Japan Regional Explorerトップ > 地域文・関東甲信越地方 > きらめきの上州譜・目次

きらめきの上州譜

#18ページ
#20ページへ→
#19 世良田地区から境町へ 〜旧宿場町とその周辺の風景〜

 2020年5月30日、コロナ渦の現況を鑑み緊急事態宣言が続く中、地元太田市近傍を巡るフィールドワークは、太田市の西側、世良田地区から伊勢崎市の境町エリアへと進みました。東武鉄道の駅名にもなっている世良田地区は、旧日光例幣使道の宿駅であった境町から東へ分岐する往還に発達した在郷町で、近世の行政村として発足した「世良田村」は、この境町と東の尾島町に分割編入され現在に至ります。町場としての世良田は旧尾島町側にあって、長楽寺や世良田東照宮を中心としたエリアは「尾島歴史公園」として整備され、憩いの場となっています。

長楽寺勅使門

長楽寺勅使門
太田市世良田町、2020.5.30撮影)
長楽寺

長楽寺
太田市世良田町、2020.5.30撮影)
旧世良田村役場の建物

旧世良田村役場の建物
太田市世良田町、2020.5.30撮影)
世良田八坂神社

世良田八坂神社
太田市世良田町、2020.5.30撮影)

総持寺

総持寺
太田市世良田町、2020.5.30撮影)
早川の風景

早川の風景
太田市世良田町/伊勢崎市境女塚、2020.5.30撮影)

 世良田交差点の北、県道に面する八坂神社の参道を北へ入ると、尾島文化財事務所として使われているモルタル造りの洋風建築にたどり着きます。1928(昭和3)年建築の旧世良田村役場の建物で、この時期における庁舎建築の好例として国の登録有形文化財の指定を受けるものです。県道を挟み、西を貫流する早川を背に境内を擁する総持寺は、別名「館の坊」ともいい、中世における総領家クラスの新田館跡に建てられた寺院です。山門の脇にある鐘楼の梵鐘は、世良田祇園の宵宮に、普門寺の梵鐘と呼応して屋台の曳き下がりの合図に使用されていたほか、時鐘としての役割も持っていたとされます。初夏の日差しをゆるやかに受ける早川の流れを渡りますと、旧境町、現在は伊勢崎市域へと入ります。

 前述のとおり、境町の中心市街地は旧日光例幣使道の宿場町でした。境栄交差点で北へ入る県道312号はその街道筋をなぞる路線ですが、明治期の地勢図を見ると境市街地付近では実際の街道筋は県道より西側をクランク状に通過していたようで、現在の境稲荷神社の西側でそれは町中に通じていたようです。境宿の町並みはその地点を東の端として発達し、境萩原交差点における三叉路付近あたりまで町場が形成されていました。現在でも県道沿いには町屋造りの建物も多く認められて、近代に入ってもその中心性を維持していたことが見て取れました。境町駅の近くには繭の貯蔵施設としてつくられた赤レンガ倉庫が残り、養蚕地域における集散地の一つとして、鉄路と結びついた生産・流通の拠点となっていたことが偲ばれます。駅の南を流れる佐波新田用水路はプロムナードとして修景されていて、市街地における貴重な緑地空間となっているようでした。

旧境宿の町並み

旧境宿の町並み
(伊勢崎市境栄、2020.5.30撮影)
境赤レンガ倉庫

境赤レンガ倉庫
(伊勢崎市境、2020.5.30撮影)

境町駅

境町駅
(伊勢崎市境、2020.5.30撮影)
境新田用水修景地区

佐波新田用水修景地区
(伊勢崎市境百々、2020.5.30撮影)

旧平塚河岸付近の利根川

旧平塚河岸付近の利根川
(伊勢崎市境平塚、2020.5.30撮影)


高窓のある民家
(伊勢崎市境平塚、2020.5.30撮影)

 境交差点から南へ続く道は、利根川の平塚河岸へと続く道筋で、明治期の地勢図においても東京と前橋を結ぶ主要道路として大きく描かれています。現在の沿線は豊かな田園地帯となっていて、上武大橋にほど近い旧河岸付近にも往時の面影は認めることはできません。境平塚の集落には、養蚕のために換気を行う高窓を擁する民家が散見されました。

#18ページ

#20ページへ→

このページのトップにもどる    かがやきの上州譜目次へもどる

トップページに戻る



(C)YSK(Y.Takada)2022 Ryomo Region,JAPAN