Japan Regional Explorerトップ > 地域文・近畿地方 > 神戸メモリーズ・アンド・メロディーズ・目次

神戸メモリーズ・アンド・メロディーズ

運河沿いから兵庫港へ 前半へ 「御影から魚崎へ」へ→ 

前半からの続き)

入江橋の西側を過ぎ、運河沿いを島上町方面へと更に歩きました。下に地下鉄海岸線が通過する通りに面して、赤煉瓦の建物が建っていました。この建物は、石川株式会社の本社として使われているようで、「島上町の赤煉瓦」として親しまれている建物なのだそうです。この建物の来歴を、同社のホームページから抜粋いたします。

石川本社ビルは1905(明治38)年、三菱倉庫の前身、東京倉庫兵庫出張所として建てられました。設計は、後の帝国大学の母体となった工部大学校造家学科の第1回卒業生で、東京・丸の内の「れんが建築群」や旧三菱銀行神戸支店を手がけた曾禰達蔵氏が担当しました。当社は昭和10年代にこの建物を購入し、1945(昭和20)年から本店として使用しております。
(石川株式会社ホームページより抜粋、西暦表示はYSKが追記)


神戸市景観形成重要建築物にも指定される赤煉瓦の建物は、外国に開けた神戸の町の、当時の趨勢をよく伝えているように思われます。石川株式会社の裏手に回ると、ようやく兵庫港の岸壁へとたどり着きました。兵庫埠頭が大きく全面に展開し、周囲の工場群もいかめしく、沖合に目を転じれば、ポートアイランドの高層建築群が屹立しているようすが一望の許に望めます。一見して、神戸らしい港湾景観なのですね、素晴らしい眺めでした。とはいえ、そこには往時の兵庫津を髣髴とさせるものはないのですね。中世から近世にかけて、あれほどまでの繁栄を築いた歴史ある港町は、兵庫運河にその凄みを滲ませながらも、近代都市・神戸の趨勢の中に埋没していったといえるのかもしれません。神戸市を構成する一行政区の名前ながらも、県の名前として「兵庫」の名が今に続いていることも、ある意味では、兵庫津が並々ならぬ実力を備えてきた港湾都市であったことを、何より雄弁に物語っているのかもしれません。

入江橋北側の新川運河

入江橋北側の新川運河
(兵庫区磯之町、2003.12.13撮影)
島上町の赤煉瓦

島上町の赤煉瓦
(兵庫区島上町、2003.12.13撮影)
現在の兵庫港

現在の兵庫津(右奥はポートアイランド)
(兵庫区島上町、2003.12.13撮影)
兵庫大仏

兵庫大仏
(兵庫区北逆瀬川町、2003.12.13撮影)

兵庫津を後にし、JR兵庫駅方面へと向かいました。西国街道の要衝としても重要な位置にあり、兵庫宿本陣と浜本陣が置かれていて、兵庫区神明町にその跡があるようです。付近の能福寺は、平清盛が1181(治承5)年に剃髪出家して、浄海入道となったことで知られる古刹で、近年は、太平洋戦争下における金属供出によって失われていた「兵庫の大仏」が完成しています。

兵庫駅南口は、「キャナルタウン」として再開発されています。都市計画決定そのものは1993(平成5)年でしたが、再開発は震災後に本格化し、ショッピングセンターを核に、高層住宅団地、図書館等の文化施設が設けられ、地域コミュニティの中心的な場所として位置づけたい行政側の意図が感じられます。ふんだんに植栽がなされていたり、駅前に広大な広場が用意されていたり、兵庫区を象徴する「運河(キャナル)」をシンボライズした水の流れが配置されるなど、快適な町として整えられていました。

キャナルタウン

兵庫駅南口・キャナルタウン
(兵庫区駅南通五丁目、2003.12.13撮影)
キャナルタウン、運河のシンボル

キャナルタウン、運河を象徴する流れ
(兵庫区駅南通五丁目、2003.12.13撮影

このページのトップへ

運河沿いから兵庫港へ 前半へ

「御影から魚崎へ」へ

神戸M&Mトップへ

ホームページのトップへ


Copyright(C)YSK(Y.Takada)2003 Ryomo Region,JAPAN