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大阪ストーリーズ


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#4 千里丘陵を歩く

千里ニュータウンは、首都圏の多摩ニュータウンなどと並び、日本を代表する大規模住宅団地の1つです。吹田市と豊中市にまたがる、開発面積1,160ヘクタールにも及ぶ一大住宅都市です。1957(昭和32)年、大規模住宅開発地域計画の調査費が府の予算として認められて検討が開始されたニュータウンは、紆余曲折を経ながらも開発が進み、1967(昭和42)年に現在の佐竹台地区から入居が始まり、人口10万人をゆうに超える大住宅団地へと成熟していきました。大規模ニュータウンが陥りやすい問題の1つが、高齢化です。一定の範域に、ほぼ同世代の世帯が大量に移住してくるため、一定期間を経過すると団地全体が一気に高齢化し、また第2世代も全員が団地にとどまるわけではないので、少子化も深刻になります。日本最大規模にして、大規模住宅都市としては「老舗」的な位置を占める千里ニュータウンも、そうした少子高齢化の流れの中で、過渡期を迎えているようです。人口も、1975(昭和50)年10月に約12万9千人を数えたのをピークに、漸減傾向にあるようです。

2004年5月2日、箕面市桜井から地域めぐりをスタートさせた私たちは、箕面滝から阪急箕面駅前に戻り、タクシーで北千里駅付近まで移動しました。車窓から見える箕面の町は、なだらかな丘陵性の台地にのびやかに展開しています。多様な都市インフラが利用できるようになった現代においては、このような土地は良好な住環境となり得るのでしょうけれども、水の得にくい台地は長い期間、生活の舞台としては工夫の必要な地域であったのでしょうか、丘陵地と台地の遷移する付近には溜池が多くみられます。今日多くの市民が愛着を持って生活している箕面の町の礎には、きっと先人たちの多くの汗が満たされているに違いありません。すてきな住宅都市の広がる丘陵を軽やかに越えて、国立循環器病センターの横を過ぎ、阪急北千里駅へと至りました。

藤白台センターの景観

藤白台センターの景観
(吹田市藤白台二丁目、2004.5.2撮影)
藤白台団地の景観

藤白台団地の景観
(吹田市藤白台二丁目、2004.5.2撮影)
比較的新しいマンション

藤白台地内、比較的新しいマンション
(吹田市藤白台一丁目、2004.5.2撮影)
団地に残る竹林

団地に残る竹林
(吹田市千里万博公園、2004.5.2撮影)

千里ニュータウンが展開している千里丘陵は、もともとは「寝山」または「外山」と呼ばれる、ごくありふれた丘陵地であったようです。雑木林が卓越し、現在住居表示になっている地名「津雲(台)」は、「九十九(つくも)」に通ずる地名であることも、この一帯が通常は人々の立ち入らない、いわゆる「やま」であったことを暗示しているようです。今回地域めぐりにご同行を頂いた方のお話しによりますと、千里ニュータウン開発前は、竹林や雑木林が卓越する、のどかな中山間村地域であったとのこと。そうした過去の千里丘陵は、団地と団地の間に時折断片的に残されているようで、一部は公園として整備され、市民の憩いの場ともなっているようです。また、点在する溜池も地域の昔日の姿を今に伝えていますね。その多くが、昔のままの名前で呼ばれているのだそうです。

千里ニュータウンのうち、吹田市内分の団地は、それぞれ「○○台」というフォーマットで住居表示が実施されています。ニュータウン内には、街区ごとにその地区の商業中心やコミュニティ施設が整備されました。この日歩いた藤白台地区にも、藤白台センターと呼ばれる最寄品を扱う商店や理髪店等が並ぶ一角が設計されており、「ゆらら藤白台」という愛称で呼ばれていると思しき市民センターも設置されていました。この近隣商店街は、新築されてまだ日が浅いと思われるマンションの1階部分に入居する形になっており、施設の新陳代謝が進んでいることを感じさせました。団地自体も、ライフスタイルの変化に応じて徐々に姿を変えてきたようで、開発当初は、コミュニティ中心に銭湯が設けられる団地もあったそうですが、核家族化の進行により戸建ての住宅街区も増え、モータリゼーションの進展によって駐車スペースも増設されていきました。うるおいある環境を提供しようと、もともとかなりゆとりを持って団地が建設されていたので、駐車場をつくるスペースも十分確保することができたとのことです。なお、千里ニュータウンは幹線道路と団地内の道路を緑地帯で分離させるよう工夫されており、家の前を自動車がスピードを上げて通り過ぎるという心配もありません。高齢化や少子化という問題に直面しながらも、団地は時勢に巧みに向かい合い、成長を続けているという感想を持ちましたね。

太陽の塔

万博記念公園・太陽の塔
(吹田市千里万博公園、2004.5.2撮影)



千里中央の景観

千里中央の景観
(豊中市新千里東町、2004.5.2撮影)

千里丘陵をめぐる締めくくりは、日本中に一大ムーブメントを巻き起こした1970(昭和45)年の万国博覧会会場跡地につくられた万国博記念公園めぐりです。広大な、本当に広大な敷地は、緑や美しい花々、特色溢れる諸施設に彩られていました。太陽の塔もしっかりと見学させていただきました。大阪中央環状と中国自動車道の大幹線道路を越えて、大阪モノレールで千里中央駅へ。豊中市域の団地は、「新千里○町」という住居表示になっているようです。北大阪急行千里中央駅は、地下鉄御堂筋線となって、大阪都心へと直結します。千里ニュータウンのみならず、周辺住宅地域から通勤客や買物客を集める中核的な商業的・文化的なセンターとしての活気の漲る地域でした。


●データ 高齢化の進む千里ニュータウン
 朝日新聞(2004年5月30日付け)に、千里ニュータウンの話題が掲載されました。高齢化や施設の老朽化の進むニュータウン内にオープンした、シニア層対象のカフェ風の「溜まり場」(空き店舗利用)を特集した記事です。その中で、千里ニュータウンの人口約9万3千人の高齢化率が23.8%にのぼるというデータが紹介されました。2000年国勢調査結果から高齢化率を引用しますと、大阪府は14.96%、千里ニュータウンのある吹田市は12.92%、豊中市は14.47%とのことですから、団地内の高齢化率が際だって高い水準にあることが理解できます。

謝辞:大阪府在住の瀬都里さんに情報提供を頂きました。感謝いたします。

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