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置賜花回廊、桜花結光

 2007年4月30日、山形県置賜(おきたま)地方をめぐってきました。置賜地方とは、山形県南部の地域名称です。晩春のこの時期、置賜地方は各地で桜の季節を迎えて、そのたおやかさから「置賜花回廊」と呼ばれているようです。
 ※タイトル後半は、「おうかゆいこう」とお読みくださいますようお願いいたします(筆者の造語です)。


最上川堤防の桜

最上川(松川)堤防にて
(米沢市花沢町、2007.4.30撮影)
残雪の山々と菜の花

長井市白兎地区にて
(長井市白兎、2007.4.30撮影)

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ページ設置:2008年4月10日

米沢市街地を歩く 〜春の輝きに溢れる町並み〜

 2007年4月30日、東北道、国道13号線を経て、陽光の中の米沢市役所に到着しました。雲ひとつない晴天の下、市街地散策をスタートさせました。程なくして到達した最上川(松川)堤防は、春らしいのびやかな空気に包まれていまして、やや盛りを過ぎた感のあるソメイヨシノがはらはらと花びらを舞わせて、春の光に桜色を反射させていました。周囲はまさに緑が溢れんとする陽春の装いで、彼方に見える山々の残雪も春空にかすんで見えるようでした。松川橋から住之江橋に至るまで、快い河川風景を楽しむことができました。橋はモダンな雰囲気の街灯が印象的で、欄干に設置されたブロンズ像は米沢出身で日本を代表する彫刻家の故桜井祐一氏が市に寄付したものであるそうです。通りは小規模な店舗やホテルなどを伴った商店街となり、JR米沢駅前へと至ります。旧米沢高等工業学校(現在の山形大学工学部の前身)本館を模したデザインの米沢駅は駅前ののびやかな空間とあいまってたいへん流麗な印象でした。


松川

最上川(松川)堤防の景観
(米沢市花沢町、2007.4.30撮影)
米沢駅

JR米沢駅
(米沢市駅前一丁目、2007.4.30撮影)
佐氏泉公園

佐氏泉公園
(米沢市駅前三丁目、2007.4.30撮影)
ウコギの垣根

「ウコギ」の垣根(住之江橋東詰付近)
(米沢市駅前四丁目、2007.4.30撮影)


 義経ゆかりの忠臣佐藤継信・忠信兄弟の生誕地と伝えられる佐氏泉(さしせん)公園の穏やかな佇まいを確認しながら、住ノ江町通りを市街地方面へ戻りました。住之江橋の東詰め、第一中学校付近の歩道には、「ウコギ」の生垣が整えられていました。ウコギは米沢地域では古くから家々の垣根に取り入れられているそうで、春先の新芽が食用に適していることから、米沢藩中興の祖・上杉鷹山が推奨したことでも知られているそうです。ウコギの垣根はまさにさ緑色の新芽を輝かせていました。

 住之江橋の橋詰からまた桜の美しい川沿いを南へと進み、相生橋によって最上川を西へ渡りました。最上川の流れは春空を写し取ったかのように清らかで、土手の水仙やタンポポもいっせいに鮮やかな色彩を見せて、川の両岸に渡されたこいのぼりたちも、たいへん気持ちよさそうに泳いでおりました。橋を渡った交差点には置賜地方でロケーションが行われた映画「スウィングガールズ」のロケ地であったことを示す看板が設置されていました。

河川敷

最上川(松川)河川敷の景観(相生橋付近から南方向)
(米沢市東二丁目、2007.4.30撮影)


伝国の杜(置賜文化ホール)
(米沢市丸の内一丁目、2007.4.30撮影)
上杉記念館

上杉記念館の庭園
(米沢市丸の内一丁目、2007.4.30撮影)
上杉記念館

上杉記念館
(米沢市丸の内一丁目、2007.4.30撮影)

 のびやかな住宅地といった印象の一角は、地図で見ると寺院が多いことが分かり、藩政期に寺町として計画されたであろう地勢が見て取れます。果たして、この一角は東寺町と呼称された地域であったようです。大町通りから九里学園高校の北を通り、上杉神社方面へ。文化ホールと博物館の複合施設として近代的な風貌を見せる「伝国の杜」周辺は、穏やかな公園スペース(松が岬公園)として整備されていまして、多くの観光客などが訪れていました。小高い丘のように整えられた一角には「縣工発祥の地」のモニュメントがひっそりとしつらえてありまして、ここが県立米沢工業高等学校のあった場所であったことを物語っています(1997年に同校は市内川井地区に移転)。堀に囲まれた上杉神社は米沢城の本丸跡に佇みます。上杉家の祖・上杉謙信を祀る神社は、大型連休中の折大勢の観光客が拝殿前に列をなす状況で、盛りを迎えた堀端の桜の穏やかな姿がそんな喧騒を緩和してくれているようでした。二の丸跡に建てられた上杉記念館は銅板葺の入母屋造の庭園美も素晴らしい建物で、旧上杉伯爵邸として新築されたものが1919(大正8)年の米沢大火で焼失後、1925(大正14)年5月に再建されたものであるとのことです。

 上杉神社から花岡町通りを南へ向かい、先にお話しした米沢駅舎のモデルとなった旧米沢高等工業学校本館の建物を確認し、杉家・直江兼続の菩提寺として知られ、庭園が米沢三名園のひとつとして著名な林泉寺などを訪れながら、春の米沢の町歩きの行程を進めていきました。茅葺屋根の商店や蔵造りの町屋が町並みの中に残される市街地を北へ戻り、米沢市街地の中心商店街である平和通り商店街を歩き、そのまま市役所まで戻って、米沢散策を終えました。アーケードの商店街に「大沼デパート」や「米沢ポポロ」などの店舗が集積し、米沢信用金庫本店をはじめとした金融機関が集まる平和通商店街は、名実ともに米沢市街地の中心であることが見て取れました。米沢ポポロ西側のオープンスペース「まちのひろば」は、「サンホーユー米沢店(さらに遡ると「米沢ファミリーデパート」と呼ばれる店舗だったようです)」の跡地で、サイトなどを検索しますと苦戦が続くようなニュアンスが散見されるのが気にかかるところです。

堀端の桜

米沢城址・堀端の桜
(米沢市丸の内一丁目、2007.4.30撮影)
上杉神社

上杉神社
(米沢市丸の内一丁目、2007.4.30撮影)
旧米沢高等工業学校本館

旧米沢高等工業学校本館(山形大学工学部構内)
(米沢市城南四丁目、2007.4.30撮影)
平和通り

平和通り商店街
(米沢市中央一丁目/門東町三丁目、2007.4.30撮影)

 上杉鷹山の「伝国の辞(先にご紹介した施設名の由来ともなっています)」などのエピソードや、伊達政宗生誕の地としても知られるなど、歴史に溢れた地域性を随所に見せる米沢の町。初夏のような陽射しの下、1993年に仙台で大学受験をした帰路、興味本位から当時開業間もなかった山形新幹線に乗車し、その車窓から見た米沢駅の雪深い風景を思い出しました。厳しい冬の季節を経て、春色に染まる米沢の姿を重ね合わせながら、目の前に展開する穏やかさに満ちた輝きを改めて味わいました。


置賜花回廊 〜みずみずしい一本桜をめぐる〜

 米沢市街地の散策を終えて、相変わらずぬけるようなクリアな青空の下、北へ向かいました。高畠町では、1974(昭和49)年に廃止された山形交通高畠線の廃線跡を利用した「まほろばの緑道」の桜が満開を迎えていました。快いサイクリングや散策が楽しめるサイクリングロードとして再整備されたかつての鉄路は、しなやかに周囲の田畑や集落の景観に溶け込んでいるようでした。「泣いた赤鬼」などの著作で知られる高畠町出身の童話作家を記念した「浜田広介記念館」は、緑道に隣接して設置されていまして、色とりどりの花に飾られた前庭からは、残雪に輝く山々が青空に滲んでいるように見えました。

 まほろばの緑道の桜並木を楽しんだ後は、雪の残る山々目指して、さらに車を走らせました。赤湯と宮内という複核の市街地を持つ南陽市街地を経由し、国道113号から県道に入り、長井市伊佐沢地区へ向かいました。ここには国指定天然記念物である「伊佐沢の久保桜」があります。小ぢんまりとした小学校敷地に隣接して立つこのエドヒガンザクラは、目通り(目の高さでの幹の直径のこと)が9メートルもあるという巨木です。樹高は約16メートルもあり、幹の内部が空洞となっているため正確な測定は難しいものの、推定樹齢は約1,200年ともいわれているのだそうです。地域におけるあたたかい保護を受けて樹勢は回復傾向にあるとのことで、この日も堂々たる幹から空へ向かって伸びる枝に、たおやかな花をいっぱいに付けている姿を観ることができました。付近のソメイヨシノもまさに見頃を迎えていまして、エドヒガンの老木は豊かな山間の集落景観の中にあって、とてもやわらかな桜色を春空に重ねている姿が印象的でした。

まほろばの緑道

まほろばの緑道
(高畠町一本柳付近、2007.4.30撮影)
雪山遠望

浜田広介記念館前、果樹園を介して雪山を望む
(高畠町一本柳付近、2007.4.30撮影)
伊佐沢の久保桜

伊佐沢の久保桜
(長井市上伊佐沢、2007.4.30撮影)
伊佐沢

伊佐沢周辺の集落景観
(長井市上伊佐沢、2007.4.30撮影)

 長井市街地を抜けて、桜の木に会いに行く道程を続けました。雪を頂いた山々は劇的に眼前に迫ってまいります。雪融けの進む山肌は青い空との間で天然のグラデーションをつくっていまして、春爛漫の里山風景のバックを穏やかに彩っていました。畑には菜の花が一面に咲いている一角があって、菜の花の鮮やかな黄色の彼方に望む残雪の山々も味わい深い、東北の晩春・初夏の風景でした。葉山神社の境内にある白兎(しろうさぎ)のシダレザクラは、樹齢約140年のシダレザクラは、まさに満開を迎えていまして、青空にたいへん映えていました。幹が上方で大きくふたつに分かれていて、幹の中央部分にたくさんの花を付けるその容貌がたいへんにたおやかです。周辺の地名も「白兎」であるからそう呼ばれるのかもしれないものの、あでやかで気品に満ちたシダレザクラのその容貌は、その名のごとく、桜色に皮膚を輝かせる白兎のようにも見えました。桜木の前からは、田植えを控え引水を待つ水田が展開する農村風景もたいへんにのびやかに見下ろされました。

 長井市にあるもうひとつの国指定天然記念物の桜が、草岡地区にある「草岡の大明神桜」です。草岡地区の集落の中に生育するこの桜は、幹周りが約11メートルもあり、人里に植栽された単幹の桜としては、幹周りは国内最大であるともことです。伊佐沢の桜と同様、およそ1,200年ともいわれる樹齢を誇るこの桜は、坂上田村麻呂が蝦夷を平定したときに戦勝記念として植えた5本の桜のうちの1つであるとする伝説があるのだそうです。農作業を始める適期に花を付け始めることから、地元では「種まき桜」の名前でも親しまれ、人々の暮らしの中に息づいてきた桜です。訪れたときは、花がやや少ないように見受けられました。設置されていた説明看板によりますと、この年はシベリアからの渡り鳥の一種である「ウソ」がこの年の秋以降大量に渡ってきていたそうで、そのウソにより花芽がかなり食べられてしまったのだそうです。説明表示には「ウソを追い払うためにさまざまな策を講じてきたがうまくいかなかった。ウソも生きるために精一杯だったと思いますので、ご容赦ください」とのコメントが添えられていまして、地域の暖かな雰囲気が伝わってくるようでした。この日は日帰りで帰宅する予定であり、午後2時を回ってきたことからフィールドワークはこれにて終了となりました。



菜の花畑と残雪の山々(白兎地区)
(長井市白兎、2007.4.30撮影)
白兎のシダレザクラ

白兎のシダレザクラ
(長井市白兎、2007.4.30撮影)
白兎のシダレザクラ

白兎のシダレザクラ残雪の山々
(長井市白兎、2007.4.30撮影)
草岡の大明神桜

草岡の大明神桜
(長井市草岡、2007.4.30撮影)

 長井市周辺を初めとする置賜地域には、ご紹介した意外にも魅力的な一本桜やソメイヨシノの並木などがあって、桜の季節、その鮮やかながらも穏やかさ、みずみずしさを秘めた色彩を楽しむために、多くの人々が訪れるようになったのでしょう、いつしかその桜を「置賜桜回廊」と呼ぶようになりました。桜の姿の美しさ、たおやかさは言うに及ばず、その桜を引き立て盛り上げる残雪の山々や農村風景、そして何よりその桜を見守るあたたかい人々の心こそ、置賜花回廊のみずみずしさを存立たらしめ、たくさんの人々を惹きつける原動力ともなっているように感じられました。


 ※キャプション「菜の花畑と残雪の山々(白兎地区)」としてご紹介している写真は、2008年2月7日から使用しているタイトルロゴのデザインのもとになっているものです。



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