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清涼優美の街角
〜2011年夏、函館から札幌へ〜

 011年7月23日から25日にかけて、北海道・函館から札幌へ向かうルートを歩みました。天然の良港として近代以降開港場として開かれ成長した函館の街並みは、盛夏にあってもさわやかな表情を見せていて、この町でしか持ち得ない優美な空気に満ちていたように感じられました。

函館市街地

函館山から見た函館市街地
(函館市函館山、2011.7.23撮影)
大通公園

札幌市・大通公園の風景
(札幌市中央区大通西四丁目付近、2011.7.25撮影)

訪問者カウンタ
ページ公開:2015年12月15日

瑠璃色の降りる風景 〜函館山・元町周辺を歩く〜

 盛夏を迎えていた函館の街並みは、どこまでも清涼な空気に包まれていました。午前11時前、函館山から眺望する市街地は、空と海の色がまさに瑠璃色のような透明感を醸し出していて、そのさわやかな色彩をまるごと受け取ってしなやかにたなびいているように見えました。歴史と自然とが溶け合って生まれた風景は、この地を訪れるすべての人に、新鮮な感動を与えるのではないでしょうか。

JR函館駅

JR函館駅
(函館市若松町、2011.7.23撮影)
駅前から函館山を望む

函館駅前から朝市、函館山方向を望む
(函館市若松町、2011.7.23撮影)
函館駅前の街並み

函館駅前電停付近の街並み
(函館市若松町、2011.7.23撮影)
十字街

十字街・操車塔(中央左)とまちづくりセンター(奥)
((函館市末広町、2011.7.23撮影))
元町・函館港

函館山から元町・函館港を俯瞰
(函館市函館山、2011.7.23撮影)
函館山・東側

函館山から東方向の海岸線を望む
(函館市函館山、2011.7.23撮影)

 郊外の空港に降り立ち、連絡バスでJR函館駅前に到着したのは午前10時すぎでした。函館市の中心駅という存在以上に、青函連絡船が到達する北海道の玄関口としての機能に特化してきた駅は、港に向かい合うように建設された立地状況が如実にその性格を表現しています。2003(平成15)年に供用を開始した現在の駅舎は方形の躯体の中央に円筒状の吹き抜けが突き出す格好となっていて、どことなく連絡船をイメージさせる清新な印象です。駅前も広大なバスターミナルやロータリーが確保されて、夏の青空が頭上いっぱいに在って、北へ来たという心象を与えてくれています。南に目を向ければ、朝市のある一帯の彼方に函館山の山容も見通せます。その広いスペースを越えて、国道5号と278号、279号が交差する駅前交差点まで来ますと、路面電車が走り、歩道にはアーケードが設置されて、一気に中心市街地としての密度の高い都市の景観へと導かれました。

 函館駅前電停から路面電車に乗車し、ノスタルジックな町場を想起させる十字街電停で下車、函館山を目指しました。函館の路面電車は公営で、函館山麓から中心市街地を縦貫しつつ郊外の湯の川温泉までを結んでいて、市民の足としてはもちろん、観光客の利便性も考慮した路線となっていることが特徴です。交差点にはかつて使用されていた路面電車の操車塔がモニュメントとして残されているほか、瀟洒な外観が印象的な「地域交流まちづくりセンター」の建物(旧丸井今井呉服店函館支店、1923(大正12)年建築)が目を惹きました。このあたりから西側、函館山の北麓の一帯はいわゆる「元町エリア」と呼ばれ、江戸末期の開港以降行政機関が集まる 場所として大いに栄えた函館の原点ともいうべき地域です。歴史的な建造物や坂道から港を眺める景色など、異国情緒を感じさせる場所として知られます。

津軽海峡

函館山から津軽海峡を望む
(函館市函館山、2011.7.23撮影)
元町の教会群

元町の教会群俯瞰(ロープウェイより撮影)
(函館市元町、2011.7.23撮影)
チャチャ登り

チャチャ登りと函館聖ヨハネ教会
(函館市元町、2011.7.23撮影)
函館ハリストス正教会

函館ハリストス正教会
(函館市元町、2011.7.23撮影)
カトリック元町教会

カトリック元町教会
(函館市元町、2011.7.23撮影)
東本願寺函館別院

東本願寺函館別院(奥にカトリック元町教会)
(函館市元町、2011.7.23撮影)

 紫陽花やバラがさわやかな花弁を揺らす風景に並ぶように、港へ向かってストレートに伸びる坂道は涼やかな夏の風の中に在りました。それぞれの坂道には名前があって、町場としての歴史が息づいています。そうした名前にあって、大三坂(だいさんざか)の上に続く石畳の「チャチャ登り」は異彩を放っています。チャチャとはアイヌ語でおじいさんのことで、腰をかがめなければ登れないほどの急坂であることからの命名であると言われています。チャチャ登りの周辺には上から見ると十字になる独特な形をしている函館聖ヨハネ教会やロシア風ビザンチン様式の函館ハリストス正教会、そして風見鶏のある尖塔が印象的なカトリック元町教会があって、外国人とかかわりのあった地域の生い立ちを象徴しています。付近には国の重要文化財の指定を受けている東本願寺函館別院もあって、その大きな屋根も穏やかな風景に溶け込んでいました。

 坂上に八幡宮が鎮座していたことからその名のある八幡坂からは、坂道の向こう、函館港や港に係留されている博物館船・摩周丸が一望のもとに見渡せます。さらに、西にある基坂坂上の元町公園一帯にも、旧函館区公会堂(国重要文化財)や旧北海道庁函館支庁舎などの洋風建築があって、公会堂のテラスからも函館港を囲む港町の美しい景観を楽しむことができました。函館山の懐に成長した町場は、その後函館駅の開業に伴う市街地の拡大などもあって、函館山から伸びる砂州全体に広がって、海と山と都市とが近接して輝きあう函館ならではの美観が形成されたと想像します。

八幡坂

八幡坂の風景
(函館市元町、2011.7.23撮影)
旧函館区公会堂

旧函館区公会堂
(函館市元町、2011.7.23撮影)
公会堂からの風景

公会堂からの風景
(函館市元町、2011.7.23撮影)
基坂

基坂の景観
(函館市元町、2011.7.23撮影)
幸坂

山上大神宮の鳥居越しに幸坂を眺める
(函館市船見町、2011.7.23撮影)
外国人墓地

外国人墓地の景観
(函館市船見町、2011.7.23撮影)

 元町の景観を象徴する坂道は比較的広い道幅で整えられています。これは、しばしば大火に見舞われたことから防火のために拡幅されたものであるようです。諸外国に開かれた開港場としての歴史と函館山や海岸のつくる麗しい自然景観、その後の都市計画などの多くの要素が重なり合って、今の元町の景色が醸成されてきたことを感じながら、心地よい坂道の散策を楽しみました。幸坂を登った先に鎮座する山上大神宮からの風景を確認し、多くの寺院が立ち並ぶ西海岸へ。ここには外国人墓地があって、津軽海峡と対峙しています。外国人墓地と一般には呼称されますが、キリスト教徒の日本人の墓地も混じっていると言います。町はずれにあって大海原の水面をほしいままにできるこの場所は、遥か異国から来た人々にとって、遠い故郷を思う場所であったのかもしれません。大地の瑠璃色を受け継いだ海や空は、涼やかな夏の空気に揺らめきながら、それぞれに輝かしさと少々の憂いとを滲ませているように見えました。


五稜郭へ向かう 〜函館市街地北のランドマーク〜

 元町地域を一通り散策した後、路面電車で再び北へ、五稜郭公園前電邸で下車しました。函館市内で函館山・元町エリアと並び、地域を象徴する建造物である五稜郭へ向かいます。五稜郭は、稜堡と呼ばれる(りょうほ)と呼ばれる5つの突出した角を持つ、五角形の土塁が巡らされているのが特徴の城郭です。上述の開国後、江戸幕府により海に近く防御上リスクの高い元町地域から箱館奉行所の移転先として建設されました。1864(元治元)年に竣工(付帯工事がすべて完成したのは1866(慶応2)年)、奉行所が移転しましたが、わずか数年後の1868(慶応4/明治元)年に大政奉還、五稜郭は新政府に引き渡されることとなります。しかし、程なくして旧幕府軍に占拠されいわゆる箱館戦争の舞台ともなっています。旧幕府軍降伏後は練兵場などとして使用された後、大正期に公園として市民に開放され、その独特の形状から観光地となって現在に至っています。城郭に隣接する五稜郭タワーからは、その美しい幾何学模様を確認できるほか、市街地で充填された砂州の向こうに屹立する函館山の風景や、郊外の山々、津軽海峡などを一望のもとに見渡すことができました。



五稜郭公園前電停付近の街並み
(函館市本町、2011.7.23撮影)
五稜郭

五稜郭(五稜郭タワーより)
(函館市五稜郭町、2011.7.23撮影)
函館港

五稜郭タワーから見た函館港
(函館市五稜郭町、2011.7.23撮影)
函館山と市街地

五稜郭タワーから見た函館山と市街地
(函館市五稜郭町、2011.7.23撮影)

 五稜郭公園前電停周辺には、丸井今井函館店(前述の十字街の旧店舗から1969(昭和44)年)に移転してきたもの)をはじめとした商業集積があり、函館市街地における副都心的な地位と目される商業地・繁華街を形成しています。元町地区から函館駅前(大門エリアと通称される)を経て、五稜郭地区に至る帯状の地域が中心市街地となっている印象で、ランドマークとして南の函館山と北の五稜郭があると理解すればしっくりとくるように思います。高度経済成長期以降の都市の郊外化により、亀田地区の赤川通エリアなどの郊外型の商業集積地域も勃興して、商業地域の分散化・多様化が函館でも他の地方都市と同様に進行しているようです。とはいえ、そうした商業構造の変容があったとしても、五稜郭タワーから函館山の方向を眺望しますと、函館の心臓とも言える場所はやはり2つのランドマークに挟まれた眼下の市街地であると実感します。

 幕末の動乱期に生まれた城郭は行政の中心としては完成早々にその役割を終えたものの、函館の市街地形成にとっては重要な目標物となって、町の発展に寄与したと言えるのかもしれません。あるいは、そうした効用をも見越してこの場所に設けられたのでしょうか?建造当時は海上からの攻撃の影響がまず第一に考えられたと目されますが、都市計画の観点からも五稜郭の立地は実に絶妙で、そうした未来図が描かれていたとしても何ら不思議ではないように感じられます。五稜郭の郭内へは、半月堡と呼ばれる、星形に突き出した部分の間に建設された三角形状の出塁を経由します。防御のために設けられたこの土塁は、計画では5つの稜堡間すべてに設置される予定であったものの、工事規模が縮小され、正面入口の1か所だけに造られました。穏やかに水をたたえる濠と緑が美しい五稜郭内部には、2010(平成22)年に箱館奉行所の建物が復元されて、往時を偲ばせていました。

箱館奉行所

箱館奉行所(復元)
(函館市五稜郭町、2011.7.23撮影)
五稜郭

五稜郭・濠
(函館市五稜郭町、2011.7.23撮影)
五稜郭公園前電停

五稜郭公園前電停付近の街並み
(函館市本町、2011.7.23撮影)
五稜郭公園前電停

五稜郭公園前電停付近の街並み
(函館市本町、2011.7.23撮影)

 五稜郭訪問を終え、再び繁華な五稜郭公園前電停まで戻りました。観光地に隣接する町場として、中小の商店街や繁華街、歓楽街が集積する場所として、そしてオフィスビルや金融機関が立地する業務地区として、旧市街地と郊外とを連接する「副都心」は、相変わらずのにぎわいを見せていました。観光都市としての色彩が強い函館にあって、やはりここは道南の中核都市であるということを思い起こさせる光景であったように思います。

後半へ続きます。


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