Japan Regional Explorerトップ > 地域文・関東甲信越地方 > みすずかる信州絵巻・目次

みすずかる信州絵巻


 ←#10のページ #12のページへ→
#11 旧中山道望月宿の町並み ~山間に開かれた宿場町の面影~

 2018年10月7日、長野県内のフィールドワークに出かけました。早朝に自宅を出て国道254号を西へ、佐久平を越えて、国道142号に入ってトンネルを抜けて鹿曲川の流域へと進みました。ルートとしては中山道を踏襲している同国道ですが、市街地部分を中心に、旧街道筋からは大きく迂回しバイパス化されていまして、この日最初に訪れた望月の町並みも、国道は南を抜けています。国道から右に入り望月トンネルを抜け、鹿曲川を渡りますと、望月宿入口の丁字路へと行き着きます。町並みを少し進んで、角間川の段丘崖上に位置する市役所支所へ車を止め、町並みをめぐってみることとしました。

望月の町並み

望月の町並み
(佐久市望月、2018.10.7撮影)
出桁造の町屋

出桁造の町屋
(佐久市望月、2018.10.7撮影)
茶屋建築の風合いを残す旅館

茶屋建築の風合いを残す旅館
(佐久市望月、2018.10.7撮影)
土蔵の見える風景

土蔵の見える風景
(佐久市望月、2018.10.7撮影)

 望月宿は、中山道の旧宿場町で、それは中山道六十九次のうち、江戸から起算して25番目にあたります。京と江戸とを結ぶ幹線道路として東海道とともに重要な位置を占めた中山道は、山間部を通過することや、東海道よりも距離が長いなどの面もあったものの、交通量自体は多かったようで、街道筋には各地で規模の大きい町場が形成されました。望月は中山道が和田峠を越えて、長い下りの山道を通過した後に通過する場所です。角間川が形成する南北に細長い低地にまとまった市街地が形成されていまして、佐久平を目の前に、やがて越える難所である碓氷峠を見据えた良好な休息場所と目されていたのではないかと想像しました。

 主要交通路が分離されたこともあって、道を行く車両は地元の方が生活活動を行うための交通量に抑えられ、穏やかな町並みをゆったりと散策できるようになっていました。平入切妻造の重厚な商家建築が立ち並んでいまして、この町が藩政期やその後の近代期まで繁栄を持続させてきたことを思わせました。望月の町並みを特徴づけているのは、梁や腕木を家の柱筋よもり外に突き出させて軒を深く前面に出した「出桁造(だしけたづくり)」で、美しい連子格子を採用した町屋は、防火用の側壁である梲(うだつ)の佇まいもあって、市街地の景観により深い味わいを持たせています。土蔵も随所に残されているのも、多くの人々で賑わった町の歴史を伝えています。そうした町屋に並んで、入母屋屋根のほぼ正方形に近い旅館の建物が存在感を示していました。玄関ポーチは切妻屋根になっており、茶屋建築の風合いを感じさせます。望月宿には戦前までは花柳界が存在していたことは、後に本稿を書く際に調べて知りました。

鹿曲川

鹿曲川
(佐久市望月、2018.10.7撮影)
望月歴史民俗資料館

望月歴史民俗資料館(本陣跡)
(佐久市望月、2018.10.7撮影)
真山家

真山家(重要文化財)
(佐久市望月、2018.10.7撮影)
大伴神社

大伴神社
(佐久市望月、2018.10.7撮影)

 本陣跡にある望月歴史民俗資料館のファサードを一瞥しながら、重要文化財の真山家の建物を確かめました。脇本陣であった鷹野家を過ぎ、問屋と旅籠を兼ねていたという真山家へ。その建物には、大きく張り出した軒下に縁側のような木製のスペースが付属していまして、かつてはここが店舗の店先として機能していたことを窺わせました。町外れの南側につくられた急な石段を上った先には、大伴神社が鎮座していました。延喜式にも記載のある古社で、静かな木立に囲まれた境内は周囲から隔絶された静寂に包まれていました。毎年8月15日には信州の奇祭とも呼ばれる榊祭りが挙行され、この場所で4基の神輿が激しくぶつかり合って奉納されるということが信じがたい清閑さです。高台となる社地からは、鹿曲川に沿って穏やかに家並みが続く望月の市街地をさわやかに概観することができました。

 御桐谷(おとや)橋で鹿曲川を越えて、町並みとは反対側の右岸を歩きます。橋を渡った正面には望月山城光院。中世期にこの寺院の裏手の山上には望月城があり、城光院は領主望月氏代々の菩提寺でした。本堂は江戸後期、享和年間の建築で、望月が宿場町として基盤を確立した後も、その法灯を灯しこの町を見守ってきた寺院の奥行きを感じさせました。右岸一帯は水田や畑も認められるのびやかな集落地域であり、涼やかな水を流す鹿曲川の小流を介して、向かい側の望月の町並みを見通しています。信永院は、上州多胡郡神保村(現在の高崎市吉井町神保)所在の仁叟寺(じんそうじ)の末寺。その先を進みますと、瓜生坂と呼ばれる坂道を下ってきた旧中山道に合流し、鹿曲川を渡って望月の町へと進んでいきます。左岸側では道は大きくカーブして枡形を形成していまして、昔ながらの道路構造が今に伝えられています。


大元神社境内から見た望月の町並み

大伴神社境内から見た望月宿の町並み
(佐久市望月、2018.10.7撮影)
城光院

城光院
(佐久市望月、2018.10.7撮影)
鹿曲川右岸の集落風景

鹿曲川右岸の集落風景
(佐久市望月、2018.10.7撮影)
望月新町跡

望月新町跡の石碑と旧中山道
(佐久市望月、2018.10.7撮影)

 1742(寛保)2年に大洪水があり、信永院門前辺りにかつて存在した望月新町が大打撃を受け、左岸側に町ごと移転したという歴史があります。その前までは中山道はこの望月新町を通って北へ進み、現在かかる小さな橋の場所を通って、市役所支所へ上る辺りに出るルートを通っていました。この史実は、災害による変容を経ながらも宿場町としての隆盛を維持してきた望月の町の要衝性を実感させました。望月氏がかつて蓼科山麓に「望月の牧」を営み、旧暦の8月15日の満月の日に馬を朝廷や幕府に献上していたことが望月の名の由来とされます。山並みに抱かれるようにしてある美しい市街地の風情は、一点の余白もなく光が月面に満ちる望月さながらのしなやかさを持っているように感じられました。

 ←#10のページ  #12のページへ→


このページの最初に戻る

 「みすずかる信州絵巻」の目次のページにもどる      
トップページに戻る


(C)YSK(Y.Takada)2020 Ryomo Region,JAPAN