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北海道の風 II

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ガリンコ号を降りたあと、網走駅へと向かう流氷ロードバスに再び乗り込んだ。バスは、海岸段丘をぐんぐん登り、オホーツク流氷科学センターなどのある一角を過ぎ、オホーツク紋別空港に寄りながら、国道238号線を、更に東を目指して、進んだ。途中、コムケ(小向)湖を望んだ。望んだといっても、白く凍りついた湖面は、どこまでが湖面で、どこまでが周囲の雪の堆積した平原かを判別することはできないのだが。この付近は、コムケ原生花園もあり、夏にはハマナスやエゾカンゾウに代表される色とりどりの花たちに彩られるのだという。周囲は、相変わらず、広大な畑地や放牧地などをその下にしのばせた白銀の大地が広がっている。ときどき既に葉を落とした落葉松林が点在して白の世界の中に点在する風景は、とても素晴らしく、この大地の大きさを実感させてくれる。

やがて、碁盤目状の区画が、開拓時代を髣髴とさせる湧別町へ。湧別川を渡河し、遠軽方面へ直角に曲がった後、ほどなく到達する上湧別町域ですぐに東に針路が変わる。湧別町の中心部の街路は、両側に町の花「エゾイソツツジ」をモチーフにした街頭が設置されており、統一した町並みをつくっているのが印象的だった。また、上湧別町はチューリップの産地とのことで、年間120140万本を生産するとのことであった。そのうち一部は球根を食用にするとのことで、プロポーズにもってこい?の「甘い球根(求婚)」なる名物もあるとのことだった。上湧別町域をわずかに通過した後、再び国道は湧別町に入る。まっすぐだった道も、サロマ湖岸が近づくにつれて湖岸の丘陵地を飛び越えるように、ゆるやかなカーブの連続となってゆく。

芭露(ばろう)を過ぎ、計呂地へむかうあたりから、真っ白に凍結したサロマ湖の湖面が見えてきた。これほどの容積を持つ湖でさえ、ここの寒さによって封じ込められてしまうのかと、新鮮な驚きを覚えた。湖岸に近い湖面上では、多くの釣り人が穴釣りを楽しんでいる様子が見られた。無論、釣りの対象はワカサギではなく、当地名産の「キュウリウオ」である。佐呂間町域に入ると、次第に湖が広く眺望できるようになり、サロマ湖とオホーツク海とを仕切る砂州の姿も、青空の下、くっきりと眺められるようになった。湖の絶好の眺望ポイントである「ピラオロ台」や、約300種の花々がその彩りを競い合う「ワッカ原生花園」などの名所を通り過ぎ、バスは常呂町へと入っていく。


「サロマン・ブルー、オホーツク・ブルー」

沖にかすかに外海と湖とを分ける砂洲がよこたわる
藍色の空気にかすかに色づけされた湖面は次第に暗青色に沈んで
冬の黄昏の闇に飲み込まれようとしている

湖の青、日暮れの青、砂州の青、外海の青、そして空気の青
それらがそれぞれの色合いを呈しながらも、微妙に絡み合って
雪と氷に覆われた大地の色をつくりだしている

サロマ湖の青
キュウリウオをはじめとしたいのちを育むいのちの青
空と大地に寄り添ってともに輝いている青
冬色に染まって、身体を凍らせてもなお、自らを主張する青

オホーツクの青
流氷を乗せて、やはりいのちの源となる尊い青
風を運んで、季節に染まって、ゆたかに編まれる珠玉の青
ひとびとの思いと、幾星霜の時を超えて重ねられた叡知の青

それらすべての青は、北からの息吹に鮮やかに染められて
海、山、川、そして大地に恵まれた大地の恵みに彩られている
寒々しい青は、実りの輝きを内に秘めて
北の大地のいまを見つめている


サロマ湖

サロマ湖
(2002年2月11日撮影)
能取湖

能取湖
(2002年2月11日撮影)

常呂の町は、オホーツクの海に向かう、穏やかな町だった。常呂の町に到着したのは午後340分、気温の表示は氷点下5.9度を示していた。

バスは、少しの停車時間で常呂を出発した。オホーツク沿岸を縦断する国道238号線は、全行程約320キロの道のりを、時に海と隣り合いながら、時に広大な耕地の間を通りながら、また時には白樺や落葉松などの森を通過しながら、続いていく。ほどなくして、国道はサロマ湖同様、白く凍てついた湖面−能取湖−の岸辺に接した。道路とコメントの間に、細く続く歩道のようなものが長く続いているのが目に入った。ガイドの説明によると、これはかつての国鉄湧網線の廃線跡で、常呂から網走までの区間のうちの約42キロがサイクリングロードとして整備されたものとのことだった。天北線、名寄本線に続き、ここでも時代の流れによって失われたものに出会うこととなった。バスは、能取湖畔や網走湖畔を通過して、網走駅前に到達した。網走駅周辺の地面や道路などは、一旦融解して凍結した、すべりやすい雪に覆われていて、夕暮れ迫る中、いっそうの寒さが加わってくる只中にあった。ここから、さらに別のロードバスに乗り換え、知床半島観光の拠点であるウトロへと向かった。

網走付近のオホーツク海も、一面水面が広がっており、港内の海面がわずかに結氷して、流氷のような見た目になったものが漂うばかりだったが、東へ向かうにつれて、徐々に海岸が白い塊に覆われるようになってきた。車中での説明では、数日前にはここを覆っていた流氷の、確かな残骸であろうとのことだった。海岸にわずかに取り残された流氷は、薄暗い大地にそっと寄りかかり、知床へと向かって伸びていく海岸線を冬の景色へと染め上げているように感じられた。道路は、浜小清水から斜里にかけては内陸を通過した。そのうちに日はとっぷりと暮れてしまった。

ウトロへ向かう途中、オホーツク海に向かって切り立った断崖に流れ落ちる「オシンコシンの滝」を通過した。この滝は、冬季のこの時期には凍りつき、その「氷柱」が七色にライトアップされていた。暗闇の中でいきなり滝が七色に光っているのは、幻想的と見るか、気色悪いと見るか・・・、いずれにしても、氷に閉ざされる厳冬の中では、一際鮮烈な印象を与えていることだけは確かなようだった。

オシンコシンの滝

ライトアップされた「オシンコシンの滝」
(2002年2月11日撮影)
オーロラ・ファンタジア

ウトロ、「オーロラ・ファンタジア」の一場面
(2002年2月11日撮影)

ウトロでも、美しい光を用いたイベント「オーロラ・ファンタジア」が盛大に行われていた。気さくなホテルのオーナーが、気を利かせて観にいったら、と声をかけてくれたので、ウトロ港内の特設会場に足を運んだ。知床半島の四季を紹介するフィルムが上映されたあと、七色のレーザー光線によってオホーツクの冬がこちらは本当に幻想的に再現されていまして、実に見事なショーであった。オホーツクの冬、さまざまな趣向で観光客を呼び込もうとする地域の、並々ならぬ力の入れように、感服してしまった。会場からの帰路、道路を野生の鹿が横断する場面にも遭遇した。

ウトロ遠景と羅臼岳

ウトロ遠景と硫黄岳
(2002年2月12日撮影)
流氷のオホーツク海

流氷のオホーツク海
(2002年2月12日撮影)
流氷

流氷を間近で見るとこんな感じ
(2002年2月12日撮影)
JR知床斜里駅前

吹雪の中のJR知床斜里駅前
(2002年2月12日撮影)

そして、翌朝。海岸に接して建てられていた宿泊先のホテルから眺めたオホーツクの海は、一面の流氷に覆われていた。稚内から追い求め、紋別でも出会うことができなかった本場の流氷に、やっと本格的に接することができたのだった。ウトロの港は、海面に突き出すように顔を出した巨岩、「オロンコ岩」に向かって形成された陸繋砂州の上に立地している。オロンコ岩の先には、当初はオロンコ岩と1つの岩体であったと思われる三角岩もあって、その三角岩とオロンコ岩との間をつなぐ岩礁が防波堤として補強され、さらに砂州の両側にも防波堤が築かれ、港が形成されている(昨晩の「オーロラ・ファンタジア」の会場も、オロンコ岩と三角岩との間の防波堤部分であったと記憶している)。そして、砂州のある堆積部分の陸側には、海岸段丘の平坦面が形成され、知床の大山脈地帯に接続する地形になっている。ホテルからは、オロンコ岩を含めた海岸に近い海面一帯が流氷に覆われる中で、ウトロの町が展開し、雪と森林に覆われた海岸段丘面の先に白く聳える硫黄岳が、朝日を浴びて輝く様子を、とてもさわやかに眺めることができた。実際に海岸近くに下り、流氷に接近してみたが、折り重なるように海岸に押し寄せるそれらの塊の11つが隙間なく海面と海岸を埋め尽くしていて、どこからが海で、どこまでが陸地なのか、判断がつかないほどだった。一見して、陸地の大雪原がそのままの白さと雄大さを持って、海の上まで続いているような印象だった。今回のオホーツク沿岸を縦走する行程は、まさに流氷を追い求める足取りであったように思う。

ウトロから知床斜里駅へ出た頃には、斜里の町は猛吹雪に見舞われていた。雪はどこまでも白く、激しく、そして重く、オホーツクの大地をたたきつけているようにも感じた。流氷に覆われる海、雪に覆われる大地、それらの上に容赦なく吹き付ける風は、時にこれほどまでの雪を伴うのである。この年、北海道を含む日本列島は暖冬であり、流氷の規模は例年よりも遥かに小さいものであったにもかかわらず、北海道の冬をはじめて体験した私にとって、その寒さや厳しさは、この土地の冬の気候がいかに辛辣なものであるかを知らしめるには十分であった。しかし・・・。

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