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関東の諸都市・地域を歩く


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#21 小山市街地散歩 〜栃木県南の“中心”都市〜

 2005年国勢調査において、小山市は栃木県で第2位の人口規模となったことが示されました。新幹線の駅を擁し、北関東における南北と東西の主要幹線が交差する小山はその都市基盤を生かして高度経済成長期以降一貫して人口を増加させてきました。現在の小山市街地をめぐっては、以下のような変遷を経ています。現在も城跡などとして残されている城山公園や市役所周辺において大規模な土塁を備えた居館が開かれた後、江戸初期の比較的わずかな期間に譜代大名の城下となり、城主移封後は廃城、城跡には徳川将軍家の日光社参の際に休憩所となる「小山御殿」が造営され、以後他藩や幕府の支配下に置かれるようになります。1633(寛文3)年から1728(享保13)年の間は幕府財政難のために日光社参が行われない間に御殿は老朽化のため解体、その後は日光道中の宿場町として思川の水運等もあいまって、ローカルな交通の要衝としての道を歩みました。近世以降は上述の通り鉄路の拠点としての機能も加わって、その拠点性を向上させてきました。

 小山市役所に自動車を置き、表示板以外はその遺構も十分に判別できなくなっている小山御殿跡地を抜けて、思川に向かってせりあがるような恰好となっている城山公園へ向かいます。城守の神として祇園社(後述する須賀神社のことです)を祀ったことから、小山城は別名「祇園城」とも呼ばれました。桜の名所として緑豊かな公園となっているエリアには、深く刻まれた空堀があり、関東平野で多くの豪族が群雄割拠したであろう中世の雰囲気を今に伝えています。成熟した緑濃きさざなみの向こうには穏やかに流れる思川がかがやいていました。俯瞰される橋は「観晃(かんこう)橋」。明治期以降、小山駅前から栃木方向に開かれた道路上に完成した橋であるようです。「晃」の字は「日」と「光」の文字とに分解できることから「日光」のことを指します。橋の彼方、日光方面の山々が見事に眺望されることからの命名でしょうか。近代黎明期までのわが国における粋な地名命名のセンスには時々うならされます。現代でも見習いたいテイストです。橋上からは思川に沿ってたゆたうような緑につつまれた小山市街地も穏やかに眺望されます。

思川

思川(観晃橋より、北方向)
(小山市小山、2006.9.5撮影)
観晃橋

城山公園から観晃橋を望む
(小山市城山町一丁目、2006.9.5撮影)
城山公園

城山公園・空堀
(小山市城山町一丁目、2006.9.5撮影)
小山駅方向

市街地俯瞰(小山駅方向)
(小山市城山町一/二・中央町一/二、2006.9.5撮影)

 観晃橋からの眺望はたいへん爽快でして、平坦な地形の中にゆるやかに展開している小山の中にあってとびきりの自然環境空間をもたらしているように感じられます。小山市域はおおまかに分類しますと、この思川の流れを境に東はやや起伏のある洪積台地、そして西は広大な沖積低地ということになります。その台地の端の高まりが城山公園(祇園城跡)であり、砦としての防御性の観点からもこの立地が重要視されたことをうかがわせますね。国道50号の小山大橋の南には、祇園城と並び重要な拠点として開かれた鷲城跡もあって、そこはやはり思川の流れに突き出すようなかたちの小丘陵地です。時代は変わって、高台から茫漠たる低地景観を眺め、そしてさらにその先に日本の脊梁たる山脈に向かう地勢は、思川のやさしいせせらぎとあいまって、小山市街地にとってかけがえのない豊かな歴史的、そして環境的な財産となっているように思われます。

 城山公園周辺エリアを後にし、現代の小山市街地へと足を踏み入れます。小山市役所前を通過する国道4号線は1965(昭和40)年に旧道のバイパス的な役割を与えられて完成・拡張された道路です。かつての日光街道を踏襲するのは国道の東に並行する県道(粟宮喜沢線)です。現在は市街地東郊にさらに新国道4号が共用されています。市役所北東の現国道の交差点に架けられた歩道橋から俯瞰した小山駅方面の市街地は中低層の建築物によって充填されていまして、交通の要衝としての拠点性を感じさせます。旧日光街道沿線も現代の町並みの中にある一方で、ところどころには宿場町としての歴史も感じさせる町屋も残されていました。空中歩道で連接する商業施設の下をくぐり、「三夜(さんや)通り」と名づけられた街路を進みますと、町並みもやや丸みを帯びていきます。通りに面して佇む常光寺に二十三夜堂があり、町内の信仰が篤いことから、「三夜通り」の名で呼ばれているようです。駅西口のシンボルロード整備に伴い、この三夜通りも車道にタイルを敷設した現代風のアレンジになっています。常光寺の前の路地を西へ折れ、脇本陣跡付近に出て旧街道を南へ進みますと、程なくして穏やかな木々に包まれた神社参道へと至ります。この付近の街道沿線には豪奢な唐破風の家屋があったり、蔵造りの建物があったりと、現代の都市景観の中にあっても昔をゆったりと語っている事物も認められまして、市街地の風景に奥行きを与えていました。

小山駅

小山駅西口
(小山市城山町三丁目、2006.9.5撮影)
三夜通り

小山駅前・三夜通り
(小山市中央町三丁目、2006.9.5撮影)
旧街道景観

旧日光街道・脇本陣跡付近
(小山市中央町二丁目付近、2006.9.5撮影)
須賀神社参道

須賀神社参道
(小山市宮本町二丁目、2006.9.5撮影)

 須賀神社は小山城造営の際に城の守り神として勧請されたことは先にお話しました。旧街道沿いから現国道を経て、神社本殿まで一直線に参道がつけられています。けやきやいちょうの並木が美しく、朱色に塗られた灯篭が並ぶ景観はたいへん落ち着いた印象です。三夜通りと同じように路面はタイルによって美しく整えられていまして、散策できるように工夫されている一方で、一方通行ながら自動車も侵入してきますので、ゆったりと歩けるとまではいかないようでした。しかしながら、それは周辺における生活道路としての役割もあるのですから、致し方ないのかもしれません。シンボルロードとして整備される前までは一般的な路地と同じような景観を呈していたのかもしれません。須賀神社参道のたおやかな緑に満ちた風景の中を歩きながら、神社への道を歩きました。緑鮮やかな並木と朱色の灯篭のコントラストが本当に美しい雰囲気です。国道は歩道橋により越えることができます。神社にて地域の安寧をお祈りし、国道を北上、市役所に戻って小山市街地の散策を終えました。


 思川をめぐるのびやかな自然景観と、城山公園を中心とした小山市街地のオリジンへの思いを馳せるところから始まった市街地彷徨は、現代の町並みの中にこの町に積み重ねられた歴史的な香りを見つけながら軽やかに進み、須賀神社参道のこの上ない豊かな佇まいの中で存分に感じた地域の凄みの中に結実していきました。栃木県南にはかつての県都として豊かな文化を漂わせる栃木や、小京都などとして歴史をアピールする足利などのまちがあり、都市としての奥行きという意味では小山の町はこれらの“先輩の”都市の陰に隠れてしまうきらいがあったのではないでしょうか。しかし、それは誤りであると断言したいと思います。2時間ほどの市街地散策の中で、これほどまでにまちのよさや地域の歴史を感じさせて、気持ちを揺さぶらせる、それが小山の市街地の魅力であると思います。

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