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雲海の里、冬麗の街
〜北近畿内陸の地域を歩く〜

 2016年11月22日、兵庫県朝来市和田山と京都府福知山市を訪れました。「天空の城」として知られる竹田城跡や城下の町並み、
京都府北部の中心都市のひとつである福知山の市街地を歩きながら、北近畿内陸に点在する多様な地域の姿を目にすることができました。


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ページ公開:2018年11月26日

竹田城跡と城下の町並みを歩く 〜中世の城郭の姿を残す景観〜

 2016年11月22日、前夜に東京を出発した高速バスで到着した福知山駅前は、濃い霧の中に街灯の明かりが滲んでいました。ここから列車を乗り継いで、雲海の上に浮かぶ城として知られる竹田城へと向かいます。山陰線を和田山へ進む車窓からは、霧に埋もれるようにしてある山間の風景を望むことができました。初冬の早朝は放射冷却の効果もあり霧が発生しやすく、この日も晴れた朝ということで霧が生じるには絶好の条件が整っていたようでした。

福知山駅前

霧のJR福知山駅前
(福知山市駅前町、2016.11.22撮影)
山陰線の車窓風景

山陰線の車窓風景
(福知山市夜久野町付近、2016.11.22撮影)
円山川

霧の円山川を渡る
(朝来市和田山町竹田、2016.11.22撮影)
竹田城跡・雲海

竹田城跡から望む雲海
(朝来市和田山町竹田、2016.11.22撮影)
竹田城跡・雲海

竹田城跡から円山川河谷を埋める雲海を望む
(朝来市和田山町竹田、2016.11.22撮影)
竹田城跡

竹田城跡
(朝来市和田山町竹田、2016.11.22撮影)

※一部写真には、バス車内が映り込んでいます。ご了承ください。 

 11月の上旬に航空機からこの地域周辺を俯瞰したことがあります。その日も朝から晴天で、中国山地に刻まれた毛細血管のごとき谷筋のほとんどに霧が生じていて、山々がさながら雲の海に浮かぶ島のように見えたことがありました。この朝もきっと、上空は同じように見えていたに違いないと感じました。徐々に朝日が差し込んで、日射しが届く範囲から霧は薄くなっているようにも見えました。午前8時30分に竹田駅へたどり着き、急いで竹田城跡へと向かうシャトルバス(天空バス)へと乗り込みました。円山川に立ちこめるように煙る町並みを抜け、標高353メートルほどの古城山の頂に展開する城跡へ。大手門へと進む山中は、紅葉から落葉へと進む早朝の穏やかな空気に包まれていました。まだ光量の少ない上空は快晴、木々の間から見える谷間はいまだ霧に包まれいるのが分かりました。野面積みで作られた石垣が往時を偲ばせる城跡からは、谷を一面に埋める雲海のごとき霧が織りなす、美しい諸島の風景を俯瞰することができました。畿内の縁辺にあり、播磨から丹波へと抜ける要衝にあったこの地に城郭がつくられたのは、嘉吉年間(1441〜1443)年、山名宗全の手によるとの口碑が伝えられます。その後石垣を巡らせた要塞として整備され、現在まで残る遺構が残されました。

 城跡に立って、霧が沸き立つ山並みを望みます。それは、霧の海に浮かぶ島々のようで、朝日を受けて輝く雲海は穏やかな水面を想起させます。雲上に広がる城跡には石垣で固められた曲輪が階段状に形づくられて、まさに雲海の上に屹立しているかのような壮観が展開していました。急峻な山上にこれほどまでの構造物を建設することは並大抵のことではないことは容易に想像されます。このような城跡の存在が、中世社会がどのような趨勢下に置かれていたかをありありと物語っていました。日射しが徐々にその強さを増すにつれて霧は晴れていき、眼下の町並みが見通せるようになりつつあるのを見届けて、麓へと向かうバス乗り場へと戻りました。


竹田の町並み俯瞰

霧が晴れて眼下の町並みが見えてきた
(朝来市和田山町竹田、2016.11.22撮影)
旧木村酒造場

旧木村酒造場(宿泊施設)
(朝来市和田山町竹田、2016.11.22撮影)
古城山を望む

竹田の町並みと古城山を望む
(朝来市和田山町竹田、2016.11.22撮影)
竹田の町並み

竹田の町並み
(朝来市和田山町竹田、2016.11.22撮影)
恵美須神社前

恵美須神社前のクランク部分
(朝来市和田山町竹田、2016.11.22撮影)
絹屋溝と金比羅神社

絹屋溝と金比羅神社
(朝来市和田山町竹田、2016.11.22撮影)

 竹田駅前に到着後は、和田山方面へ戻る列車が来る約50分間の時間を利用して、竹田城下の町並みを散策することとしました。竹田城の東麓、円山川との間のわずかな低地に山に寄り添うように広がる町場は、交通の要衝としての歴史を反映して、平入の町屋造の建物が穏やかに残ります。宿場町にある旧木村酒造場(国登録有形文化財)はリノベートされて宿泊施設として麗しい姿を見せていました。施設の正面から延びる県道を進んで円山川の風情を一瞥し見上げた古城山は、霧が晴れて眼前に壮大な赤壁のように立ち塞がっているように眺められました。

 再び町中へと戻り、古い町並みの散策を続けます。緩やかなカーブを描いて進む道路に屋根のラインがぴったりと寄り添う家並みは、この町が地域の中心地として存立してきた歴史を静かに物語っているように感じます。通りは恵美須神社の小さな社殿の前でわずかにクランク状になっており、城下町を礎としているこの街の来歴を象徴してました。このクランクの部分でわたる小さな水路は、竹田の町並みを緩やかに潤していまして、古い町並みに潤いを与えていました。この水路は地元では「絹屋溝(きぬやこう)」と呼んでいるようで、これも防火目的で円山川から引き入れられた城下町時代からの遺産であるようです。近代以降も町を機能的に分画するなどの役割を果たしてきました。恵美須神社の道路を挟んだ向かいには金比羅神社の社殿があって、分流した水路に架けられた石橋(えびす橋)とともに、奥ゆかしい光景を現出していました。

金比羅神社とえびす橋

金比羅神社とえびす橋
(朝来市和田山町竹田、2016.11.22撮影)
表米神社

表米神社
(朝来市和田山町竹田、2016.11.22撮影)
表米神社からの俯瞰風景

表米神社からの俯瞰風景
(朝来市和田山町竹田、2016.11.22撮影)
寺町の景観

寺町の景観
(朝来市和田山町竹田、2016.11.22撮影)
寺院の甍越しの町並み

寺院の甍越しの町並み
(朝来市和田山町竹田、2016.11.22撮影)
竹田城址登山口の紅葉

竹田城址登山口の紅葉
(朝来市和田山町竹田、2016.11.22撮影)

 播但線の鉄路を渡り、山の中腹に鎮座する表米(ひょうまい)神社へ。表米宿禰(ひょうまいすくねのみこと、現地の説明板では孝徳天皇の子、表米親王と記されていた)を祀ります。境内には、中央の土俵とそれを囲む六段の半円形の石積みで構成される「相撲桟敷」があり、それは歌舞伎の見物にも使用されたとのされているのだそうです。境内からは眼下に竹田の家並みを穏やかに俯瞰することができまして、紅葉で色づく木々の鮮やかさもあって、とてもしなやかな初冬の風景をなしていました。

 金比羅神社の横を流れていた水路は町並みを涼やかに流れて、山麓に立ち並ぶ寺院の門前へとつながっていきます。道路もアスファルトではなく石畳になっていまして、昔ながらの町並みに落ち着きを添えています。目の前に広がる寺町は、水路に並ぶ松波と、寺院の塀や甍がのびやかな佇まいを見せる実に清浄な領域となって存在していました。善證(ぜんしょう)寺から常光(じょうこう)寺、勝賢(しょうげん)寺、そし宝樹(ほうじゅ)寺へと連なる門前は、見頃を迎えていた紅葉や黄葉の鮮烈さを受けて、極上の山間の情景を描き出していました。どの寺院も藩政期以前の創建で、竹田城下の町並みが整えられた時代からの歴史を持ちます。中には歴代の城主の供養塔と伝えられる石造物を持つ寺院もあって、初冬の静かな竹田の姿に、幾星霜の時代を超えた地域の端厳のようなものを感じました。


和田山と福知山の市街地をめぐる 〜山間の要衝と城下町のすがた〜

 竹田城跡と城下の町並みの散策を終えて、和田山駅に戻り福知山へ向かう列車を待つ間、和田山の市街地を軽く散策してみることとしました。和田山は円山川の上流部にある盆地に位置する交通の要衝で、兵庫県北部に当たる旧但馬国の南部地域(南但地域)における中心都市として町場を形成してきました。長らく和田山町として町制をしいていましたが、2005(平成17)年4月、同じ朝来郡内の生野町、山東町、朝来町と合併し朝来市となって現在に至っています。朝来市となった今でも、同市の中心市街地として機能しています。山陰本線の和田山駅からは南へ、瀬戸内の姫路駅へと続く播但線が分岐しています。1995(平成7)年1月に発生した阪神淡路大震災の後は、被災した阪神間の鉄道を迂回する路線としての役割を果たしました。筆者も九州から地元への帰路、この播但線経由の迂回列車を利用したことがあります。その時の記憶はほとんど残っていませんが、中国山地東の山間の山並みを縫って進む春の風景を目にしながらの行程であったと思います。

JR和田山駅前

JR和田山駅前の景観
(朝来市和田山町東谷、2016.11.22撮影)
和田山駅前センター街

和田山駅前センター街
(朝来市和田山町東谷、2016.11.22撮影)
県道沿いの町並み

県道沿いの街並み
(朝来市和田山町寺谷、2016.11.22撮影)
旧街道筋の分岐

旧街道筋の分岐
(朝来市和田山町寺谷、2016.11.22撮影)
播磨方面への町並み

播磨方面の町並み
(朝来市和田山町寺谷、2016.11.22撮影)
旧和田山機関庫

旧和田山機関庫
(朝来市和田山町東谷、2016.11.22撮影)

 和田山駅前からは、「和田山駅前センター街」の町並みが南の山裾までの低地を埋めています。商店街の東側には市役所もあり、駅前の中心商店街を軸にコンパクトな市街地が形成されていることが見て取れます。駅前を東西にかすめる県道104号沿いにもびっしりと建物が続いていまして、多くの商店が軒を連ねています。町屋造りの建物も多く、それらの存在がここが歴史のある中心地であることを如実に物語っているように感じられました。それらの商家の建物の多くは地方都市の多くがそうであるように既に活動を停止して久しい状況にあるようでしたが、この山深い盆地に密度の濃い町並みができあがったことそのものが、和田山という場所の特異性を示していると痛感しました。その見事な町並みは、町の東端、丹波と播磨それぞれに続く街道筋の分岐点より先まで続いているようでした。この国において中世から近代まで時間をかけて醸成されてきた、こうした全国津々浦々の有力な都邑の多くが、高度経済成長期以降のわずかな期間におけるモータリゼーションとそれに伴う物流や日常生活圏の変化、人口分布の偏向によって、その趨勢を奪われてしまったことは、改めて驚かされる事実であるように思われました。

 福知山方面への列車の出発が迫ったため、和田山駅へ戻り福知山駅方面へ運行する特急列車に乗り込みました。地方のローカル線の多くでは、朝夕に集中する通勤通学輸送が普通列車の主要な利用層であるため、日中の普通列車の運行本数が少なく、日中においてはより需要の多い特急列車の方が多く走行している事象が認められます。和田山から福知山にかけての区間も、沿線人口の状況も相まって、短い区間の移動でしたが、特急列車を利用するほか無い状態でした。和田山駅構内には、1912(明治45)年に造られた「旧和田山機関庫」の赤レンガ建物が残されていまして、要衝としての歴史を今に伝えていました。

福知山駅

JR・京都丹後鉄道・福知山駅
(福知山市駅前町、2016.11.22撮影)
福知山駅前の景観

福知山駅前の景観
(福知山市駅前町、2016.11.22撮影)
お城通り

福知山駅前・お城通りの景観
(福知山市駅前町、2016.11.22撮影)
福知山城から見た町並み

福知山城から見た町並み
(福知山市内記、2016.11.22撮影)
福知山城

福知山城(市郷土資料館)
(福知山市内記、2016.11.22撮影)
旧松村家住宅

足立音衛門本店(旧松村家住宅)
(福知山市内記、2016.11.22撮影)
 
 早朝に立ちこめていた霧もすっかりと晴れて、福知山駅前は穏やかな冬晴れの下にありました。福知山市は京都府北部の中心都市の一つです。京都府北部を貫流する由良川が形成した盆地に市街地が広がります。2005(平成17)年11月には、福知山駅周辺の高架化が完成していまして、駅前にはゆったりとしたオープンスペースが整えられ、町を訪れる人々を迎えていました。夕方に大阪へ向かう予定にしていたことから、大阪へ向かう特急が朱発するまでの間、福知山の市街地を歩いてみることとしました。福知山は旧丹波国内の範域を基本として北の旧丹後国に一部がまたがる市域を持ちます。但馬から丹後、丹波の諸地域は、沿岸部から山間部にかけてまとまった広がりを持つ平地がほとんどなく、円山川や由良川といった地域を潤す河川が形成した盆地や低地に中小の中心地が点在してきたという特徴を持ちます。福知山はそうした地域の中にあって藩政期を城下町として過ごしました。1579(天正7)年に、丹波を平定した明智光秀が築城、縄張りを行った福知山城へと向かいました。城跡には1986(昭和61)年に大天守と小天守が復元され、市の郷土資料館として利用されています。

 南側の丘陵の先端部、高台に位置する福知山城からの俯瞰風景を見ながら、県道を跨ぐ歩道橋を越えて城下通りへ。足立音衛門本店(旧松村家住宅)は、町屋造の主屋と白壁と緑の屋根が印象的な建造物群で、明治期から大正期にかけて建築されました。そこから西へ進み程なく進みますとアーケードの付された内記新町商店街へと行き着きます。穏やかな昔ながら家並みに屋根が付いたような町並みは北へ、新町商店街へとつながっていきます。町屋造の建物が並ぶ場所もあって、往時の繁栄を偲ばせました。治水記念館辺りの町並みを一瞥しながら、防火のために拡幅された歴史を持つ広小路商店街へと進みます。空が広い商店街も奥ゆかしい町並みが残されていまして、城下町らしい修景を目指し取り組みが進められているようでした。

内記新町商店街

内記新町商店街の景観
(福知山市内記、2016.11.22撮影)
新町商店街の景観

新町商店街の景観
(福知山市下新、2016.11.22撮影)
治水記念館

治水記念館
(福知山市下柳、2016.11.22撮影)
広小路商店街

広小路商店街の街並み
(福知山市上紺屋付近、2016.11.22撮影)
旧グンゼ福知山工場

旧グンゼ福知山工場
(福知山市中ノ、2016.11.22撮影)
御霊神社

御霊神社境内からの風景
(福知山市中ノ、2016.11.22撮影)

 広小路通りを西へ進みますと御霊神社境内へと突き当たります。明智光秀を祀った神社の東側は広い公園になっていて、一段高い位置に鎮座する神社の社殿の前からは、紅葉で染まる木々越しに美しく望むことができました。神社の北には福知山の発展に重要な役割を果たした旧グンゼ福知山工場の敷地が広がります。グンゼはとなりの綾部市創業で、この地域一帯が繊維産業で栄えてきた歴史をそれは今に伝えています。北近畿随一という繁華を見せた広小路の姿を目に焼き付けながら、アオイ通り商店街からアオイ通三丁目商店街、そして駅正面通り商店街へと進んで福知山駅前へと戻りました。畿内の縁辺に位置し、地勢的な中心性と産業の興隆により存立した町並みが初冬のしなやかな風景と重なって、柔和な表情を見せていたことがとても美しく目に映りました。



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