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北信越桜紀行2007

 2007年4月14・15の両日、満開を迎えた桜を追って長野・新潟・富山へと向かいました。一日一日、刻々と変化する桜前線を追いながら、北陸・信越のたおやかな地域を見つめます。

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ページ設置:2008年4月1日

芽吹きの季節 〜群馬、長野、そして新潟へ〜

 2007年4月14日午前8時。早朝の山里は快晴ながらまだ肌寒い空気に包まれていました。水ぬるむ地面からはふきのとうが顔を出しています。そんな空気の中、みずみずしい桜色の花弁が、朝日に透かされながらさわやかな色彩を見せていました。ダム建設工事が進む、群馬県東吾妻町岩下地区。かつては多くの子どもたちの声がこだました敷地を見守るように、「おまき桜」はありました。エドヒガンザクラで、推定樹齢は250年。旧岩島第二小学校の校庭脇にある大木の桜です。この岩下地区を含む岩島地区は、古くから麻の栽培が盛んで、桜の開花が麻の種を蒔く適期であったことから、「おまき(お蒔き)桜」の名がつけられたのだといいます。季節感が日常生活のサイクルに直結していた風情を感じさせる桜木の佇まいは、穏やかな山里の雰囲気にしっとりと寄り添って、快い朝日を浴びて凛とした姿を見せていたように思いました。

 吾妻渓谷に沿って国道を進み、鳥居峠から菅平を抜け、須坂市街地へ。ここには日本さくらの名所100選にもリストアップされている臥竜公園があります。公園のソメイヨシノはほぼ満開を迎えていまして、到着は午前10時前で、花見客や隣接する動物園を訪れる人々で少しずつ人出が増え始めていました。須坂市街地の南に接する臥竜山の自然をそのまま取り込んだような公園は、春のソメイヨシノの美しさを言うに及ばず、ツツジや秋の紅葉など、四季それぞれに輝きを見せる、市民にとっては"故郷の顔"であるとのことです(市ホームページ記載の「長野の自然100選」抜粋記事より一部引用)。さわやかながらも冷たさの残る早春のような晴天の下、ソメイヨシノの公園は一際輝きに満ちていました。須坂市街地は、須坂藩の館町として、また大笹街道と谷街道とが交差する町場として形成され、明治期以降は製糸業の興隆とともに多くの町屋建築や蔵が建設された、趣のある町並みも魅力となっておりまして、たいへん和やかな町歩きを楽しむこともできました。

おまき桜

おまき桜
(東吾妻町岩下、2007.4.14撮影)
須坂

須坂市街地の町並み
(須坂市須坂(字東横町)、2007.4.14撮影)
菜の花畑

菜の花畑の景観
(飯山市瑞穂、2007.4.14撮影)
妙高山

矢代川水辺公園より妙高山を望む
(妙高市上四ツ屋、2007.4.14撮影)

 千曲川の河谷を駆け上り、飯山市菜の花公園へ。まだ本格的な開花期ではなかったものの、春の穏やかな陽光を受けた菜の花は少しずつその鮮やかな色彩をしっとりとした空気に馴染ませ始めていました。雄大な河谷を形成する千曲川のダイナミックな景観に、残雪の残る山々のスカイラインが重なる風景は、まさに爽快の一言に尽きます。背後の山々はたおやかな山並みを見せておりまして、扇状地に穏やかな集落や耕地が重なる景観は、本当にのびやかです。童謡「朧月夜」のモチーフともされている菜の花の丘を彩るのは、当地の名物「野沢菜」の菜の花とのことです。付近にある小学校のソメイヨシノは5分咲き程度で、山々の木々は萌え出ずる季節を目前に、つかの間の小休止をしているかのようです。菜の花畑が一面の黄色に染まる頃には、周辺の風景もより青々としたイメージに包まれているのでしょうか。

 暖冬の影響でやや雪の少ない妙高山を背景にしたユキヤナギやソメイヨシノの姿を妙高市の河川敷で楽しみながら、桜の名所として全国的にたいへん著名な上越市高田公園へ向かいます。この日は午後から風が強くなり、城跡のお堀は時折大きく波立っていました。高田公園の主要部構成する城跡一帯は、高校や運動場などの文教施設の敷地として供されています。その公園を多い尽くすように、約4000本もの桜が植えられています。「さくらロード」と名づけられた桜のトンネルや、本丸跡に復元された三重櫓周辺の桜並木、初夏になると蓮の花で覆われるという堀端の桜など、どこをとっても桜色に満ち溢れた公園はまさに桜の海にどっぷりと浸かっているかのようです。快晴の空に映える桜、妙高山の残雪の輝きにアクセントを与える桜、そして極上の輝きと華やぎとを見せる夜桜は、三大夜桜のひとつに数えられているようです。この日は凍えるような北風の中、夕刻まで桜のさざなみの中を漂いながら、さまざまな表情を見せる桜色に酔いしれていました。

高田公園

高田公園・三重櫓と夜桜
(上越市本城町、2007.4.14撮影)
高田公園

高田公園の夜桜
(上越市本城町、2007.4.14撮影)
高田の中心市街地

高田の中心市街地
(上越市本町三丁目付近、2007.4.14撮影)
高田公園

高田公園から妙高山を望む
(上越市西城町一丁目、2007.4.14撮影)


輝きの季節へ 〜春の富山彷徨〜

 高田公園を後にして、ひたすら夜間の北陸道を西し、JR富山駅前にあるホテルに到着したのは午後9時を回っていたと思います。翌朝も前日に引き続き晴天で、午前6時頃からチェックアウト前に町に出て、桜の名所である松川沿いまで軽く富山の町を散策しました。満開を迎えていた高田公園とは打って変わって、松川沿いのソメイヨシノは満開を過ぎ、散り始めの状態でした。高田での肌寒さとは対照的に、富山の市街地は心持ちあたたかいようにも感じられ、季節の移ろいの微妙な差異を感じることとなりました。あるいは、富山市街地の大きさから、ヒートアイランドの影響も少なくないのかもしれないな、とはこの日の活動を終えて、帰宅してから思いなおしたことでした。いずれにいたしましても、松川の桜はやや盛りを過ぎておりました。しかしながら、所々に残る花は松川周辺の落ち着いた風景によく合っていて、春爛漫の情趣を大いに盛り上げていました。満開のときはさぞ美しい桜色のカーテンによって彩られたのだろうか、と想像も膨らみます。城址公園にはベニシダレザクラの大木があって、満開の紅色の花弁を春風になびかせていました。

 ホテルチェックアウト後は、立山連峰のビューポイントである呉羽山公園へ向かいました。春霞や低い雲に覆われていたものの、立山連峰はうっすらとした姿を眼前に見せてくれました。かすんだ峰峰の姿は、かえってすかっとした快晴の下でのクリアな山並みの悠然たる風景を想像させます。やはり桜の名所としていられる呉羽山公園でも、桜は穏やかな色合いを見せておりまして、野辺をいきいきと輝かせるたんぽぽなどの野草とあいまって、春本番へ向かう季節をしなやかに演出していました。

松川の景観

松川の景観
(富山市桜木町、2007.4.15撮影)
富山市役所

松川の桜と富山市役所
(富山市桜木町、2007.4.15撮影)
富山城址公園

富山城址公園
(富山市本丸、2007.4.15撮影)


呉羽山公園から富山市街地を望む
(富山市栄町、2007.4.15撮影)

 水ぬるむ春は、山里にも着実に訪れているようでした。初めて訪れた五箇山は、岐阜県白川郷とともに世界遺産に登録された合掌造りの村々が点在しているエリアです。そんな合掌造りの集落のひとつである菅沼集落は、庄川の刻む深い谷間に囲まれた狭い低地に立地し、茅葺の合掌造りの建物が14棟集積しています。周囲の山々の頂にはところどころ雪が残り、山肌や大地もまだ茶褐色が中心の集落でも、木蓮が花を付けていたり、つくしが顔を出していたり、雪融けの水が水路をこんこんと流れていたりと、間近の春を感じさせる光景が眩しく感じられました。集落の背後に開かれた水田は水が張られ始めておりまして、集落の落ち着いた佇まいを背景として眺めますと、春のうららかな風景がいっそう引き立ちます。ソメイヨシノもまた、満開に近い姿を見せてくれていました。

 五箇山からの帰路、南砺市の地域を歩こうと、城端市街地で車を降り、軽く散策を楽しみました。市街地の一角にある「神明通り」でも、通りの両側に植えられた桜並木がまさに見頃を迎えていまして、周辺の穏やかな町並みともあいまって、日常生活に身近な場所で輝く桜の姿という、桜のもうひとつの味わい方の見本のような風景に感動しました。公園等に計画的に桜を植樹した、いわゆる名所と呼ばれる場所の桜の美しさは格別です。その一方において、卒業や就職、進学の時期と重なり、多くの人々の旅立ちや出会いを演出してきた数々の桜の記憶は、こういった人々の生活に隣り合う場所でひそやかに咲いている桜のものではないでしょうか。通りには、「昭和11年」など、桜樹が植えられた年代を示すものであろう石碑が所々建立されていました。そうした時代から桜の並木路はここにあって、道を通う人々の心をあたたかくさせてきたのでしょうか。

菅沼合掌集落

菅沼の合掌集落
(南砺市菅沼、2007.4.15撮影)
菅沼合掌集落

菅沼の合掌集落と桜
(南砺市菅沼、2007.4.15撮影)
城端神明通り

城端・神明通りの桜
(南砺市城端、2007.4.15撮影)
城端

城端の桜
(南砺市城端、2007.4.15撮影)

 鮮やかな色彩を存分に春の輝きに昇華させる桜、日常生活に隣り合い人々を穏やかに見守る桜、どちらの桜も、真に美しく、尊いものであると思います。新緑の季節を間近に控え、季節が春から初夏への駆け上がるドラスティックな変化を迎えるようとする時、一時の華やかさと情趣を醸し出す桜の姿は、地域ごとの特色ある景観に穏やかに溶け合って、人々の心の中に和やかな感覚を届けています。



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