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清涼優美の街角
〜2011年夏、函館から札幌へ〜


前半から続く

群青色の街並み 〜再び函館山・元町周辺へ〜

 江戸時代以前から本州と蝦夷地との間の交流拠点となっていた函館は、北海道にありながら内地の都市としての空気を濃厚に感じさせます。また、都市の発展が近代以降の出来事である北海道の中でも、先に訪問した五稜郭など、藩政期の残照を今に伝える稀有な町であるともいえます。幕末から近代初期にかけて海外に門戸を開いた横浜や神戸、長崎などの西洋文化が移入された町を思い起こさせるような巷の風情は、北の大地のどこまでもさわやかできよらかな大空の下にあって、これ以上ないほどの感慨をこの地を訪れるものに与えてくれています。

基坂下

基坂下から函館山を望む
(函館市大町、2011.7.23撮影)
擬洋風建築物

擬洋風建築物(相馬株式会社社屋)
(函館市大町、2011.7.23撮影)
函館港の景観

函館港の景観
(函館市末広町、2011.7.23撮影)
赤レンガ倉庫群と函館山

赤レンガ倉庫群と函館山
(函館市豊川町、2011.7.23撮影)

 午後も夕刻が近づくにあたり、函館山からの夜景を観るタイミングに合わせながら、路面電車で再び元町エリアを訪れました。午前中は函館山山麓の坂道を彷徨していたので、この時間は海側の街並みをそぞろ歩いてみることにしました。引き続きクリアな夏空が広がる街並みは、北の長閑な雰囲気を彷彿とさせながら、内地と北海道とを隔てる海に寄り添うように広がっていました。振り返りますと、函館山が町を見守るようにやさしい山容を見せていて、軽やかに駆け上がるように坂道が続いている様子が美しく眺められます。1854(安政元)年にアメリカ提督ペリーが箱館に入港し、松前藩河郎党と会見を行った場所跡等などの、長い鎖国の時代を経て再び外国と公式に通商を行うようになった時代の歴史の痕跡にも出会いました。

 また、このエリアをシンボライズする建造物として、擬洋風建築物が街角の案内板によって紹介されていました。これまでに訪問してきた教会や公会堂などの本格的な洋風建築はもちろんのこと、こうした西洋風の建築に影響を受けて、窓などに洋風のエッセンスを取り入れた和風建築や、一つの建物で和洋両方の意匠を取り入れた擬洋風建築が次々と建設され、都市景観をより豊かなものにしているようでした。なお、これまで、函館と箱館という2つの表記を用いてきましたが、函館は元来「箱館」という表記がなされており、それが公的に函館の用字に変更されたのは1869(明治2)年ということで、歴史的な事象を表現する場合もその変更の前後で漢字を使い分けることが多いためそれに倣ったものです。1454(享徳3)年に津軽の豪族河野政通がウスケシ(アイヌ語で「湾の端」の意)と呼ばれていた漁村に館をいて、それが箱に似ているところから「箱館」と呼ばれたとする説明が一般的です。北海道ではアイヌ語を端緒とする地名が多いですが、地形を細やかにかつ端的に表現した命名が多いように思います。函館のアイヌ語名も、函館山と砂嘴が織り成す地形を的確に捉えたものでありました。

函館山からの風景

函館山からの風景・夕闇が迫る
(函館市函館山、2011.7.23撮影)
函館山からの風景

徐々に灯りがともっていき・・・
(函館市函館山、2011.7.23撮影)
函館山からの夜景

函館山からの夜景
(函館市函館山、2011.7.23撮影)
函館ハリストス正教会

函館ハリストス正教会・ライトアップ
(函館市元町、2011.7.23撮影)
旧函館区公会堂

旧函館区公会堂・ライトアップ
(函館市元町、2011.7.23撮影)
八幡坂

八幡坂・夜景
(函館市元町、2011.7.23撮影)

 元町の豊かな景観の中を歩きながら海沿いの街並みを進み、金森レンガ倉庫から函館朝市のあたりまでの散策を楽しみました。夏の日がようやく淡くなり始めた午後7時、再びロープウェイで函館山の山上へ向かいました。西の山々が茜色に染まり、砂州の上に発達した市街地に徐々に灯りがともり、夜の闇中にきらめく生活の灯火へと変化していく様子をつぶさに眺めました。昼間は十分に山容が見えていなかった駒ケ岳も、緋色に染まりつつある北の空にうっすらとその姿を確認することができました。両側を海に挟まれた函館の市街地は、目映いばかりの光に包まれていて、その海の藍色と町の蛍光色とのコントラストが実に輝かしく感じられました。開港場としての勃興と西洋文化との接触、北海道の玄関口としての存立から観光と地域の中核都市としての今、そうした函館の都市としての変遷を溶け込ませながら、その夜景は他に比類ない風景として、訪れる人々を魅了するのだと思いました。

 夜景のドラマティックな変容に感動した後は、ライトアップされた教会や公会堂などの建物をめぐってこの日の活動を終えました。瑠璃色から群青色、藍色へと夏の大空はどこまでも透明な色彩をまといながら、この美しい北の町を彩っていました。天然の良港として古くから人々の交流の場となっていたこの町は、時代の流れを巧みに受け入れながら存立し、それを独自の強みへと昇華させて、極上の時代絵巻を現代に体現しているように感じられました。


札幌にて 〜円山公園と北海道神宮周辺を歩く〜

 翌24日はJR函館本線を特急北斗で北上し、札幌へ向かいました。道南有数の景勝地である大沼あたりを過ぎ、駒ケ岳の山裾を軽やかに抜け、噴火湾のなだらかな海岸線を見やりながら、どこまでものびやかな北海道らしい風景を見やっていました。長万部までは比較的大きな市街地の無い地域を通過する同列車は、長万部を出発して室蘭本線に入り、渡島管内と胆振管内の境界である山岳地域(礼文華峠)をトンネルで通過した後は、伊達や室蘭、登別といった都市を擁する太平洋岸のやや人口の多い地域を通っていきます。このことが、遠回りであるにもかかわらず特急列車が函館本線を進まず、室蘭本線経由となっている理由の一つと目されます。太平洋岸の工業・流通の中心である苫小牧からは千歳線となり、千歳空港付近は広大な原野があって大都市近郊であることを忘れさせますが、徐々に札幌大都市圏の市街地へ誘われ、大都会の只中へと到達します。この日の目的地であった札幌ドーム周辺は北海道の夏らしい青空と雲とが織り成すさわやかな空気の下にありました。周辺は都心へつながる地下鉄駅のターミナルでもあることから郊外型の住宅と商業施設が集まるエリアとなっており、それらを見下ろすように銀色のドームの屋根が夏の日差しに輝きを見せていました。

函館朝市

函館朝市
(函館市若松町、2011.7.24撮影)
室蘭線車窓

JR室蘭本線から見た噴火湾(駒ケ岳がうっすらと見える)
(北海道伊達市付近、2011.7.24撮影)
福住駅付近

札幌ドーム入口付近、国道36号
(札幌市豊平区福住三条1丁目付近、2011.7.24撮影)
札幌ドーム

札幌ドーム
(札幌市豊平区羊ヶ丘、2011.7.24撮影)

 さらに翌25日は、午前中の便で北海道を離れる前の時間を利用して札幌都心部の西端に位置する円山公園・北海道神宮周辺に足を伸ばしました。この日は雲ひとつない透き通るような青空で、街角の街路樹も、通りを歩いてそのまま誘われる公園内の木々も、最高の緑をきらめかせて、夏のエネルギーを発散させているように感じられました。円山は札幌市街地西方に位置する独立した丘陵で、山全体を覆う森は円山原生林として保護されています。大都会に近接しながら、円山はほぼこの地域の原風景に近い森が維持される貴重な存在であるようです。その丸山の北麓は円山公園として整備され、動物園や競技場、野球場などがあって市民の身近な憩いの場となっています。

 さらに、この円山の北側一帯は札幌開拓時に円山を都市建設の西の守りとすることを決め、北海道開拓の守護神として1871(明治4)年に札幌神社として社殿が造営されました。1964(昭和39)年には北海道神宮と改称され現在に至ります。境内には北海道開拓に功労のあった偉人を祀る開拓神社や、鉱業関係殉職者を祀る鉱霊神社、北海道拓殖銀行の物故功労者を祀る穂多木神社の末社が鎮座しています。札幌は北海道の経済文化の中枢となり、市街地は円山を越えてさらに西へと拡大していますが、円山と境内地だけは開拓の精神と地域の原風景とを静かに記憶しながら、今日まで成長してきた北海道の姿を見守っているように感じられました。

円山

円山公園駅付近から見た円山
(札幌市中央区大通西27丁目、2011.7.25撮影)
円山公園

円山公園(北一条宮の沢通り付近)
(札幌市中央区宮ヶ丘、2011.7.25撮影)
北海道神宮

北海道神宮
(札幌市中央区宮ヶ丘、2011.7.25撮影)
札幌駅

JR札幌駅・JRタワー
(札幌市中央区北五条西4丁目付近、2011.7.25撮影)

 最後に大通公園の平和な姿を目に焼きつけながら札幌駅へ向かい帰路に就きました。私の北海道訪問は多くの人が北海道に対して抱くように、そこが持つ広大かつ潤沢な自然風景をいっぱいに感じることから始まり、開拓の中で整えられてきた都市と田園を観察しながら、北海道の歴史を大きく彩った炭鉱の時代も踏まえつつ、開拓の歴史を跡付けるように想像を膨らませる道のりであったように思います。今後もそうしたスタンスを維持しながら、北海道が持つ美しい自然風景や歴史に跡付けられた町や港や田園の風景を見つめていくこととなるでしょうか。このあまりに大きい札幌の近傍にあり、空の玄関口として多くの航空機が発着するターミナルでありながら、周辺に広大な森や田園風景を残す千歳近くの風景を電車の車窓から眺めながら、そうした思いに駆られていました。

-完‐


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