13(五井編)のページ

#14 行徳の町並みを歩く ~製塩業で栄えた水上交通の要衝~

 高度経済成長期前夜まで、東京の郊外地域では随所に農村的な景観が残されていました。その後の急激な都市化の進展はそうした田園風景を一変させました。しかしながら、現代的な都市的な建造物に埋められた地域にあっても、旧態がよく保存された地域も少なくないことを、本ホームページではしばしばご紹介してきました。今回の舞台である行徳界隈もそうしたエリアの一つです。行徳は東京都心から概ね12~13キロメートルに位置するものの、東京都区部とは江戸川によって隔てられ、主要交通路船からも距離を置く、漁村的な土地利用が卓越する地域でした。行徳は歴史的には江戸やその後背地域に塩を供給する塩田で栄えた地域で、水上交通の要としても機能する町でした。

妙典駅前

地下鉄妙典駅前
(市川市妙典四丁目、2016.11.26撮影)
妙典駅付近の景観

妙典駅付近の景観
(市川市妙典三丁目、2016.11.26撮影)
成田道の景観

成田道の景観
(市川市妙典一丁目、2016.11.26撮影)
妙好寺山門

妙好寺山門
(市川市妙典一丁目、2016.11.26撮影)
江戸川の風景

江戸川の風景
(市川市妙典一丁目、2016.11.26撮影)
県道6号沿い

県道6号沿いの景観(稲荷神社前)
(市川市下新宿、2016.11.26撮影)

 2016年11月26日、市原市五井周辺の訪問を終えた私は、JR線で東京方面へ戻り、地下鉄東西線妙典駅へと進みました。行徳地域はここから南の行徳駅、南行徳駅を中心都市とした地区で、市川市における江戸川放水路(現在は法令上こちらが江戸川の本流となっています)以南の地域です。地下鉄東西線の開業は1969(昭和44)年で、以降は急速にベッドタウンとしての開発が進んで、妙典駅前も中小の商業施設が多く立地し、至便な市街地を形成していました。妙典駅周辺のマンションが多くある街区を北へ、行徳小学校北の、妙典一丁目から同三丁目へと続く通りへと歩を進めます。この道は明治期の地勢図にも見えまして、成田山への参詣道として使われてきた由緒を持ちます。落ち着いた町並みに、妙好(みょうこう)寺の山門がうるおいを与えていました。1761(宝暦11)年建立の茅葺の山門は市川市内でも貴重なものであるとして、市の有形文化財の指定を受けています。

 大正期に開削された江戸川放水路は、広大な水面でもって行徳を市川市の中心部とを分けています。新行徳橋の下を通り、行徳橋の南詰から県道6号へと入り、旧江戸川に沿って進むこの道筋を歩きます。この旧道のコースが行徳の旧市街地を貫通するいわばメインストリートです。通り沿いにはこぢんまりとした社や、多くの寺院が町並みに溶け込んでいまして、歴史のある湊町としての姿を今に伝えていました。製塩業の成長と、利根川を介した物資の集散場として賑わいを見せた行徳は、「戸数千軒、寺百軒」とも呼ばれる繁栄を見ました。寺院がたくさんあるということは、それを支える門徒となる有力な町人が少なくなかったことを示しているとも考えられます。先ほど歩いた成田道へと続く東西の街路は「寺町通り」と呼ばれまして、通りの周辺は現代的なプロムナードとして整えられているものの、多くの寺院が穏やかな佇まいを見せています。壮麗な朱塗りの山門が目を引く徳願寺は、1610(慶長15)年に徳川家康の帰依により新たな堂宇が建立され、徳川の「徳」の字を含む名前で改めて開創された経緯を持ちます。徳願寺西の道路はかつて内匠(たくみ)堀と呼ばれた水路でした。

行徳神明神社

行徳神明神社
(市川市本行徳、2016.11.26撮影)
寺町通り沿いの寺院

寺町通り沿いの寺院(長松禅寺)
(市川市本行徳、2016.11.26撮影)
寺町通り

寺町通り
(市川市本行徳、2016.11.26撮影)
徳願寺の山門

徳願寺の山門
(市川市本行徳、2016.11.26撮影)
旧内匠堀

徳願寺・旧内匠堀の道路
(市川市本行徳、2016.11.26撮影)
権現道

権現道
(市川市本行徳、2016.11.26撮影)

 寺町通り沿いの風景を確認した後は、徳川家康が東金御殿へ鷹狩りに赴く際に通った道とも伝えられる「権現道」と通称される路地へと歩みを進めました。現在では住宅地の中を進む細い路地であるのですが、その道すがらにも豊かな血行が印象に残る寺院が多くあり、歴史のある行徳の姿を体現していました。神明神社から胡籙神社へと進みますと、県道が大きくクランクするいわゆる枡形になっている場所へと行き着きます。付近には国の登録有形文化財になっている旧朝子神輿店店舗兼主屋の美しい建物や、紀行文にもその名の見える笹屋うどん跡の建物も残されています。その笹屋うどん前から旧江戸川の河川敷に出ますと、その付近は船着き場として栄えた行徳新河岸のあった場所で、大きな石の常夜燈が往時を偲ばせていました。江戸の外れにあってゆるやかに流れていたであろう江戸川の両岸は、今日市街化が進んでいますが、常夜燈越しに眺める川の流れや行徳の家並みは、かつてのこの場所の賑わいを彷彿とさせるような温かさに満ちているように感じられました。

 街道筋をさらに南に歩き、現代の建造物の中に町屋造の建物が時折混じる町並みの中、歩を進めていきます。町屋造の建物の中には桃太郎の木彫を掲げたものもありまして、繁栄した当地の凄みが伝わってきます。清岸寺も門前付近にはさらにもうひとつの鉤型になっている箇所があり、昔ながらの街路構成がそのままに地域に刻まれていることが確認できます。押切交差点の西側の排水機場のあるあたりは行徳河岸(祭礼河岸)の旧跡で、そこは専ら貨物の積み出しに供されました。付近には湊水神宮が祀られ、水上交通の要衝として存立してきた行徳の地域性を垣間見ることができました。

旧街道筋の枡形

旧街道筋の枡形
(市川市関ヶ島、2016.11.26撮影)
旧朝子神輿店店舗兼主屋

旧朝子神輿店店舗兼主屋
(市川市本行徳、2016.11.26撮影)
笹屋うどん跡

笹屋うどん跡
(市川市本行徳、2016.11.26撮影)
常夜燈と旧江戸川

常夜燈と旧江戸川
(市川市本行徳、2016.11.26撮影)
湊水神宮

湊水神宮
(市川市湊、2016.11.26撮影)
行徳駅前

地下鉄行徳駅前
(市川市行徳駅前一丁目、2016.11.26撮影)

 押切交差点からは南東へ、行徳駅前通りを進みました。この日は朝から地域めぐりを行ってきたこともあり、この行程に行き着くまでには既に夕刻を迎えていました。駅に近づくにつれてマンションや商業施設が増えて、現代の町並みの中へと光景は変化していきました。東京に直結する利便性の高い地下鉄沿線に隣り合うように存在する行徳の歴史を感じさせる旧市街地は、今日の行徳駅前が多くの人々を集めて繁華である状況と同等かそれ以上に、かつての行徳の町場が興隆を極めていたことを示していると言えます。

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