Japan Regional Explorerトップ > 地域文・東北地方 > シリーズ・クローズアップ仙台・目次

シリーズ・クローズアップ仙台

#55ページ #57ページへ→

#56 七郷・六郷地域を行く 〜仙台東郊の田園地帯〜
 

 仙台市街地の東郊には広大な沖積低地が広がり、穏やかな田園地帯が形成されています。沿岸部は行政的には宮城野区と若林区にまたがります。宮城野区から若林区の北部にかけてのパイパス沿線から国道45号沿いの一帯は産業地域化が進行して卸商団地(#26 仙台卸商団地 〜東北有数の一大流通ゾーン〜 を参照)や工業・港湾地域として成長が著しい反面、若林区沿岸地域は典型的な海岸平野の様相を呈しておりまして、米どころとしての地域性を濃厚に感じることができます。区の中央やや西を南西から北東に貫通する大幹線道路である仙台バイパス(国道4号)を境として、既成市街地が徐々に田園地帯へと遷移していきます。若林区のこのエリアは、北部が七郷(しちごう)地区、南部が六郷地区と呼ばれます。

 高度経済成長期以降の仙台市の郊外化は主として丘陵地域を中心に進行したことは既に述べてまいりました。緑豊かな丘陵地域の多くが住宅団地として開発が進んでいく中で、標高が低く相対的に低平な東郊の田園地帯へは開発の手があまり伸びませんでした。仙台市以南の沿岸平野は一般に仙台平野と呼称され(松島付近の洪積台地由来の丘陵地をはさんで北上川流域の「仙北平野」を含んで仙台平野とすることもあります)、仙台市付近は特に宮城野平野の別称もあるこの平野は、水はけが悪いなど水利面から開発が遅れ、このエリアが水田として生まれ変わるのは近世以降の新田開発を待たなければなりませんでした。若林の項(#25 若林区歴史散歩 〜木ノ下から区役所周辺、遠見塚へ〜)でご紹介したとおり、若林区内には広瀬川から取水し平野を潤す多くの堀が貫流します(七郷堀→高砂堀・仙台堀、六郷堀など)。海岸近くには、海岸線に沿うように貞山堀(ていざんぼり)も見えます。貞山堀については項を改めたいと思っています。

稲穂

七郷地域の水田の稲穂
(若林区荒井、2007.9.15撮影)
水田

農業園芸センター付近の水田
(若林区荒井、2007.9.15撮影)
農業園芸センター

農業園芸センター内の風景
(若林区荒井、2007.9.15撮影)
大沼

大沼の景観
(若林区荒井、2007.9.15撮影)

 七郷地域は仙台バイパス付近の市街化によって都市化の進むエリアと、広大な平野に集落が点在する荒井地区、そして海岸沿いの荒浜地区とにおおまかま区分ができると思います。「七郷」の名は、明治の大合併(1889年)で7つの集落(伊在(いざい)、六丁目(ろくちょうのめ)、蒲町(かばのまち)、荒井、荒浜、霞目(かすみのめ)、長喜城)が合併して誕生したことによるものと思われます。イグネと呼ばれる屋敷林が卓越する長喜城(ちょうきじょう)地区(#4 イグネ、水と緑の遺産 〜若林区長喜城〜参照)など、景観的にも特色のある風景が存在しています。この地域の平野には、浜堤列(ひんていれつ)と呼ばれる地形が典型的に認められます。浜堤とは、比高が周囲よりやや高い砂丘が海岸に沿って列状に連なった地形のことです。仙台付近では、この浜堤が海岸沿いだけでなく、内陸にも数列存在していまして、浜堤と浜堤の間は低湿地となっていまして、大沼や南長沼などの沼沢地も認められます。このような比高の高い砂丘、低湿地、また砂丘と連続する地形が水はけを悪くしていた主な要因であったのでしょう。

 広大な水田が豊かに展開する七郷地域。その爽快な風景は、米どころたる雰囲気をいっぱいに感じさせるものです。大沼のほとりにある仙台市農業園芸センターは、農業や園芸に関する研究や指導や苗木などの販売などを行っている施設で、温室やバラ園などもあり、四季折々に楽しむことのできるスポットです。前身は現在の若林区役所の場所にあった伊達家の農場を承継した養種園(ようしゅえん)で、1990(平成元)年に農業園芸センターとして移転したものであるとのことです。広い空と大沼の水辺景観とがあいまって、のびやかな田園風景に接することができます。

都心方向

七郷・都心方向を眺める(手前を仙台東部道路が横切る)
(若林区荒井、2007.9.15撮影)
水田

生産調整作物(大豆)の植えられた水田
(若林区荒井、2007.9.15撮影)
イグネ

六郷地域・イグネのある風景
(若林区今泉付近、2007.9.15撮影)
六郷

六郷地域・自然堤防上に展開する集落と水田
(若林区種次付近、2007.9.15撮影)

 七郷地区の南の六郷地区は、現在の大字における二木(ふたき)、今泉、日辺(にっぺ)、沖野、飯田、種次(たなつぎ)、井戸浜、藤塚浜の8集落が統合し、やはり明治の大合併(1889年)時に成立しています。集落数と村名(地域名)の数詞の違いについては、村の名前が地域を潤している「六郷堀」に由来するためで、付け加えれば、この六郷堀は六か村を貫流したことからの命名であるようです(推測しますと、上記集落のうち、浜集落の2つを除く6村ということでしょうか)。六郷地域は北の七郷地域から連続する海岸平野のほか、名取川の乱流に伴い形成された複数の自然堤防上に集落が発達しています。地形図を確認しますと、かつての川が流れた跡にそって繋がる低地、昔の流路の跡を読み解くことができます。集落がまとまっている分、冬季の季節風を避ける方向に発達したイグネを多く確認できるエリアでもあります。沖野方面から徐々に住宅地化も進んでいる印象もあるものの、穏やかな田園風景と緑に溢れた集落景観とが美しいバランスを示す地域であるように思います。

 豊かな田園風景の広がる地域である七郷・六郷地域も、仙台バイパスの貫通を契機に大都市圏の近郊として少なからずその姿を変化させています。1994(平成6)年に高速道路並みの規格を持つ「仙台東部道路」の一部区間が完成しました。2001(平成13)年には北側に延伸されたこの道路は、地域を縦断して景観に大きなインパクトを与えています。七郷地域では、荒井地区の西部で大規模な区画整理が実行されていまして、現在建設が進んでいる地下鉄東西線の東の始発駅や車両基地が設置されることになります。仙台市への合併(1941(昭和16)年)前は、七郷は宮城郡、六郷は名取郡に属しました。七北田川や名取川の流域を中心とした地域区分であったのでしょうか。その両地域が郡界を越えて仙台市という大都市の一行政区を形成していることは興味深いことではないかと思います。先人のたゆまぬ取り組みによって美田となった七郷・六郷地域は、仙台大都市圏からの郊外化の波を受け入れながら、さらなる変化を遂げていくこととなるのでしょうか。その営力が緩やかに地域の姿を生かさせ、輝かせるものであることを願いたいと思います。


このページのトップへ

 #55ページへ           #57ページへ

目次のページに戻る


Copyright(C) YSK(Y.Takada) 2008 Ryomo Region,JAPAN