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みちのく青森、菜の花紀行

 2008年5月17~18日、菜の花畑がさわやかな青森県横浜町を訪れました。地平線の彼方まで続く菜の花畑は壮観の一言で、このエリアの遅い初夏がはじけるような風景が展開していました。あわせて訪れたむつ市と八戸市の市街地もご紹介します。

菜の花畑

横浜町・菜の花畑夕景
(青森県横浜町、2008.5.17撮影)
蕪島

蕪島・ウミネコの群れ
(八戸市鮫町、2008.5.18撮影)

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ページ設置:2010年6月13日

横浜町からむつ市へ ~菜の花畑と、地域中心都市の姿~

 2008年5月17日、午前5時過ぎに地元を出発、東北道をひたすらに北に向かい、八戸道を経て青森県東海岸の国道338号を北へ進むころには日もかなり高くなっていました。国道は、海岸線からやや離れた場所を進み、また小川原湖や尾鮫沼など、点在する湖沼群からも一定の距離を置いています。そのため、道路は田園地帯を越え、原野を通り抜け、針葉樹を中心とした防砂林の横をかすめ、時々小さな河川を渡りながら、軽やかに進んでいきます。六ヶ所村から下北半島の脊梁を横断し、陸奥湾の水面がたおやかに眺められる陸奥横浜へと至りました。時刻は午前11時を回り、日差しはさらに精悍さを増して、下北半島の中軸たる恐山山地から陸奥湾、なめらかな容貌を見せる下北丘陵の山並みがいっそうくっきりと展開していきます。

横浜町は、菜の花の作付面積では全国でも屈指の存在です。ドライブを続けていきますと、果たして、広大な菜の花畑が車窓を駆け抜けていき、初夏の青空にも負けない鮮やかさな黄色が目にまばゆく感じられます。町でも菜の花を中心としたイベントを展開しており、「菜の花フェスティバル」の会場には多くの人々が集まって、地平線のかなたまで届く黄色のじゅうたんに酔いしれていました。

横浜町

横浜町・菜の花畑の景観
(青森県横浜町、2008.5.17撮影)
横浜町

横浜町・菜の花畑と風車
(青森県横浜町、2008.5.17撮影)
恐山

恐山
(むつ市田名部、2008.5.17撮影)
宇曽利山湖

宇曽利山湖
(むつ市田名部、2008.5.17撮影)

 横浜町の初夏を鮮烈に彩り、地域をシンボライズする菜の花は、1950年代に換金作物の代表として作付けが始められたことが端緒とのことで、1968(昭和43)年には作付面積が約750 ヘクタールにもなったとのことです。現在でも作付面積は83ヘクタールを誇り、菜の花が栽培されてきた歴史的農村風景を守り育てるためのトラスト活動も盛んに行なわれているようです。

 横浜の菜の花畑を後にして、恐山の神秘的な景観に触れた後、下北半島の中心都市であるむつ市へと向かいました。釜臥山展望台から見下ろしたむつ市の中心市街地は、鏡面のようになめらかな風貌の陸奥湾に向かうように、まとまった市街地を展開していました。その一方で、郊外は穏やかな山林や原野などが市街地の間近に迫って、好対照をなしていました。

むつ市街地

釜臥山展望台からむつ市街地を望む
(むつ市大湊、2008.5.17撮影)
田名部

田名部・マエダ前
(むつ市小川町二丁目、2008.5.17撮影)
大橋

大橋から田名部川、釜臥山を望む
(むつ市本町、2008.5.17撮影)


田名部・松木屋前
(むつ市柳町一丁目、2008.5.17撮影)

 むつ市は、日本で最初にひらがな市名を選択した市として知られます。市の中心は、南部藩の大代官所が置かれ下北地域の中心地として古くから栄えた「田名部(たなぶ)」と、港町、後に海軍の軍港として開かれた「大湊(おおみなと)」の2地域で、1959(昭和34)年9月に最初に市制施行した際の市名は「大湊田名部市」であったこと(翌年に「むつ市」に改称)も、このことが窺われます。近年平成の大合併により、周辺の大畑町、川内町、脇野沢村を編入(2007年3月)し、面積では青森県で最も広い範域を持つ市町村となっています。ふたつの中心都市を持つ土地柄が反映されてか、田名部と大湊の間に立地する市役所に自家用車を止め、まずは田名部の町へと歩を進めることとしました(2009年9月に、市役所はおよそ1.5キロメートル西方の旧ショッピングセンター跡地に移転しています)。田名部川に沿った平坦地を東へ、国道を進んでいきます。田名部川と、その後背地に広がるゆるやかな台地状の地形に、穏やかに市街化が展開する郊外的な景観は、東進するにつれて大きく変化していきます。むつ市に本店を置き、下北エリアから上北エリアにかけて店舗を展開するスーパーマーケット「マエダ」の前を過ぎますと、ホテルや事業所などが急速にまとまってまいります。

 田名部川に架かる大橋は、田名部の町を穏やかに見つめるような落ち着いた印象のコンクリート橋です。近世から明治初期まで、下北半島の中心都市・田名部の水運上の拠点として、この大橋付近に船着場が設けられ交通の要衝として栄えたといいます。物流が陸上交通にとってかわった現在においても、ここから北へ中心市街地が連接し、下北半島の幹線国道の交点として自動車等の通行量も多く、ここが交通上の要であることには変わりはないようです。川の南には寺院がまとまっており、1932(昭和7)年に完成した大橋は、周辺のしっとりとした都市景観と、北側の市街地とをゆるやかに結びつけ、田名部の歴史を今に伝えているかのようです。中心市街地は、2001(平成13)年に廃止された下北交通大畑線(旧国鉄大畑線)の田名部駅(駅舎は「むつ労働福祉会館」として現役で利用されている)に向かって形成されています。百貨店のむつ松木屋や、観光施設「むつ来さまい館」を中心に、現代的なプロムナードも配された市街地は、列車が撤退し、モータリゼーションが進む状況下にあっては、中心市街地としては、相対的に活況を呈している部類に入るのではないかと感じました。都市としては小規模ながら、高速交通網から相対的に距離をおくむつ市は、その大きさ以上の中心性を備えている典型例と言えそうです。

田名部

田名部・むつ来さまい館付近の景観
(むつ市田名部町、2008.5.17撮影)
大湊

大湊駅前付近の商店街
(むつ市大湊新町、2008.5.17撮影)
大湊遠景

大湊市街地遠景・釜臥山麓に展開する
(むつ市大湊新町、2008.5.17撮影)
大湊駅

JR大湊駅
(むつ市大湊新町、2008.5.17撮影)

 夕刻が徐々に迫り、むつ市におけるもう一つの中心市街地である大湊の町も概観しました。陸奥湾に迫るような山容を見せる釜臥山のふもとの狭い低地に展開する大湊の市街地は、数段の段丘崖からなる狭い台地上に展開し、芦崎(砂嘴)に抱かれる穏やかな海岸線に密度の高い港町を発達させました。地域の中心として平地の中央を志向した田名部とは対照的です。JR大湊線の終着駅であるJR大湊駅前を中心に商業集積が認められ、大湊港に向かって昔ながらの街並みと、国道沿いの鉄道駅を中心とした商店街とが融合した、味わい深い市街地が続いています。海軍が置かれた歴史を受け、現在でも海上自衛隊の基地が置かれており、防衛上の拠点としての役割も担っています。下北エリアの広域的な商業中心は田名部を中心としたエリアに偏っているため、商業的な中心性は相対的には小さいものとなっています。しかしながら、港町、軍港として整えられてきた都市基盤は現在においても、大湊の街中の随所に味わいを見せていました。陸奥湾の穏やかな風景も、釜臥山から俯瞰したときとそのままの穏やかさがたいへん印象的です。

 むつ市でのフィールドワークを終え、投宿先の八戸へ向かう道すがら、陸奥横浜の菜の花畑に再び立寄りました。夕日のオレンジに豊かに染められた風景は、菜の花畑から陸奥湾にむかって軽やかに渡る薫風もあいまって、この上のないさわやかさに満ちていました。


八戸市街地を歩く ~さまざまな顔を持つ中心都市~

 翌日、宿泊していたJR八戸駅前のホテルを出発し、八戸市街地へと向かいました。八戸市街地から西へ約5kmの位置にある八戸駅は、2002年12月に延伸開業した東北新幹線のターミナル駅(2010年12月には、新青森駅までの前線が開業し、八戸駅は途中駅となる予定です)としてリニューアル後は駅周辺にホテルなどが建設され、産業観光振興施設である八戸地域地場産業振興センター(ユートリー)も立地するなど、中心駅としての拠点性が急速に整備されました。八戸駅が現駅名となる(1971(昭和46)年、尻内駅から改称)まで八戸駅を名乗り、八戸市街への最寄駅であるJR本八戸駅までのエリアも、水田の間の自然堤防に集落が立地する従来の田園風景が広がる中にあって、幹線道路沿いに商業集積が進むなど、典型的な中規模都市郊外の市街化風景が展開していました。

「八戸市庁」と呼称される市役所に自家用車を止め、市街地散策をスタートさせます。八戸市は青森県では県庁所在都市である青森市に次ぐ人口を擁し、「南部地方」と呼ばれる青森県東部エリアにおける一大中心都市です。城下町としての歴史性もあり、かつての藩領内に属する岩手県沿岸北部の一部にまで商圏が及んでいるようです。南部藩(盛岡藩)から将軍の裁定によって分立した歴史を持つ八戸藩の城下町を基礎とし、港町としての歴史を持つ陸奥湊・鮫エリアや、新産業都市指定による工業地域エリアも加わって、青森県内のみならず、東北地方全体から見ても、有数の都市規模を誇っていると言えます。
八戸市庁は、藩政期における八戸城が立地していた一帯に建設されており、市公会堂や三八城(みやぎ)公園などの施設がまとまる、市民交流拠点としても使い勝手のよいスペースとして整備が進められています。訪れたこの日もイベントが開催されていたようで、多くの市民が集まって休日を楽しんでいるようでした。JR本八戸駅も至近で、城跡らしく、馬淵川のつくる沖積平野に突き出すような小高い台地上のこのエリアからは、至近のJR本八戸駅前へと続く商店街や、市街地西郊のようすが穏やかに眺められした。

八戸駅

JR八戸駅
(八戸市一番町一丁目、2008.5.18撮影)
三八城公園

三八城公園より本八戸駅方向を望む
(八戸市内丸一丁目、2008.5.18撮影)
角御殿表門

八戸城角御殿表門
(八戸市内丸三丁目、2008.5.18撮影)
カラフトズミ

八戸市庁前、カラフトズミの木
(八戸市内丸一丁目、2008.5.18撮影)

 現在は集会施設「南部会館」の表門として使用されている八戸城角御殿表門(青森県重文)や、源義経伝説が残るという(おがみ)神社、そして市庁と消防署とに挟まれたロータリー状の道路の真ん中にたおやかな花を咲かせるカラフトズミの木などを一瞥しながら、藩政時代の城下町から発達した中心市街地へと歩を進めていきます。八戸の中心市街地は大火やその後の市街化によって様変わりして藩政期の面影は失われているものの、街路網はほぼ当時の構成を今に残しているのだそうです。さくら野百貨店や中合三春屋などのデパートが立ち並ぶ国道340号は商業・事業所系のビル群が立ち並ぶ、八戸のメインストリートです。けやき並木の新鮮な緑がとても目に鮮やかでした。

 市街地には、三日町や六日町、十三日町など、市が開かれる日付にちなんで名づけられた地名が連続し、城下町起源の町らしさを感じさせます。併せて、鍛冶町や大工町など、職人に由来する地名もあって、多くの業種が寄り集まった活気ある城下町の様子が想像されるようです。国道を北や南へ入りますと、昔ながらの雰囲気を残す商店街や歓楽街なども分布していまして、南部地域を代表する都市としての中心性や奥深さ、また中心都市として歴史を刻んできた重みのようなものを存分に感じることができました。

中心市街地

八戸市中心市街地(国道340号)
(八戸市十三日町、2008.5.18撮影)
十六日町

十六日町の商店街景観
(八戸市十六日町、2008.5.18撮影)
八戸港遠景

蕪島より八戸港を望む
(八戸市鮫町、2008.5.18撮影)
種差海岸

種差海岸
(八戸市鮫町、2008.5.18撮影)

 市庁に戻り、自家用車で港付近を経由しながら、ウミネコの繁殖地として知られる蕪島へ向かいました。ウミネコの繁殖地として国の天然記念物及び日本の音風景100選のひとつとなっている蕪島は、かつてはその名のとおり鮫の港を守るように浮かぶ島でした。現在は陸続きとなり、菜の花に一面覆われた小さな高まりのようになり、そのてっぺんに蕪嶋神社が鎮座するかたちとなっています。ウミネコのフンに気を遣いながら蕪嶋神社へ続く石段を登り、神社のある場所に進みますと、360度の展望が開けてきます。どこまでも茫漠とした水面を見せる太平洋のすがすがしさは言うに及ばず、足元に広がる鮫漁港と高台の住宅地の穏やかな姿や、西側に大きく展開する港湾エリアの工業地域がたいへん壮観でした。城下町を礎として成長した中心市街地と、有数の漁獲高を誇る漁港と沿岸の工業地域を含む八戸の町は、本当に多様な側面を見せるすてきな風景にあふれているように感じました。


 蕪島から東南、種差海岸の天然芝生地を訪れて八戸フィールドワークは終了となりました。大地の緑と太平洋のクリアなマリンブルー、初夏のどこまでも輝かしい空色が、夏の猛々しさを内に秘めた日差しに照らされて、さらにそのきらめきを増していました。



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