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北海道の風 II

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       (2) 紋別

紋別は、静かな浦に面している。アイヌ語で、モ・ペッ(静かな川)と呼ばれたこの地は、皿を伏せたような形の紋別山の丘陵に抱かれたまさに静かな海岸のほとり、緩やかにカーブを描くオホーツクのラインのなかに、おさまっている。

第一印象は、「思った以上に大きい町」といったものだった。市街地の大きさは、地図で判断すれば、南北10キロメートル、東西5キロメートルといったところだ。北側の渚滑川河口に位置する渚滑の町から低密度の市街地が連担している。オホーツク沿岸で市制を敷く都市の1つであるため、相当の規模を持っているであろうことは予想していた。しかしながら、私の予想をはるかに超えた基盤と広がりを持っている都市であったのであった。名寄「本線」の廃止が、私に思った以上の邪念を与えていたに違いない。路線の廃止は、沿線の需要量を勘案してのことであって、この町の大きさの是非に関しては、いささかの関係もないことであったのであろう。せめて、遠軽から紋別までの区間をこの素晴らしい都市への連結路線として残すことはできなかったか。

そんな感慨に浸りつつ、かつての駅前であったろうバスターミナルに到着した。この日は、ここ紋別で宿泊し、次の日、再び流氷ロードバスに乗り込んで、網走を経由しウトロへ向かう。北海道の多くの開拓地に見られるように、紋別の市街地も計画的な街路構成になっている。ただ、札幌のような無機質な碁盤の目状の形態ではなく、海岸線と丘陵地の間の平地に沿って弓なりの形になっているので、オホーツクの海の美しさとあいまって、この町の景観のアクセントとなっている点が印象に残った。群馬に帰った今、紋別山から望む紋別市街地の写真の絵葉書を手許にこの文章を書いているが、高いところから市街地を見下ろすと、その美しい町並みがいっそう豊かに感じられる。手許の葉書は、流氷の迫る紋別港を中心とした構図になっている。空と海の青を見事に白色に昇華させたような流氷が穏やかに海面を覆い、それらを港の突堤が市街地の両腕となって抱きしめているようにも見えて、いまさらながら自分の目でこの景観を見ることをしなかったことを後悔している。

バスターミナル前から港方面に続く街路には、「3・3・3駅前通」とある。最初の数字に街路の座標軸を置き、後ろに通りの通称名を加えたものと思われる。また、通り沿いにはトナカイや白鳥を彫った氷の彫刻が並べられ、1つ1つに商店の名前が書かれたプレートが埋め込まれていた。暖冬の傾向は紋別でも例外でないらしく、気温こそ氷点下であったが、街中に雪は少なく、家々の軒先からはおおきな「つらら」が下がっている。雪も、氷となっている部分がかなりあり、こういった環境に慣れていない私は、歩行に相当の注意を要した。

ホテル前のバス停から、オホーツク流氷科学センターのある、元紋別方面を目指す。ここは、市街地のある港周辺からは一段高台になっていて、海岸段丘の発達が実感される。

朝焼けの紋別市街地

朝焼けの紋別市街地
(2002年2月11日撮影)
3・3・3駅前通

紋別市街地の景観
(2002年2月11日撮影)
紋別の町並み

ガリンコ号 II 上から見た紋別の町並み
(2002年2月11日撮影)
紋別の町並みと紋別山

紋別の町並みと紋別山
(2002年2月11日撮影)

港の周辺には、漁業関連あるいは港湾管理施設のものと思われる施設群、倉庫群が並んでおり、紋別の都市としての側面が窺われる何とも味わいのある風景が広がっていた。しかしながら、目当てにしていた流氷は全く押し寄せてはいなかった。水平線の彼方まで、群青色の海面が広がるばかりで、ここにも暖冬の影響が影を落としていると思われた。

オホーツク流氷科学センター内では、流氷ができるメカニズムや、流氷の現在位置が分かる流氷観測室、さらには夏でも厳寒を実感できる氷点下20度の部屋など、流氷をさまざまな観点から楽しめる施設だった。また、この時たまたま同センターの企画展「地図にみる蝦夷地、北海道、紋別」が開催されており、北海道の国名や郡名の多くや、「北海道」という名称そのものの生みの親である松浦武四郎の手による北海道の郡名入り地図や、紋別市の今昔が偲ばれる地図(紋別市街地は北海道に多い東○条北□丁目といったブロック式の地番を継承しない住居表示が実施されている)などいずれも興味深いものばかりで、思わぬ収穫にも出会うことができた。

この日の流氷観測船「ガリンコ号
II」は予約がいっぱいだったので、翌日に乗る予定に変更していた。日が傾き始めた紋別は寒さが甚だしく、センターの前でバスを待っている時間が本当につらく感じられた(バス停がセンターから離れていて、またバスが大幅に遅れていた)。港が見えるホテルの部屋で、夜の帳の下りた市街地の様子をしばし眺めていた。眼下の外灯からこぼれるひかりのなかを、細かい雪の“つぶ”たちが、はらはらと舞い降りていく光景が、町の夜景に重なって、とても美しかった。寒さのせいであろうか、外に人はほとんどいなかった。翌朝、紋別の最低気温は氷点下103度であった。


流氷の街

オホーツクの海の彼方
港の突堤の向こうに

まばゆいばかりの朝日が昇る

凍てついた岸壁も、家々の屋根も、
白く固まった道路の一筋にも
クリアなオレンジのライトが当てられていく

どこまでも曇りなく晴れわたる清しい朝に
この街の姿を見たような気がした

海を見据え、大地を見据え、空を仰いで
紡がれてきた旅路の歴史を真正面から受け継いでいる
誇るべき、雄都の揺るぎない、きらめきを

この街から汽車の音が聞こえなくなって久しい
この国を覆い尽くしている閉塞感は
否応なくこの街にも届いている
朝日に映える町並みに見え隠れする、そんな不安

しかし、信じたい
そういった懸念でも
この街の価値を下げることなど絶対にできない

今、朝日は穏やかな風貌となり空に昇った
街は、確固たる旗印のもとで、一段と輝いて見える



翌日、冬の紋別観光の目玉である、流氷観測船「ガリンコ号II」に乗船した。数日前までは港を埋め尽くしていたという流氷は、残念ながらすっかり跡形もなくなっていて、あるのは港の日陰の部分が凍りついただけの、「流氷もどき」だけであった。船上から、紋別山を取り巻くように広がる市街地を、改めて概観した。緩やかに伸びる海岸線、市街地の背後にたおやかにつづく稜線、港町を北西の強風から守っているかのように屹立する、海岸段丘の崖たち、そして、その間に展開する、市街地のかたち。どれをとっても、実にバランスがよく、美しい。低成長時代に入って、長いトンネルからなかなか抜け出せないかに見えるわが国の中にあっても、こういったローカルな拠点都市の存立は、地域活性化、地方の生活基盤の確立にとっても重要な問題であろう。こういった元気な拠点が、まだ日本には多いはず。紋別も、そういったベースの1つとして、今後も羽ばたいていて欲しい。そう願わずには、いられない。

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