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関東の諸都市・地域を歩く


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#153 初冬の野田市街地を歩く ~醤油産業で栄える町とその周辺~
 
 2018年11月25日、冬本番を間近に控えたこの日、初冬の千葉県野田市を訪れました。東武アーバンパークライン・清水公園駅の簡素な駅舎を出て西へ、まっすぐ進んだ先に桜の名所として知られる清水公園があります。公園へ続く桜並木は紅葉の季節を過ぎて多くの木が葉を落としていましたが、清水公園に隣接する金乗院の境内ではカエデが色づき始めていまして、すでに朱色に染まったものからまだ緑色が濃いものまで、美しい紅葉のグラデーションが作られていました。

金乗院の紅葉

金乗院の紅葉
(野田市清水、2018.11.25撮影)
旧花野井家住宅

旧花野井家住宅
(野田市清水、2018.11.25撮影)
愛宕神社

愛宕神社・鳥居越しに望む街並み
(野田市野田、2018.11.25撮影)
愛宕神社

愛宕神社
(野田市野田、2018.11.25撮影)
野田市中心市街地

野田市中心市街地の街並み
(野田市野田、2018.11.25撮影)
野田の醤油発祥地の碑

野田の醤油発祥地の石碑(右)
(野田市野田、2018.11.25撮影)

 公園の南隣接して、国指定重要文化財の旧花野井家住宅があります。流山市の旧池から移築されたもので、江戸時代に小金牧の管理を受け持っていたという旧家の往時の姿を現代にとどめているものです。入口の薬医門は別の持ち主から寄贈されたものと説明されていましたが、その豪壮な住宅とよい対照を見せています。花野井家住宅からは、野田市中心部に向かって、穏やかな住宅街を進んでいきます。八幡神社の前を通り県道3号に出て東進しますと、県道17号(流山街道)との交差点に接して愛宕神社が鎮座していました。境内の中央、一段高い場所に造営された社殿は県指定重要文化財で、野田市街地に臨み、火伏の神として信仰を集めた迦具土命を勧請したものと伝わります。

 そのまま県道13号を南へ進んだ先は、野田市の中心市街地たる街並みが連続しています。野田は今更指摘するまでもなく、醤油産業の町としてあまりにも有名です。市のホームページより引用しますと、「野田で醤油作りが始まったのは、伝承によれば永禄年間(1558から70)に飯田市郎兵衛の先祖が甲斐武田氏に溜(豆油)醤油を納め、川中島御用溜醤油と称したとされていることから、野田市において最も古い醤油醸造は飯田家と言われております。その旧飯田家の工場跡(亀屋蔵)に記念碑が残されています。」とあります。果たして、京葉銀行の支店の先、通りを西に少し入った先に、その記念碑を見つけることができました。その銀行の北側の道を西へ入りますと、道の両側にキノエネ醤油の施設群が目に入ってきまして、ここがまさに醤油のまちであることを実感します。

キノエネ醤油

キノエネ醤油の建物群
(野田市中野台、2018.11.25撮影)
社叢の見える風景

鹿島神社社叢の見える風景
(野田市中野台、2018.11.25撮影)
鹿島神社

鹿島神社
(野田市中野台、2018.11.25撮影)
香取神社

香取神社
(野田市上花輪、2018.11.25撮影)
須賀神社

須賀神社
(野田市野田、2018.11.25撮影)
キッコーマン本社

キッコーマン本社
(野田市野田、2018.11.25撮影)

 キノエネ醤油の工場を過ぎて西へ入り、戸建ての住宅が穏やかに立ち並ぶ巷を歩いていきます。街道筋に面した中心市街地を除いては、概して畑地や雑木林の中に家々が点在するような場所であった地域も宅地化が進んでいったようで、豊かな森を蓄えた神社は、そうしった伝統的な景観を残しているように感じられます。その社叢の下にたたずむ鹿島神社を参詣した後は、細い道路が入り組んだ住宅地域を縫って進んでいき、県道19号に境内地が接する香取神社へ、そこから野田市下町交差点へと歩を進めました。直線的に進む県道は近代以降に開通した道路で、住宅地の中を非直線的に細やかに続く道路は農村的な土地利用が卓越した時代のローカルな道路網を反映したものであると考えられます。そうした街路構成に時代の変遷を感じさせます。また、香取神社や鹿島神社の存在も、地域的な信仰圏の存在が垣間見えます。下町交差点近くの須賀神社も、出雲国須賀の地(現在の島根県雲南市)の大神の分魂を災いを祓う幸徳があるものとして江戸時代に勧請したものと伝わります。社殿は東日本大震災による被災で改築されていますが、向拝の部分は損壊が少なく存置されていまして、それは醤油産業が興隆した野田の歴史を物語る存在となっています。

 須賀神社境内の猿田彦像を一瞥し、中心市街地を再び進みます。キッコーマン本社をはじめとした同社の関連施設群が広大な敷地を広げる風景は、国内における醤油のトップメーカーとしての矜持をこれでもかと感じさせていました。創業家の邸宅である野田市市民会館やその庭園は、往時のたたずまいそのままの美観を残していまして、くっきりと雲一つない空の下鮮やかに色づいた紅葉を眺める風景は、初冬の静かな情趣にあふれていました。高架化工事により仮説駅舎が供用されている野田市駅前を経由し、キッコーマンの「もの知りしょうゆ館」に立ち寄りました。そこでは醤油に関する多様な展示や催しが行われていまして、それらを興味深く見学させていただきました。

野田市市民会館の庭園風景

野田市市民会館の庭園風景
(野田市野田、2018.11.25撮影)
野田市駅前

野田市駅前、高架化工事中
(野田市野田、2018.11.25撮影)
キッコーマンもの知りしょうゆ館

キッコーマン「もの知りしょうゆ館」の風景
(野田市野田、2018.11.25撮影)
櫻木神社

櫻木神社
(野田市桜台、2018.11.25撮影)
江戸川沿いの田園風景

江戸川沿いの田園風景
(野田市山崎、2018.11.25撮影)
梅郷駅前

梅郷駅前
(野田市山崎、2018.11.25撮影)

 キッコーマンの広大かつ多様な施設群を目にした後は、それらの南側の住宅地域を歩いて櫻木神社へ。時節柄七五三詣りで賑わう境内では、冬桜の木が冬空にあたたかみのある花をつけていまして、趣を添えていました。江戸川に沿った田園地帯までゆるやかに下る道をたどってその水田沿いを進んだ後は、梅郷駅前へとつながる道路をたどって同駅へと到達、野田市街地の散策を終えました。市街地の中に醤油関連の建物が燦然とした景色を見せる野田の町でしたが、昔ながらの風景を彷彿とさせる穏やかな住宅地や、商業地の安全のために分霊されたものやローカルなものまでを含む多様な神社の存在もあって、それらの事物は地域の小中心から一大産業の中心地へと飛躍したこの町の記憶が刻まれた結果であることを改めて感じさせるものであったように思います。


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