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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜

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#11 東京リレーウォーク(3) 〜浜離宮、そして築地へ〜 (中央区)

 日本の大都市の近代化は、物流の変化に伴ってドラスティックな交通インフラの変化という形で視覚的な変化を体現しました。水上交通から陸上交通へ、鉄道から自動車へと急速に流通の主役が交代した結果、大都市では河川や水路によって担われてきた流通が列車や車両によるものへと急激に取って代わり、多くの都市内水路や濠が埋め立てられ、広幅員の道路へとその姿を変えました。汐留川の川筋を埋め立てたその上を走る高速道路と、かつての貨物駅のヤード一帯を再開発した汐留シオサイトの現代的な高層ビル群とが重なる風景を間近に眺めながら、流通と年にかかわる現代史に思いを巡らせました。旧汐留貨物駅は、日本で最初の鉄道が発着した一代目の新橋駅でした。

 やがて眼前に広い水路と、こんもりとした緑とが広がってまいります。高速道路に依然として蓋をされながらも河口部にほんのわずかながら水面を覗かせる汐留川(浜離宮庭園の西と南の水路)と、やはり都市計画の過程でそのほとんどが消滅している築地川(同じく東側の水路)の、そして浜離宮恩賜庭園の緑です。屋形船やプレジャーボートのような船舶が係留されている築地川に架かる南門橋(大手門橋)を渡って、石造りの門(大手門口)をくぐって、浜離宮へと歩を進めていきます。

銀座八丁目

海岸通り・首都高を挟んで汐留の再開発地域を望む
(中央区銀座八丁目、2008.3.15撮影)
南門橋

築地川・南門橋(みなみもんばし)
(中央区銀座八丁目、2008.3.15撮影)
浜離宮

浜離宮恩賜庭園・花畑
(中央区浜離宮庭園、2008.3.15撮影)
浜離宮

浜離宮恩賜庭園・三百年の松
(中央区浜離宮庭園、2008.3.15撮影)

 ここで、旧浜離宮庭園(東京都立浜離宮恩賜庭園)の変遷を跡付けます。もともと江戸将軍家の鷹狩り場であった場所を甲府藩主松平綱重(徳川家光の第三子)が拝領し、埋め立てて別邸としたことから始まります。その後は将軍家の別邸「浜御殿」となり、維新後は皇室宴遊の地として「浜離宮」へ、そして戦後は東京都所管の都立庭園となり一般に開放されて現在に至ります。潮入の池(海水を引き入れて干満の差による景観の変化を鑑賞する池)を有する庭園は、江戸時代における大名庭園の典型として、面影をよく残しているのだそうです。 入口付近にある「三百年の松」は、1709(宝永6)年に将軍徳川家宣が庭園を大改修した時に植えられたと伝えられ、都内でも最大級の黒松であるとのことです。

 浜離宮庭園における春の優景のひとつである菜の花畑(秋にはコスモス畑となる)はまだ十分に花を開いていなかった一方、隣接する梅園はまさに見頃を迎えていました。隅田川沿いには、将軍が船で浜御殿に来た際や舟遊びの途中で休息する際に利用した船着き場である「将軍お上がり場」の跡が原形をとどめています。そうした歴史的な雰囲気を残す庭園が、対岸の勝どき地域の「トーキョータワーズ」の超高層マンションや、彼方のレインボーブリッジなどの遠景と重なります。何より、庭園のすぐ西には汐留の現代的な高層ビル群が林立していまして、藩政期の大名屋敷の庭のエッセンスを今に伝える浜離宮の風景と好対照をなします。さながら、現代都市景観を壮大な“借景”として包みこんでしまっている、といった印象です。海水と淡水の入り混じる河口付近における生態層に近いという潮入の池を散策しながら、春の穏やかな庭園の美しさを満喫し、庭園を後にしました。

梅園

浜離宮恩賜庭園・梅園
(中央区浜離宮庭園、2008.3.15撮影)
お上がり場

浜離宮恩賜庭園・将軍お上がり場跡(レインボーブリッジを望む)
(中央区浜離宮庭園、2008.3.15撮影)
勝どき方面

勝どき地域を望む(中央はトーキョータワーズ)
(中央区浜離宮庭園、2008.3.15撮影)
汐入の池

浜離宮恩賜庭園・汐入の池
(中央区浜離宮庭園、2008.3.15撮影)

 新大橋通りを進み、世界最大規模を誇る、築地市場へ。行き交う車両や従業者が多く感じられましたが、既に午後2時を回る時間帯であったため、繁忙な時間帯ではその混雑ぶりは尋常ではないのでしょうね。それでも観光客は多く訪れていまして、場外市場でも閉じている店も多い中、海産物などを求める姿が見受けられました。築地とは、本来は埋め立て地を指す一般名詞であるようです。この築地も、1657(明暦3)年、明暦の大火により本堂を焼失した浅草の本願寺の移転先として埋め立てされた場所であるのだそうです。海幸橋(我が国初のランガー橋として架橋、現在は撤去され親柱のみ残存)の近くに鎮座する波除稲荷神社は、次のような埋め立て工事にまつわるいわれがあります。築地造成の際堤防を築くものの度々決壊して工事が難航していた折、海中に漂う稲荷神の像が発見されて、それを祀ったところ波風が収まって工事が無事終了した、とのこと。以来厄除けや航海安全の神として厚い信仰を受けているのだそうです。場内には海上安全や大漁、子孫繁栄を祈願する魚河岸水神社(本殿は千代田区の神田明神に鎮座し、正式には遥拝所)も佇みます。

築地場外市場

築地場外市場の景観
(中央区築地四丁目、2008.3.15撮影)
波除稲荷神社

波除稲荷神社
(中央区築地六丁目、2008.3.15撮影)
築地市場

築地市場の景観
(中央区築地五丁目、2008.3.15撮影)
築地本願寺

築地本願寺
(中央区築地三丁目、2008.3.15撮影)

 晴海通りに出て、隅田川に架かる勝鬨橋を一瞥しながら、先にご紹介した浅草より移転した築地本願寺(本願寺築地別院)の古代インド様式になるという特徴的な伽藍を確認して、東京駅から日本橋、銀座から続いたこの日のフィールドワークを終えました。東京、ひいては日本を代表するビジネス街や繁華街、魚市場の立地する現場を歩きながら、藩政期以降の歴史的な香りを残しつつも、そうした事物と再開発による現代的な建築物群とが重なりあう風景に幾度となく接して、その道のりは、未来へ向かって飽くなき進化を続けるメガシティ・東京の「生きざま」を目の当たりにした行程であったようにも思われました。

 次回、東京リレーウォーク2回目は、勝鬨橋を東へ、月島エリアへと足を伸ばしていきます!

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