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関東の諸都市・地域を歩く


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#131 太平山神社、あじさい坂の色彩 ~初夏の太平山を横断する~

 2017年6月24日、JR栃木駅前を訪れました。この日は梅雨入り間もない時季らしい、薄曇りの天候でした。栃木といえば、巴波(うずま)川沿いや中心市街地における蔵造りの町並みが有名です。駅前から市街地へ進み「小江戸」や「小京都」などとも称される、歴史的な町並みをまずは概観しました。巴波川沿いの石畳の散策路には、ヤナギがしなやかな枝を風に揺らして、アジサイやノウゼンカズラなどの仲夏の花が潤いを与えていました。

栃木の町並み

東武鬼怒川温泉駅前
(栃木市倭町、2017.6.24撮影)
巴波川沿いの景観

巴波川沿いの景観
(栃木市入舟町、2017.6.24撮影)
巴波川沿いの家並み

巴波川沿いの家並み
(栃木市入舟町、2017.6.24撮影)
太平山神社の鳥居

二杉橋西詰、太平山神社の鳥居
(栃木市平井町、2017.6.24撮影)
太平山神社へ向かう県道

太平山神社へ向かう県道
(栃木市平井町、2017.6.24撮影)
あじさい坂入口

あじさい坂入口
(栃木市平井町、2017.6.24撮影)

 駅前に戻り、市道を西へ、アジサイの名所として知られる太平山へと向かいました。栃木西中や栃木商業高校のある一角を通ってさらに進みますと、太平山公園へと進む県道へと行き着きます。県道はすぐに永野川を、袂に鎮座する神社と同じ名前の二杉橋によって越えます。橋の西詰には太平山神社の大鳥居があって、神社が社殿を構える太平山の山並みに向かい合っていました。國學院栃木中学校・高等学校の傍らを通過するあたりからは県道の勾配はだんだんと大きくなってきまして、歩道沿いにアジサイが植えられ、太平山神社への参道としての雰囲気が増していきます。そして、車道が太平山公園へと一気に駆け上るようにカーブを描くあたりが、太平山神社参道、通称「あじさい坂」のスタート地点となります。石畳の参道の両側にはたくさんのアジサイが植えられていまして、梅雨空の下、しっとりとした色彩を放っていました。傍らには連祥院六角堂があって、太平山神社の別当寺院として建立された歴史を今に伝えていました。

 あじさい坂の石段は、およそ1,000段あると紹介されます。鳥居を潜り、杉木立の間の谷筋を駆け上がるようにして進む石畳の参道は、白や桃色、青色などのアジサイによって彩られていまして、時折雲間から覗く青空から差し込む薄日に照らされていっそうその穏やかな色合いが清浄なものに感じられます。カエデなどの新緑もさわやかさを届けて、梅雨の季節の情趣を引き立てています。あじさい坂入口からおよそ10分ほど登りますと、青銅製の鳥居が緑に包まれた森の中に屹立していました。底を過ぎますと、石畳の道はさらに勾配を増した石段へと移り変わっていきます。参道の途上には幹の太い、樹齢を重ねた杉の木も少なからず認められまして、円仁(慈覚大師)が827(天長4)年に、淳和天皇の勅額をうけて入山し創建されたという神社の来歴を彷彿とさせました。

連祥院六角堂

連祥院六角堂
(栃木市平井町、2017.6.24撮影)
あじさい坂の景観

あじさい坂の景観
(栃木市平井町、2017.6.24撮影)
あじさい坂

あじさい坂・太平山神社の鳥居
(栃木市平井町、2017.6.24撮影)
太平山神社参道の石段

太平山神社参道の石段
(栃木市平井町、2017.6.24撮影)
太平山神社・随神門

太平山神社・随神門
(栃木市平井町、2017.6.24撮影)
太平山神社

太平山神社
(栃木市平井町、2017.6.24撮影)

 さらに森の中の石段を上っていきますと、参道を横切る車道の前に、朱塗りの随神門がその壮麗な装いを見せてそそり立っていました。1723(享保8)年建築の随神門は、前に左右大臣を、後ろに仁王の守護神を配しており、太平山が寺院の山として栄えていた頃の名残であると紹介されていました。随神門は明治期の廃仏毀釈後そう呼ぶようになったもので、神仏混淆の頃のそれは仁王門であり、その位置づけの変遷に伴い仁王と心像の安置場所が変えられたものであるとも説明されていました。随神門から本殿までは再び石段となり、両側の石灯籠が並ぶ間にはアジサイが彩りを添えていました。あじさい坂入口から上り始めて約25分、ようやく太平山神社の本殿前へとたどり着くことができました。大小たくさんの社殿が並ぶ境内を北東方向に進んでいきますと、栃木市街地方面への眺望が開けます。数軒の茶店が営業していまして、関東平野の縁辺の丘陵である太平山から市街地へと続くパノラマを前に、しばし休息の時間を過ごしました。

 太平山神社から先はあじさい坂とは反対側の斜面を下り、「謙信平」と呼ばれる一角へと進みました。謙信平の周辺にも飲食店が立ち並んでいまして、太平山神社へと向かう人々を惹きつけていました。謙信平からは南側への眺望が開けて、太平山から続く丘陵の山並みの先に、茫洋たる関東平野が広がる様子を美しく見通すことができます。戦国時代、関東平定を競い対立した上杉謙信と北条氏康は、1568(永禄11)年9月に近傍の大中寺にて和睦を結びます。その後謙信は太平山へ赴き、関東平野を見渡してその広大さに感嘆した故事から、謙信平の名があるとのことです。この日は薄曇りの天気であったため、遠くまで視界に入れることはできませんでしたが、条件がよければ富士山や都心まで一望の下にすることができるようです。謙信平からは、所々にアジサイが穏やかな表情を見せる山間の道を進み、先ほどの逸話の中にも見える古刹・大中寺へ。やはりアジサイが見頃を迎えていた参道の石段を上りますと、周囲の森に抱かれるようにして、壮麗な堂宇が開かれていました。元は真言宗の寺として久寿年間(1154~1155)に建立されましたが、快庵妙慶(かいあんみょうけい)禅師が1489(延徳元)年に曹洞宗の寺として再興したといわれます。雨月物語の青頭巾ゆかりの寺として、七不思議の伝説によっても知られています。

太平山神社境内から栃木市街地を望む

太平山神社境内から栃木市街地を望む
(栃木市平井町、2017.6.24撮影)
謙信平からの俯瞰

謙信平からの俯瞰
(栃木市平井町、2017.6.24撮影)
大中寺参道のアジサイ

大中寺参道のアジサイ
(栃木市大平町西山田、2017.6.24撮影)
大中寺

大中寺
(栃木市大平町西山田、2017.6.24撮影)
太平山と溜池の見える風景

太平山と溜池の見える風景
(栃木市大平町西山田、2017.6.24撮影)
ブドウ畑

ブドウ畑越しに関東平野を見通す
(栃木市大平町西山田、2017.6.24撮影)

 
大中寺からは丘陵に沿って西へ進み、穏やかな集落景観や、初夏の太平山周辺の緑の只中を歩きました。清水寺まで到達してからは、平野までなだらかに下る立地を志向し多く栽培されるぶどう畑の様子を一瞥しながら、田植えの終わった田園地帯を経てJR大平下駅、次いで東武新大平下駅へと歩いてこの日の活動を終えました。多くの風光と歴史的な史跡に富んだ大平山周辺は、初夏の穏やかな空気に包まれて、この上のないきらめきとしなやかさとに溢れているように感じられました。


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