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関東の諸都市・地域を歩く


#71(横須賀編)のページ


#72 府中市街地散策 〜武蔵国府のあった伝統的な町場〜

 2010年11月6日は、世田谷区の等々力渓谷からフィールドワークをスタートさせ、二子玉川までのルートを進み、砧地域を縦走して狛江市街地を概観後、京王線の仙川駅へと至り、そこから電車で府中駅まで到達しました。最後に府中市街地を歩いてこの日の活動を終える予定でした。ちなみに、本ページでは東京都下の地域をご紹介する場合は、本シリーズ(関東の諸都市・地域を歩く)または「東京優景」のいずれかに掲載するようにしています。「東京優景」に掲載しないから優れていないとかそういう意味ではなくて、その町場や地域が東京ローカルの視点でご紹介したほうがよいか、関東広域スケールで特色あるエリアという面をより強調したいかといった個人的な感覚でいずれに搭載するかを決めております。府中の場合、その市名の由来ともなっているように、かつて武蔵国(埼玉県と東京都のほぼ全域に神奈川県の東部の一部を加えた範囲にあった令制国)の国府があった場所ということで、関東スケールでの地域紹介のくくりに含めたほうがよいのではないかとの観点から、こちらでの掲載とすることとしたものです。現在でも交通の要衝として活気のある府中駅前からこの日最後の活動をスタートさせました。

府中駅北口

京王線府中駅前(北口)
(府中市府中町一丁目、2010.11.6撮影)
府中駅南口

京王線府中駅前(南口)
(府中市宮町一丁目、2010.11.6撮影)


馬場大門のケヤキ並木
(府中市宮町一丁目、2010.11.6撮影)


大國魂神社前付近の旧甲州街道(東方向)の景観
(府中市宮町一丁目、2010.11.6撮影)
大國魂神社

大國魂神社
(府中市宮町三丁目、2010.11.6撮影)
武蔵国府跡・史跡整備地

武蔵国府跡・史跡整備地
(府中市宮町二丁目、2010.11.6撮影)

 鉄路の北を東西に走る現在の甲州街道(国道20号)は、かつての甲州街道のルートを踏襲したものではないようです。旧道は都道229号のルートにあたります。何度か本ページでご紹介してきた明治期作成の迅速図を確認しますと、宿場町を形成していた府中の町場は旧道沿いに街村的に発達していまして、現在の国道付近はその後背地として畑地や茶畑などに利用されていたことが見て取れます。そうした中にあっても、馬場大門のケヤキ並木にあたる道は明治期の地図でも鮮明に描かれていまして、北の国分寺や国分尼寺へのアクセス道路としても機能したという歴史を反映し、国分寺方面へと貫く幹線として描かれています。

 馬場大門とは、けやき並木北交差点から大國魂神社前までの、南北に三筋続く街路を指し、その名が示すとおりかつてはここに馬場があり、馬市が立つ場であったとのことです。大國魂神社の参道でもあって、往時からケヤキ並木が美しい街路として知られ、その緑あふれるたたずまいは現在まで引き継がれ、府中の町のシンボル的な存在となって多くの市民に親しまれています。商業施設やマンションが林立する駅前周辺の現代的な景観の中にあって、馬場大門のケヤキ並木は大國魂神社の杜と併せて都市に隣接する貴重な緑で、その美しい姿にたいへん癒されました。このケヤキ並木はまた、古くは源頼義・義家が奥州での遠征から帰国後にその加護に対し寄進したものであるという伝承もあり、この地域の歴史を彩る文化財的な側面もあるということも見逃せません。

高札場

高札場(左)と問屋場跡(右)
(府中市宮西町二丁目、2010.11.6撮影)
問屋場

問屋場跡(府中市役所前交差点)
(府中市宮西町二丁目、2010.11.6撮影)
番場宿

番場宿の景観
(府中市宮西町五丁目付近、2010.11.6撮影)
高安寺

高安寺
(府中市片町二丁目、2010.11.6撮影)


高安寺山門
(府中市片町二丁目、2010.11.6撮影)
新田義貞像

分倍河原駅前・新田義貞像
(府中市片町三丁目、2010.11.6撮影)

 ケヤキ並木を南へ、高架となった京王線の下をくぐり、駅前ということもあり相変わらずマンションが多く建つ旧街道筋を一瞥しながら、大國魂神社の境内へと進みました。季節柄、「七五三受付」の立て看板や、菊花展の菊の花も美しく、夕刻ながら訪れている参拝客も比較的多く認められます。当社は国府の近くに、国内の神を合祀し建立された武蔵国総社で、創建時に武蔵国に存在した一之宮から六之宮までを祀ることから六所宮とも呼ばれます。境内は武蔵国府(国衙)に比定される範囲内にあって、東側に隣接して武蔵国府跡の史跡整備地が公開されていて、赤い柱などが再現されています。

 大國魂神社を後にし、旧街道筋を西へ歩きました。鎌倉街道(府中街道)との交差点(市役所前交差点)の南西隅には、藩政期に法度や触書などを庶民に周知するために設けられた高札場が、大國魂神社の御旅所の柵内に残されています。高札場一帯は札の辻、鍵屋の辻と呼ばれ親しまれたほか、問屋場も存在したことから府中宿の中心として栄えた場所でもあったようです。この付近から西は徐々に高層の建物が少なくなり、町屋造の建物も散見されるようになって、昔ながらの街並みが想起される景観へと変わっていきます。府中宿の西側は番場宿と呼ばれていたようで、さらに一部は名刹高安寺が南にあったために片側(北側)に町並みが形成されたことから片町と呼ばれたようです。高安寺山門は二層の堂々たる造りで、本堂や鐘楼とともに都の歴史的建造物に選定されています。

 さらに西に進み、分倍河原の戦いの史実に基づき新田義貞の騎馬像がある分倍河原駅に到達し、この日の活動を終えました。数多くの歴史をベースに、交通の要衝として存立、今日の市街地の基盤を築いた府中の町は、東京近郊の穏やかな郊外の中心都市として十分な機能を有しながら、豊かな緑を町中に抱くみずみずしい景観がたいへん人印象的でした。

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