Japan Regional Explorerトップ > 地域文・中国地方

稲穂の色、潮騒の音
〜2007中国山地・山陰訪問記〜

2007年9月はじめ、中国山地から山陰の各地を彷徨しました。目に入るのは、たおやかな稲穂の大地、そして多くの情感に満ちた海の青でした。この地域が見せていた極上の輝きをストレートに感じながら、心の赴くままにYSKの見た地域を描写していこうと思います。

この地域文は、「中国山地のかがやき」  「山陰の鼓動」  「いま、そしてあしたへ」 の三部構成となっています。
             
いま、そしてあしたへ

 中国山地を縦横にドライブし、随所に輝きを見せていた、稲穂の色。そして、日本海岸のちいさな入り江に宝石のように存在してきた美しい港町に寄せる、潮騒の音。繊細で、珠玉の鮮やかさを見せるそれらの感覚は、幾世相の歴史を刻みながら、地域に根付いてきた、かけがえのないもののように思えます。急峻な山に囲まれた活気ある中心地の躍動、たおやかな山並みに抱かれた石州瓦の屋根が特徴的な集落の佇まい、穏やかに大地に展開する水田のきらめき、製鉄によって開かれた町並みと環境変化に見る光と影、日本海沿岸をまたに駆けた壮大な舟運を今に伝える漁村風景の風情、それらすべてがこの地域の伝説を形成してきた豊かな財産であるように感じられました。そうした時代を超えて生きてきた地域の姿を受け取った私たちは、その美しさを未来へと伝えていくことが、果たしてできるのでしょうか。中国山地や山陰の諸地域をめぐりながら、地域ごとに溢れる魅力的な景観美に感動しつつも、その一方においてこのような疑念を抱いてしまう自分がいました。

 ここからはやや生々しいお話となってしまうことをしばしお許しください。私が小学生から中学生の社会科で地理を学んだ頃(1980年代後半)、日本の諸地域の段で、中国地方の章において取り上げられていたキーワードの1つが「過疎」でした。高度経済成長期に社会問題化した大都市圏地域や“太平洋ベルト地帯”への一極集中に伴う人口減少により、山間部の多くの集落が地域コミュニティとして存立することが難しい状態となり、また一部の集落ではすべての住民が退去して廃村となる事例も少なくなく、そうした地域較差の是正への取り組みが望まれるといった内容を学習していたのだと記憶しています。そんな時代からさらに10数年が経過し、現在は大都市圏を含めて日本全体が少子高齢化問題に直面する局面へと変化しています。高度経済成長を支えた年代が定年を迎えることとなり、技術の伝承や労働力の質的鈍化への懸念も叫ばれ始めています。こうした現況は農村地域・山間地域においても例外でなく、高度経済成長期を通じて堅固に農地を開発し、成長させ、農業基盤を支えてきた年代についても同様の問題が及んでいることは想像に難くありません。今目にしている輝かしさに溢れた稲穂の大地の色彩が、炎が消える前に一際鮮烈に放たれる光のようなものであったとしたら・・・。過疎化に直面しながらも、今日までこの地域に豊かに営まれ、維持されてきた水田の美しさに接すれば接するほど、その景観が10年後、20年後も同じように目の前に展開しているのだろうか、一抹の不安を感じずにはいられませんでした。

出雲平野

出雲平野
(斐川町原鹿、2007.9.3撮影)
水田

中国山地の水田景観
(奥出雲町三所、2007.9.3撮影)
鷺浦

鷺浦の集落景観
(出雲市大社町鷺浦、2007.9.3撮影)
宇龍

宇龍の集落景観
(出雲市大社町宇龍、2007.9.3撮影)
 
 いま、そしてあしたへ。中国山地や山陰の諸地域に鮮烈に刻まれた奥ゆかしさに満ちた景観が、今後ともそのよさを保ちながら未来へ受け継がれること。わが国の歴史の中で重要な役割を占め続けた、この地域しか持ち得ない、貴重な景観を、あしたへ。その道筋は決して堅牢な基盤に支えられているとはいえないのかもしれません。しかしながら、2007年9月、目の前に展開したさまざまな地域の姿は、私にその地域の素晴らしさを、たおやかさを、そして未来へつながる確かな価値とを、しっかりと主張しているように感じられました。そんな地域の力強さを私は伝えていきたい。そして、今後ともそのちからを信じ抜いていきたい。そう心に誓いました。

 「稲穂の色、潮騒の音」 −完−


ページのトップに戻る

地域文の目次のページにもどる        トップページに戻る
(C)YSK(Y.Takada)2007 Ryomo Region,JAPAN