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きらめきの上州譜

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#7 下仁田の自然と町並み 〜街道筋の町場とジオパークに触れる〜

 2016年11月30日、快晴の早朝に到着したJR高崎駅前は、多くの商業施設が集積する風景が広がり、群馬県のみならず北関東有数のターミナル駅としての風格を感じさせました。JR駅の改札から階下へ下り、この駅が始発のローカル電車-上信電鉄線-のホームへと進みました。富岡製糸場で知られる富岡市を経て、終着駅の下仁田駅まで乗車した人は、私を含めても十人足らずであったように記憶しています。こぢんまりとした駅舎を出て東へ、市街地の北側を迂回するように進む国道254号沿いにある役場で地図を受け取り、散策をスタートさせました。

高崎駅西口

JR高崎駅西口の景観
(高崎市八島町、2016.11.30撮影)
高崎駅東口

JR高崎駅東口の景観
(高崎市八島町、2016.11.30撮影)

下仁田駅

上信電鉄下仁田駅
下仁田町下仁田、2016.11.30撮影)
下仁田市街地俯瞰

山際稲荷神社から根なし山と下仁田市街地を眺める
下仁田町下仁田、2016.11.30撮影)
下仁田の景観

下仁田・集落と畑地の見える景観
下仁田町下仁田、2016.11.30撮影)
鏑川

鏑川(八千代橋より)
下仁田町川井/下仁田、2016.11.30撮影)

 国道沿いにある山際公園の奥、石段を上った先に鎮座する山際稲荷神社から、鏑川と南牧川の合流点に発達した下仁田の町並みを望みます。町を囲むように点々とある小さな山は、クリッペ(根なし山)と呼ばれる地形で、別の場所から移動してきた岩体が浸食されて残って形成されました。下仁田町周辺ではこうした地質学的に貴重な地形が随所に認められることから、「下仁田ジオパーク」の認定を受けています。下仁田町歴史館にて豊富な展示資料を閲覧し、幕末における水戸浪士と高崎藩士とが交戦した「下仁田戦争」にまつわる史跡などを巡りながら、市街地へと歩を進めます。まとまった宅地と畑地とが交錯する地域を抜け、鏑川に架かる橋を渡って、南牧川の河谷へと進んでいきます。
 
 かつての小学校の建物を利用した下仁田町自然史館は、下仁田ジオパークの拠点施設として位置づけられています。付近には「跡倉のフェンスター(地窓)」や、先述したクリッペのすべり面が観察できる場所があり、珍しい地質を間近に観察することができます。もとからあった緑色片岩の層の上に、別の場所から移動してきた根なし山を構成する地層が覆い被さっているのですが、自然史館の付近では、地層がずり動いた痕跡や、上の層の一部が河川に浸食されて緑色片岩が窓のように顔を出したもの(フェンスター)を確認することができるというわけです。下仁田町にはこれらのほかにも中央構造線の断層も見ることができまして、日本列島成立にまで遡る、地質と地層の宝庫となっています。
 
跡倉のフェンスター

跡倉のフェンスター
(下仁田町青倉、2016.11.30撮影)
クリッペのすべり面

クリッペのすべり面が見える地層
(下仁田町青倉、2016.11.30撮影)
下仁田町自然史館

下仁田町自然史館
(下仁田町青倉、2016.11.30撮影)
青岩公園

青岩公園
下仁田町吉崎、2016.11.30撮影)
下仁田の町並み

下仁田の町並み
(下仁田町下仁田、2016.11.30撮影)
中央通り

下仁田・中央通りの景観
下仁田町下仁田、2016.11.30撮影)

 鏑川と南牧川の合流点にある青岩公園で緑色片岩気韻の岩が作る景観を一瞥した後は、甘楽郡西部における中心都市として存立してきた下仁田の町並みを散策しました。中山道の脇往還に沿う下仁田は、交通の要衝として大いに繁栄した歴史があります。上信電鉄線はその名にあるとおり、当初は長野県佐久地方まで路線を延ばす計画で建設された経緯があり、そのことは下仁田がそれほどまでに輸送量の多い街道筋の町場であったことを示しているともいえます。幹線道路沿いに隙間無く続く家並みや、町屋造や土蔵が多く残されたその姿に、往時の繁栄を垣間見ました。

 ※このフィールドワークは、JR東日本・上信電鉄共催の「駅からハイキング 昭和レトロな町並をぶらり 〜世界遺産とジオパークのあるまち下仁田」に参加する形で実施しました。

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