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丹波篠山、歴史の街並みを歩く

 2013年12月7日、初冬の兵庫県篠山市を訪れました。藩政期から続く城下町としての面影を今に残す歴史の町です。
落ち着いた佇まいの中心街から河原町の商家群、武家屋敷街へと進んで到達した城跡からは、たおやかな地域を俯瞰することができました。



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ページ公開:2017年3月18日

旧街道に沿った家並を行く 〜古き良き時代を映す風景〜

 2013年12月7日、兵庫県内陸に位置する城下町、丹波篠山を訪れました。二重に堀をめぐらすその城跡は、小縮尺の航空写真でもその存在が際立つほど目立つ存在です。京都から福知山、豊岡方面へ、内陸を抜ける山陰街道(篠山街道)筋の要衝にあり、西国の有力大名の抑えとなることから、徳川家康はこの篠山盆地の中央に位置する小丘陵(笹山)に城を築くこととし、多くの大名にそれを命じる「天下普請」によって城は完成しました。竣工後は譜代大名が代々この地を治め、この町は篠山盆地を後背地とする地域中心として近世以降の時間を過ごしました。町はずれに位置する鉄道の玄関口、JR篠山口駅からバスを利用し降り立った中心市街地は、そんな地域の歴史を濃厚に宿した、穏やかなたたずまいが印象的な街並みを有していました。

誓願寺楼門

誓願寺楼門
(篠山市魚屋町、2013.12.7撮影)
本町商店街

本町商店街の街並み
(篠山市魚屋町、2013.12.7撮影)
市街地北側の田園風景

市街地北側の田園風景
(篠山市黒岡、2013.12.7撮影)
玉水

玉水
(篠山市黒岡、2013.12.7撮影)
春日神社参道の風景

春日神社参道の風景
(篠山市二階町、2013.12.7撮影)
春日神社能舞台

春日神社能舞台
(篠山市黒岡、2013.12.7撮影)

 京都府北部から兵庫県中東部あたりまでを範域とする旧丹波国の地域には、比較的なだらかな高原状の山間に多くの小盆地が散在しています。そのため、それらの盆地ごとにその範囲を生活圏とする小都市が複数存立するかたちとなり、広範囲を都市圏に取り込むような大都市が成立しにくい土地柄です。加えて、丹波国を一つの範域とするような行政区画がまとめられず、京都府と兵庫県に分割され、隣接する但馬国や播磨国などと共に海沿いの神戸を中心としたまとまりに整理されたことも、このエリアの中核都市を生む営力を削いだともいえると考えられます。このような背景から、篠山は小規模な盆地という経済規模に見合った街並みが現代まで維持されて、近世以来の歴史的な都市景観が現在に伝わることとなりました。

 篠山本町バス停でバスを降り、旧街道筋にあたる東西の通りを歩きます。バス停の目の前には誓願寺の楼門(市指定文化財)が丁字路の交差点に北面して屹立しています。誓願寺は市街地西南の高城山上にあった八上城の麓から、民心の安定と城下の守りのため、前述の築城後にこの地に移されました。ここから東は、魚屋町(本町商店街)、二階町、上二階町と、瓦葺の伝統的な町屋造りの家屋と、コンクリート造建物とが、歩道のない、自動車がようやく対面通行できる程度の道幅の両側に連続して、古くからの佇まいを強固に残す商店街が続いていきます。篠山城の正面から北進する道路と交差する二階町交差点を北へ折れて進みますと、周囲は程なくして田園風景へと変貌します。市指定史跡の玉水はこの道筋の途上にあり、城内にある井戸水の水源とも言われる小さな池で、周辺はゆり園として整備されているようでした。


尊寶寺門前の街並み

尊寶寺門前の街並み
(篠山市立町、2013.12.7撮影)


立町通りの景観
(篠山市立町、2013.12.7撮影)
まけきらい稲荷参道

まけきらい稲荷の参道
(篠山市河原町、2013.12.7撮影)
まけきらい稲荷

まけきらい稲荷
(篠山市河原町、2013.12.7撮影)
王地山公園

王地山公園の紅葉
(篠山市河原町、2013.12.7撮影)
王地山公園からの俯瞰風景

王地山公園から見た篠山の家並
(篠山市河原町、2013.12.7撮影)

 再び町中へと戻り、古い町並みの散策を続けます。春日神社は、貞観年間(859〜877年)に奈良春日大社が分霊し篠山城址のある場所に鎮座していたものを、篠山城の築城に伴い現在の場所に遷座したものです。商店街の家並の間をまっすぐに進む参道の向こうに朱色の鳥居が立ち、神門、本殿の向こうに山並みが見える構図は、庭園における借景のような美しさを感じさせます。神社をこの地に移すにあたり、そうした視点も配慮されていたのではないかとも思えてきます。能舞台は国指定重要文化財ともなっていて、13代藩主青山忠良(ただなが)が1861(文久元)年に同神社に奉納したものです。多くの趣向が凝らされた能舞台として、建設当時は箱根より西でこのような立派な舞台はないとまで評されていたとのことです。この日、商店街には「大売出し」の横断幕が掲げられ、多くの買い物客でにぎわっていました。「せいもん払い」の幟旗があちこちに掲げられており、調べてみますと、漢字に直すとそれは「誓文払い」となるようで、陰暦10月20日に、京都の商人・遊女などが、日頃の商売上の駆け引きに嘘をついた罪を払い、神罰の放免を請うために四条京極の官者殿(冠者殿)に参詣する行事を指すようです。この行事に合わせ、商人たちも安売りを行って謝罪をしようとしたことが、この「せいもん払い」の大売出しにつながるようです。こうしたことも、篠山が京都と歴史的に深いつながりがあったことを物語っているようです。

 当地名産の丹波黒豆を扱う店などを一瞥しながら街道筋をさらに東へ進みますと、正面に寺院の甍が大きく見えてきまして、このお寺も城下町の守りを重視しそこに配されたことを思わせます。城の東を流下し濠の役割も持っていた黒岡川を渡って到達したその寺院(尊寶寺)の由来が記載された説明表示にも、築城後にこの地に移されたことが記載されていました。ここから山陰街道は南に折れて、立町通りを進んでいきます。この通り沿いも古い町並みが続いていまして、家々が連なる先には穏やかな山並みが重なって、盆地の中の中心都市としての美しい風景が眼前に広がります。上立町バス停の辺りから東へ入り、街並みを広く見渡せる王地山(おうじやま)公園へ。赤い鳥居が並ぶ参道を上っていきますと、「まけきらい稲荷」と呼ばれる、王地山平左衛門という力士の名をつけたお社が鎮座しています。紅葉の美しい山道を下り、まけきらい稲荷をその境内に取り込んでいる本経寺へ進む途上からは、瓦屋根がたおやかに並ぶ篠山の家並を俯瞰することができました。


河原町商家群から御徒士町武家屋敷群へ 〜城下町篠山を象徴する美観〜

 本経寺の参道の石段を下りますと、旧街道筋に沿って古い町屋が立ち並ぶ街並みの中へと誘われます。山陰街道を京都方面から辿ると城下の入口にあたることからか、篠山川に架かる橋の名前は「京口橋」でした。橋上からゆるやかにたなびくような山並みを確認した後、かつての街道のルートを戻り、妻入りの商家が立ち並ぶ街を歩きました。「河原町(かわらまち)妻入商家群」と呼ばれるこの町場は、篠山城築城後まもなく整備された歴史のある商家町です。「妻入」とは、建物の短辺側の側面(妻側)を道に正対させている造りのことで、妻入の街並みは間口が狭く奥行きのある町屋が連続する形となります。切妻の白壁が美しい町屋に、格子壁や袖壁がしなやかなアクセントを与えていまして、そうした景観が城下町にしばしば見られる、町の中心部への見通しを悪くするためのカーブの付いた道路沿いに続いていく風景は、空中を電線が張り巡らされ、地面がアスファルトで固められていることを除けば、藩政期とそう大きい差がないものではないかとも思われました。

 市指定文化財である川端家や西坂家住宅の辺りまで、落ち着いた江戸時代の雰囲気そのままの町を歩いた後、立町通りとの交差点(河原町交差点)周辺の街並みを確認し、そのまま東進して篠山城の南堀端へと進みました。黒岡川に沿って南へ進みますと、程なくして西へと続く遊歩道があります。この遊歩道はかつての黒岡川の流路を転用して作られています(黒岡川は篠山城の外濠としての機能を持たせるべく人為的に西流するルートをとっていました)。黒岡川は、1951(昭和26)年に洪水防止のために現在のような、篠山川にそのまま南下して注ぐように付け替えられています。遊歩道の北側(城側)には鬱蒼とした竹林が発達していまして、城の防禦のために植えられたものを端緒としているのではないかと思われました。

本経寺

本経寺
(篠山市河原町、2013.12.7撮影)
篠山川

篠山川(京口橋より西方向)
(篠山市河原町地先、2013.12.7撮影)
河原町妻入商家群

河原町妻入商家群の街並み
(篠山市河原町、2013.12.7撮影)
河原町妻入商家群

河原町妻入商家群の街並み
(篠山市河原町、2013.12.7撮影)
黒岡川

黒岡川
(篠山市小川町/東新町、2013.12.7撮影)
遊歩道

旧黒岡川河道を利用した遊歩道
(篠山市南新町、2013.12.7撮影)

 遊歩道の西端を北に折れて堀端に出ますと、濠の一部が南に折れ曲がって突き出したような格好の場所(南馬出)に到達します。ここを過ぎますと、西堀に沿って南北に続く武家屋敷群のあるエリアへと至ります。「御徒士町(おかちまち)武家屋敷群」と総称されるこの地区は、やはり篠山城築城後に整えられた武家屋敷街の一つで、県指定文化財で、藩政期における数少ない武家屋敷長屋門の遺構である小林家長屋門をはじめ、史料館として供されている旧安間家住宅など、河原町とはまた違った、ゆったりとした区画の中に質実剛健な風格を感じさせる武家屋敷が残される場所です。徒士が集住する町であったことから、「御徒士町」と呼ばれるこの一角は、随一の繁華街として賑わった河原町のそれとはまた違った、近世における歴史的景観の風情を存分に漂わせていました。河原町からこの御徒士町へと至る地区は、篠山城跡と合わせて、「篠山伝統的建造物群保存地区」として国の指定を受けています。

 武家地の佇まいと城跡を囲む堀の静かさとを味わいながら、町の中心たる篠山城跡へと向かいました。藩政期をこの地域の中心たる政庁として過ごしたこの城も、明治維新時に全国の多くの城がたどった運命と同じように、城の建物の多くが棄却されました。二の丸の大書院は保存されたものの、1944(昭和19)年に失火により焼失、現在見ることができる大書院は、2000(平成12)年に復元されたものです。本丸の南東端には天守台が設けられていますが、天守そのものは建設されませんでした。復原された遺構を除けば、石垣や茫漠とした基礎などのみが残る城内からは、麗しい山々と緑に埋まるような篠山の街並みが軽やかに展望できました。

篠山城跡・西堀

篠山城跡・西堀の景観
(篠山市西新町、2013.12.7撮影)
小林家長屋門

小林家長屋門
(篠山市西新町、2013.12.7撮影)
武家屋敷安間家史料館

武家屋敷安間家史料館
(篠山市西新町、2013.12.7撮影)
御徒士町武家屋敷群

御徒士町武家屋敷群の街並み
(篠山市西新町、2013.12.7撮影)
篠山城跡

篠山城跡・大手門跡
(篠山市北新町、2013.12.7撮影)
篠山城跡・大書院

篠山城跡・大書院
(篠山市北新町、2013.12.7撮影)
篠山城跡

篠山城跡から街並みを俯瞰
(篠山市北新町、2013.12.7撮影)
篠山口駅

JR篠山口駅前
(篠山市大沢二丁目、2013.12.7撮影)
 
 山間の小中心地として命脈を保ってきた篠山の町は、街道によって結ばれた京都からの文化的な影響を緩やかに受けながら、藩政期の城下町の典型としての街並みを今日まで受け継いできました。そしてそれは、春は刹那流れる桜のさざなみに酔い、夏は清閑たる暑さの中にただ佇み、秋は黄金色の恵みにきらめき、すべてがセピア色の中へと収斂する冬へと、ありのままに、身の丈に合った時間の中を息づいてきた、そんな自然な地域の姿であると感じました。再びバス通りの商店街に戻り、篠山口駅へと戻るバスの到着を待つ頃には、空は徐々にその明るさを鈍色の雲の中へと隠そうとしていまして、本格的な冬の訪れを予感させました。



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