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関東の諸都市・地域を歩く


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#139 横浜市磯子から根岸へ歩く ~都市化と工業化著しい地域に見る風光~

 2017年12月2日、横浜市南部のJR磯子駅前はやや雲が広がりながらも穏やかな冬晴れの朝を迎えていました。磯子駅前には小規模ながらもバスターミナルがあって、周辺にはマンションが林立して大都市圏郊外の住宅地域としての様相を呈していました。元来丘陵地が海岸まで迫り平坦地が少ない土地柄でしたが、近代以降沿岸部の埋め立てが進んで工業地域化し、また1964(昭和39)年には現在のJR根岸線が到達、都心と直結したことで交通環境も飛躍的に改善しました。左手に切り立つような丘陵地を間近にしながら国道16号沿いを歩きますと、戦後の闇市を起源とする商店街「浜マーケット」に到達しました。現代的な市街地へと表情を変えてきた町に合って、昭和の雰囲気を感じさせます。

磯子駅前

JR磯子駅前
(横浜市磯子区森一丁目、2017.12.2撮影)
磯子の町並み

磯子の町並み(国道16号)
(横浜市磯子区磯子二丁目、2017.12.2撮影)
浜マーケット

浜マーケット
(横浜市磯子区久木町、2017.12.2撮影)
横浜市電保存館

横浜市電保存館
(横浜市磯子区滝頭三丁目、2017.12.2撮影)
堀割川

堀割川
(横浜市磯子区滝頭三丁目/坂下町、2017.12.2撮影)
根岸なつかし公園

根岸なつかし公園
(横浜市磯子区下町、2017.12.2撮影)

 磯子警察署先の交差点から北に進みますと、横浜市電保存館が立地しています。東に接する国道16号もかつては市電の路線敷で、保存館は市電の車庫跡に建設されています。横浜市電は1972(昭和47)年に全廃されていますが、この時期には全国的にも多くの都市で路面電車が廃止されています。都市の隅々までを網羅した交通機関が短い間に自動車交通に取って代わられた事実は、モータリゼーションを推進した高度経済成長が我が国の地域構造を激変させた歴史を伝えています。市電保存館からは人工河川である堀割川を渡り、中区と磯子区の教会近くの丘陵地をなぞるように、穏やかな住宅地域を進みました。明治から大正期に活躍した有力商人である柳下氏の邸宅跡を公園とした「根岸なつかし公園」には、和風建築と洋風建築とが並び立つ風景が残されていまして、文明開化によって変貌した港湾都市・横浜の黎明期の姿をとどめているように感じられました。清らかな緑に覆われた丘陵地を背にする敷地からは、美しい海岸の風景を望むことができたことでしょう。現在では眼下の町並みを介し、埋め立て地に造成された製油所の施設群を望みます。

 根岸八幡神社を訪れた後は、磯子駅前同様マンションや商店などが集まるJR根岸駅前を経て中区域へと進み、急勾配の石段の先に鎮座する白滝不動尊へと向かいました。丘陵上の開発が進む前は神社のその名のとおり豊富な水量の滝が存在していたということですが現在は一筋の小さな流れが残るのみとなっているようです。滝の周囲を含めて社殿を多う植生は温かみに満ちた照葉樹を含んでいて、そうした緑が海に近接して輝いていた往時の姿を映しているかのようです。崖上と崖下とを結ぶ路地には石段となっていて車両が通れない箇所も多く、丘陵性の台地が卓越しまとまった低地が比較的少ない横浜近隣の地域性を反映していました。丘陵上も住宅地として切り開かれた町並みが続く先に、根岸森林公園の豊かな緑地帯があって目を引きました。ここは横浜競馬場(根岸競馬場)の跡地で、敷地内には馬の博物館などを包含する根岸競馬記念公苑も所在しています。

根岸八幡神社

根岸八幡神社
(横浜市磯子区西町、2017.12.2撮影)
根岸駅前

JR根岸駅前
(横浜市磯子区東町、2017.12.2撮影)
白滝不動尊への石段

白滝不動尊への石段
(横浜市中区滝之上、2017.12.2撮影)
白滝不動尊境内の滝

白滝不動尊境内の滝
(横浜市中区滝之上、2017.12.2撮影)
白滝不動尊境内からの眺望

白滝不動尊境内からの眺望
(横浜市中区根岸町三丁目、2017.12.2撮影)
白滝不動尊

白滝不動尊
(横浜市中区根岸町三丁目、2017.12.2撮影)

 根岸森林公園からは再び住宅地の中の坂道を下ってJR山手駅前へと出て、さらに駅北側の駅前商店街的な界隈を経て、山手公園の高台へと足を伸ばしました。公園内の「百段階段」と呼ばれる石段の端には、板状の伊豆石を2枚貼り合わせてつくられた「ブラフ溝」と呼ばれる側溝があります。これは明治期に外国人居留地周辺に盛んに敷設されていたもので、「ブラフ」とは断崖絶壁の意味で、横浜に居住する外国人が山手の地形を指して呼んでいたものであるようです。1870(明治3)年に、居留外国人の手によって日本で始めて建設された洋式公園である山手公園の周辺には、多くの洋館が穏やかな町並みの中に点在していまして、心より散策を行うことができました。山手イタリア山庭園からは、手前の宅地化された地区の先に、みなとみらい地区から山下公園にかけてのエリアを眺望することができました。

 山手エリアを歩いた後は、穏やかな坂道を下って、JR石川町駅に至って、磯子から根岸、そして山手へと進んだウォーキングをひとまずは終えました。初冬の横浜は木々が美しく色づく季節を迎えていまして、異国情緒に満ちた風景も相まって、とても快い地域めぐりを進めることができました。

石段の道

崖上へ上る石段の道
(横浜市中区滝之上、2017.12.2撮影)
根岸競馬記念公苑

根岸競馬記念公苑
(横浜市中区根岸台、2017.12.2撮影)
根岸森林公園

根岸森林公園
(横浜市中区根岸台、2017.12.2撮影)
山手駅方面

山手駅方面へ下る道(上方向を撮影)
(横浜市中区竹之丸付近、2017.12.2撮影)
山手公園・ブラフ溝

山手公園・ブラフ溝
(横浜市中区山手町、2017.12.2撮影)
山手イタリア山庭園

山手イタリア山庭園からの風景
(横浜市中区山手町、2017.12.2撮影)

 石川町駅からは横浜駅を経由し、中山駅へ。そこから高度成長期以降東京大都市圏のベッドタウンとして成長した内陸部の地域の姿を探訪しようと、港北ニュータウンの中心ともいえるセンター地区へと移動しましたが、そこでのことについては次項に改めたいと思います。

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