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シリーズ・クローズアップ仙台

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#52 仙台駅東口の変化を目にする 〜新寺から二十人町、鉄砲町へ〜
 

 五橋から東七番丁を経てJR線の鉄路を越えたフィールドワークは、仙台駅東口のエリアへと進んできます。愛宕上杉通の五橋一丁目交差点から東へ上る新寺通は、仙台市街地と市東部とを結ぶ重要な幹線道路のひとつです。東口方向へゆるやかにカーブする新寺通は、駅周辺における幅の広い道路となった東八番丁に接続して、さらに東へと進んできます。片側二車線の堂々たる大通りは、「新寺小路」と呼ばれた往時と対照的な姿となっています。現代的な建築物群に埋もれるような印象がいっそう強まっているものの、この新寺地域には現在でも寺院が多く、かつての寺町の地域性を今に伝えています(#22 連坊と新寺を歩く参照)。

 東八番丁に入って、真っ先に中央分離帯において施工中の工事に気がつきます。イチョウが植栽された中央分離帯が部分的に撤去され、工事が進行しています。工事部分は両方向ともに中央寄りの一車線が削減されて、杭打ち機などの重機も入ったやや大掛かりな工事が進行中でした。2015(平成27)年の開業を目指して工事が本格化し始めた仙台市地下鉄東西線の工事現場です。駅部分から工事がスタートしているようで、ここも仮称・新寺駅が設置される予定のエリアです。駅部分は地上から掘り下げる工法で建設されるとのことで、地下部分に土留めを設置するための支柱を打ち込む作業が行われていたようです。訪れた際は土曜日の早朝ということで通過車両も少なく閑散としていました。工事現場からかなり離れた五ツ橋通の高裁前あたりから新寺や連坊(仮称・新寺駅から1駅東に設置される予定の駅があるエリア)にかけて、地下鉄工事に伴い、迂回を促す表示が掲げられていました。

新寺通

新寺通、JR線を通して五橋方面を望む
(若林区新寺一丁目、2007.9.15撮影)
新寺通

新寺通、新寺一丁目交差点より東方向
(若林区新寺一丁目、2007.9.15撮影)
地下鉄工事現場

東八番丁、地下鉄東西線工事現場(仮称新寺駅設置予定場所)
(若林区新寺一丁目、2007.9.15撮影)
宮城野通

宮城野通(榴岡二丁目交差点より東方向)
(宮城野区榴岡二丁目、2007.9.15撮影)

 東八番丁通をさらに北へ進みますと、東口の大通りである宮城野通へと至ります。東口広場が整備されてから、歩道の広い宮城野通の景観がいっそうすっきりとした姿を見せるようになりました。この大通りの下には、建設中の地下鉄に先立って地下化されたJR仙山線が通過しています。仙台駅東口エリアを画する一定のエッジとして機能していた仙山線の地下化は、この地域の区画整理と近代化を加速化させました。仙台駅東口に直近のエリアでは旧仙石線の痕跡を探すことはほぼ不可能な状態になっています。

 宮城野通りより北、国道45号線までの間に東西に二本の通りがあり、この二筋の道路を中心としたエリアが土地区画整理事業により大きく変貌を遂げてきた場所であることはこれまでお話してきたとおりです。南の道路は「二十人町」の通りで西行きの一方通行、北の道路は「鉄砲町」の通りで東向きの一方通行、ともに「エックス橋」の通称で知られる宮城野橋に連接してJR線を越えて西口の広瀬通に直結することから、市街地との手ごろな近道として道幅の割には多くの自動車交通量があります。土地区画整理事業の詳細については、前項(#9 仙台駅東口の地域は今(前)#10 仙台駅東口の地域は今(後))をご覧ください。

東八番丁

東八番丁、二十人町より南方向を望む
(宮城野区二十人町、2007.9.15撮影)
中央左のビルは「アエル」

都市計画道路・元寺小路福室線(二十人町)、西方向
(宮城野区二十人町、2007.9.15撮影)
二十人町

都市計画道路・元寺小路福室線用地(二十人町)、東方向
(宮城野区二十人町、2007.9.15撮影)
鉄砲町

鉄砲町から榴岡方面を望む
(宮城野区鉄砲町、2007.9.15撮影)

 道路の拡幅や新設工事が着々と進められていたこの地域は、この地域を本格的に歩いた2003年7月の時点において既に大半の既存の建物の移転が完了していました。地域を東西に貫通する大通りとなる都市計画道路(市道元寺小路福室線、西口の広瀬通と一体化した幹線道路となる)がはっきりとその全貌を見せつつあるまでに工事が進行し、駅前という地の利を生かしたマンション群がさらにたくさん進出してきている様子が見て取れました。移転そして取り壊しを待つだけの建物が、広大な空間となった空き地に取り残されるようにあるのがたいへん印象に残りました。この元寺小路福室線は現在の二十人町の道路をほぼそのまま拡幅した位置にあたります。東八番丁を境に西側はほぼ道路の完成形が見えている一方、東側はまだ道路の南側に二十人町の旧来の建物が残されていました。

 
だだっ広い空き地と工事中のものも含むマンション群、そして路肩に設置されている鉄パイプの柵やカラーコーンがやたらと目立つ区画整理施工地を進みます。相変わらず都心方面への至便な道路であるため、頻繁にやってくる自動車に気を遣いながらの歩行です。幹線道路にはならないもののやはり近代的な街路へと拡幅が進められている鉄砲町を東へ進みます。仙台城下の一大メインストリートであった大町へとそのまま連接する位置にあり、藩政時代は鉄砲御足軽衆が住んでいたため「鉄砲町(てっぽうまち)」の名があります(仙台城下では武士の住む区画は丁(ちょう)、足軽や町人の住む区画は町(まち)と呼び分けていました)。近代以降の鉄砲町は下町的な近隣商業地域として推移し、戦災を免れた地域は、高度経済成長期以降も小規模な住宅地を中心とした穏やかな町並みが残るエリアとしての佇まいを残していました。


鉄砲町

鉄砲町の景観(道路拡幅中)
(宮城野区鉄砲町、2007.9.15撮影)
鉄砲町

鉄砲町、瀬戸物店とマンション
(宮城野区鉄砲町、2007.9.15撮影)
鉄砲町

鉄砲町の景観(和光神社前)
(宮城野区鉄砲町、2007.9.15撮影)
和光神社

和光神社と鉄砲町町民館
(宮城野区鉄砲町、2007.9.15撮影)

 次第に建物の整理が進み、道路の拡幅の準備が進行して、セットバックした位置に建物が建ち始めるエリアを東へ進みますと、一角だけ昔ながらの鉄砲町の雰囲気を残すエリア-和光神社と瀬戸物店のある場所-へと至ります。背後にマンションが立ち上がり、両側が空き地となった現在でも、境内に地区の集会所を併設した鎮守の向かいにある町屋造のこの商店は、軒先に陶器を並べていました。この店もいずれは移転の対象となります。しかしながら、区画整理が終了しますと鉄砲町の狭い通りに流入してきた自動車交通の流れは南の大幹線道路に移って現在よりも穏やかな環境が整うことも見込まれます。仙台駅に至近の土地柄から住宅供給の格好の立地であるからこそ、現代都市としての機能の充実させる一方で、仙台城下町の雰囲気を濃厚に残した地域のエッセンスも生かした地域づくりを望みたいものです。

 鉄砲町はその南の二十人町から見ますと一段高い場所にあって、宮城野通りの方向を見下ろすロケーションになります。両通りの間を広瀬川が形成した河岸段丘の崖(上町段丘と中町段丘の間の段丘崖)が通っているためです。段差の下、わずかに残る二十人町の町並みを介して榴岡方面の高層建築物群が展開する風景が印象的です。引き続き、この地域は定期的に訪問し、見つめてまいりたいと思います。


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