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神戸メモリーズ・アンド・メロディーズ

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VI.有馬温泉から六甲を越えて市街地へ

(12)雪の有馬温泉を歩く 〜歴史ある温泉街の風景〜

 前日、和歌山県南部の地域を巡っていた私は、高速バスで大阪駅へと向かい、JRで三ノ宮駅へと進んで投宿しました。翌2019年2月11日は、2007年末以来の再訪となった神戸市内のフィールドワークを行いました。三ノ宮駅近くの宿泊先から新神戸駅へ向かい、荷物を預けて、市営地下鉄線と直通運転する北神急行線で谷上駅へ。そこからは神戸電鉄有馬線を利用し、有馬温泉へと向かいました。この日は日本海からの寒気の吹き出しが大きく、新神戸駅前で強まり始めた雪は六甲山地を越えてさらに激しさを増していまして、有馬温泉周辺はうっすらと雪化粧をしていました。

太閤橋からの風景

有馬温泉・太閤橋からの風景
(北区有馬町、2019.2.11撮影)
ねね橋

ねね橋を望む
(北区有馬町、2019.2.11撮影)
銀世界

銀世界となった風景
(北区有馬町、2019.2.11撮影)
金の湯

金の湯
(北区有馬町、2019.2.11撮影)
湯本坂の景観

湯本坂の景観
(北区有馬町、2019.2.11撮影)
天神社

天神社
(北区有馬町、2019.2.11撮影)

 有馬温泉は関西や神戸の奥座敷と呼ばれる、由緒のある温泉地です。また、日本三名泉や三古泉にも数えられるほど、古来より広く知られる存在でした。有馬温泉は、古くは神話の時代にまで遡る逸話があり、大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二神が三羽の烏が湧き出した泉で傷を癒やすのを見て温泉を発見したとされるものです。その後の歴史においても、歴代の天皇や行基をはじめとした高僧、豊臣秀吉などの武将といったあまたの著名人による礼賛や開発などを受けて名泉としての基盤を確保し、今日に至っています。有馬温泉駅を出発し、雪が降りしきる有馬温泉の町並みを散策します。六甲山地の北側を浸食する有馬川の谷筋に展開する温泉街は、一面の銀世界へと変わろうとしてました。直下の河川敷が親水公園となっている太閤橋近くの木々も綿帽子をかぶったように雪を纏わせていました。

 有馬川は、太閤橋より上流は二筋に流れが分かれていまして、東側の瑞宝寺公園へと向かうものは「六甲川」と呼ばれ、西側の流れは滝川と呼ばれるようです。その滝川の上に被さるように進む太閤通りを上がり、湯本坂と呼ばれる坂道を南へ、温泉町の中へと進んでいきますと、公営の外湯である金の湯へと至りました。有馬温泉に複数ある泉源のうち、多くで湧出する「金泉」と呼ばれる鉄分を含むナトリウム塩化物強塩高温泉を引き入れているため、鉄分が参加し赤茶色を呈しているのが特徴です。併設された足湯も赤褐色に染まっていました。温泉宿や名物の炭酸煎餅を売る店などが昔ながらの温泉地らしい風情を醸す湯本坂をさらに上っていきますと、左手に天神社へと続く路地を見つけました。高台にある天神社の境内には金泉が勢いよく湧き出す「天神泉源」があって、雪の混じる空に湯けむりを上げていました。境内からは有馬温泉の家並を俯瞰することもできまして、雪に覆われた屋根がいっそう、静かな温泉場の雰囲気を演出していました。

天神泉源

天神泉源
(北区有馬町、2019.2.11撮影)
天神社境内からの俯瞰

天神社境内からの俯瞰
(北区有馬町、2019.2.11撮影)
妬泉源

妬泉源
(北区有馬町、2019.2.11撮影)
タンサン坂

タンサン坂
(北区有馬町、2019.2.11撮影)
炭酸泉源

炭酸泉源
(北区有馬町、2019.2.11撮影)
杖捨橋

杖捨橋
(北区有馬町、2019.2.11撮影)

 湯本坂に戻りさらに奥ゆかしい温泉場の景観が続く中を歩き、妬(うわなり)泉源を一瞥しつつ、有馬では唯一銀泉と呼ばれる炭酸ラジウム混合低温泉が湧く「炭酸泉源」へ向かいました。炭酸泉源は有馬温泉でも高い位置にあって、向かうまでの道筋はたくさんの木々で覆われ、雪化粧した森が美しく目の前に広がります。そんな冬景色がたおやかな「タンサン坂」を上った先に、鉱泉の湧く炭酸泉源はありました。その名のとおり炭酸を含む水はサイダーの原料として使われたこともあり、「炭酸煎餅」の由来ともなっています。入母屋の覆屋がある泉源は白銀の森の下で慎ましやかに佇んでいまして、歴史ある温泉地の風情を感じさせました。

 炭酸泉源からは公園となっている敷地の下を東へ進む路地を歩いて、京や大坂へと続く伝統的なメインルートの東の入り口にあたる「杖捨橋(つえすてばし)」へ足を延ばしました。有馬温泉に湯治に来た客は快癒して、帰路には杖を捨てるというそのいわれは、古代より多くの人々に愛されてきた湯治場としての顔も有馬温泉に備わっていることを示していました。杖捨橋からは二たび炭酸泉源下へ戻り、その温泉を引く銀の湯の前を通って、極楽寺や温泉寺(とうせんじ)のある一角へと歩を進めました。歴史の古い有馬温泉とともに歩んだ寺院も多く、極楽寺は593(推古天皇元)年、聖徳太子による創建と伝わり、温泉寺は724(神亀元)年、行基による開山とされています。阪神淡路大震災により半壊した極楽寺庫裏の再建の際、豊臣秀吉の「湯山御殿」の一部遺構が発見され、それらは「太閤の湯殿館」として公開されています。温泉寺脇の石段を上った先には温泉(とうせん)神社があって、積雪に包まれた境内からは、銀世界となった有馬の街並みを一望することができました。

極楽寺

極楽寺
(北区有馬町、2019.2.11撮影)
温泉神社

温泉神社
(北区有馬町、2019.2.11撮影)
温泉寺

温泉寺
(北区有馬町、2019.2.11撮影)
御所泉源

御所泉源
(北区有馬町、2019.2.11撮影)
六甲有馬ロープウェー

六甲有馬ロープウェーからの風景
(北区有馬町、2019.2.11撮影)
六甲山上駅前

六甲山上駅前のようす
(灘区六甲山町、2019.2.11撮影)

 温泉寺あたりの穏やかな街並みを歩いて、近傍にある御所泉源を一瞥した後は温泉街の石段を下り、滝川のつくる谷間に沿った車道を歩いて、六甲有馬ロープウェーの有馬温泉駅へと向かいました。有馬温泉に着いた頃はどちらかというとパウダー状だった雪は、時間がたつにつれて水分が増したみぞれに近い降り方になっていました。しかしながら、一面雪景色となった六甲の山中をまたいで進んだロープウェーが到着した六甲山頂駅周辺は、海抜880メートルということもあって、再び真冬のような強い降雪のもと、厳寒の風景の中に沈んでいました。凍えるような寒さの中、ストーブで暖を取りながら、六甲ケーブルの六甲山上駅まで向かうバスを待ちました。六甲山地を越えて初めて訪れた有馬温泉は、思いがけず雪中での訪問となりまして、長い歴史を経た温泉町はこの上のない穏やかさと奥ゆかしさとに包まれていたのが印象的でした。



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