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阪神間ドリームズ #3
〜地域の歩みを残す風景〜

2007年12月、伊丹市域を歩くフィールドワークを実施しました。一般的には大阪や神戸等の大都市圏の後背地として住宅都市化が進む地域においても、歴史を濃厚に感じさせる事物がたくさん残されていました


訪問者カウンタ
ページ設置:2009年1月12日


武庫野の市街地を歩く・伊丹

 2007年12月15日、この年の7月15日に訪れながら時間の都合で十分に地域をめぐることができなかった、伊丹の町並みを散策しようと、JR伊丹駅を訪れました。JR宝塚線(福知山線)の高速化に伴いさらなる都市化が進行する沿線地域は、冬晴れの中、穏やかな郊外市街地の風景を構成しているように感じられました。駅の東には巨大ショッピングモールが建設され、フラットなペデストリアンデッキで駅と連接しています。ショッピングモールの東にはすぐ猪名川が流れ、さらにその東に大阪国際空港(伊丹空港)が連接する地勢となります。駅の西側には土塁のような地形があり、ここが史跡的な位置づけにある場所であることが類推されます。

 果たして、駅の西にある地形は中世に発達した城郭に由来するものであり、伊丹市のホームページの説明によりますと、この城郭は有岡城跡と呼ばれ、1574(天正2)に武将の荒木村重が伊丹氏に替わって伊丹城の領主となり、それを大改築を施したのものが有岡城とのことです。侍屋敷や町屋を堀と土塁で囲んだ惣構えの堂々たる城であったようです。しかし、村重が主君の織田信長に背き大軍に攻められてた結果、1579(天正7)年に落城、その後、廃城となったものであるようです。1979(昭和54)年に国指定史跡となった城跡は、現在公園として整備され、地域に歴史的な潤いを与えています。城は無くなったものの、城に付随して形成された町場は「伊丹郷町」として江戸期を過ごし、地域の有力酒造家が京の貴族近衛家の指示のもと町政を担当する、規模の大きい在郷町として成長しました。現在でもJR伊丹駅と阪急伊丹駅の間に比較的稠密な市街地が発達して、阪神間における中核となっています。

JR伊丹駅

JR伊丹駅東口、ショッピングセンター
(伊丹市伊丹一丁目、2007.12.15撮影)
JR伊丹駅

JR伊丹駅より西側を望む
(伊丹市伊丹一丁目、2007.12.15撮影)
有岡城跡

有岡城跡
(伊丹市伊丹一丁目、2007.12.15撮影)
伊丹市街地

伊丹市街地・「大溝」を再現したモニュメント
(伊丹市伊丹一丁目、2007.12.15撮影)
伊丹市街地

伊丹市街地・酒蔵の見える景観
(伊丹市中央三丁目、2007.12.15撮影)
猪名野神社

猪名野神社
(伊丹市宮ノ前三丁目、2007.12.15撮影)

 伊丹駅前から「アリオ」の南を西へ進む街路は、酒蔵への物資の輸送等に利用されていたと考えられる大溝の再現遺構が石畳の街路に設置されるなど、酒造業で成長してきた伊丹の歴史を感じさせる修景が施されておりまして、穏やかな散策を楽しむことができるようになっています。市街地を南北に貫く県道尼崎池田線(通称:産業道路)は藩政期の伊丹郷町のメインストリート的な街路として酒蔵が立ち並んでいたのだそうです。往時の隆盛こそ現代的な町並みの中に隠れてしまったものの、酒蔵や町屋なども穏やかに市街地の中に点在しており、酒造業とともに生きた伊丹郷町の生い立ちの一端に触れることができます。

 その店舗が1674(延宝2)年に建てられた県内最古の町家で、年代が確実な17世紀の町家としては全国的にも貴重だという旧岡田家住宅などの史跡も佇む奥ゆかしさに溢れた市街地を歩き、猪名野神社へ。旧有岡城の北の砦である「岸の砦」跡に立つ伊丹郷町の氏神は、その本殿の建立が1686(貞享3)年という由緒を持ちます。酒造家の厚い信仰を受けた神社は穏やかな杜に囲まれて、戦国時代から続く歴史的な余韻もまとって、伊丹のまちをいっそうあたたかみのある場所へと昇華してくれているように感じられました。

阪急伊丹駅

阪急伊丹駅付近の景観
(伊丹市西台一丁目、2007.12.15撮影)
阪急伊丹駅

阪急伊丹駅より東方の丘陵を望む
(伊丹市西台一丁目、2007.12.15撮影)
総合教育センター

伊丹市総合教育センター
(伊丹市千僧一丁目、2007.12.15撮影)
国道171号

国道171号、伊丹市役所前付近
(伊丹市千僧一丁目、2007.12.15撮影)
昆陽池

昆陽池より北方の丘陵を望む
(伊丹市昆陽池三丁目、2007.12.15撮影)
昆陽池

昆陽池
(伊丹市昆陽池三丁目、2007.12.15撮影)

 伊丹市街地、かつての伊丹郷町のエリア-中世有岡城(伊丹城)城郭-の展開する一帯は、広義には東の猪名川と西の武庫川とに挟まれた広大な平地であり、一般に「武庫平野」等の呼称で呼ばれるようです。一方、よりミクロな視点で観察しますと、わが国の多くの平地において見られるように、平地を流下する猪名川と武庫川ならびに両河川の支流の浸食によって土地には微妙な高低差があって、伊丹の中心市街地あたりは台地状の地形(「伊丹台地」などと呼ばれるようです)がより標高の低い低地へと遷移する末端の高まりに位置しています。そして、周囲より比高があり、猪名川の流れに接するという地形的な要害性が、規模の大きい城郭を建設させる契機となったということでしょう。

 いずれにしろ、この地域は細かい視点では地形的な変化が認められるものの概して茫漠とした平原であって、大くくりに「平野」と称される地表上で、多くの歴史的な事象を経験しながら存立してきているわけです。インターネットの複数のサイトで、この地域を「武庫野」と表現しているのを発見しましたが、これはあるいは、そうした史実的ニュアンスを多分に含ませた言い方であるともいえるかもしれません。武庫野ではなく、神社の名前にもあるように「猪名野」でもよいかもしれません。猪名野神社から再び南へ下り、近代的な駅ビルや商業系のビル、中層のマンションに囲まれた阪急伊丹駅前を経て、昆陽池方面へ市街地のフィールドワークを進めながら感じたことは、古代より濃厚な歴史的資産を染み込ませた地域が近代以降「阪神間」としてモダンな大都市近郊として興隆し、高度経済成長期以降大都市圏近郊の豊かな住宅地域として成熟していく過程で、そうした市街化が過去の魅力的なエッセンスを完全に押しつぶし、あるいは上書きしてしまうのではなく、軽やかに共存しながら、のびやかに存在していることへの限りない賛美の気持ちでした。昆陽池のほとりのベンチに座り、はるか彼方にたなびく山並みは、どこまでもなめらかで、たおやかな表情を見せていたように感じられました。

※本稿は、阪神間地域の追加的なフィールドワークができましたら、さらに追記をしていく予定です。ご期待ください。


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