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そして、近江路へ・・・


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#2 坂本を歩く 〜比叡山門前の町並み〜

 比叡山からケーブルカーで下山し、麓に広がる坂本の町並みを散策します。ケーブル駅から東へ、落ち葉が舞い散る穏やかな森に囲まれた道を辿りますと、日吉東照宮へとたどり着きます。日光東照宮の雛形として建造されたものであるようです。土日祝日のみ拝観可能ということで、金曜のこの日は唐門の外より外観を眺めるだけとなりました。1623(元和9)年に造営されたものの、寛永年間に現在の社殿が再建され、1634(寛永11)年に正遷座が斎行されるという経緯を経ているとのことです。東照宮の門前は急傾斜の石段がつけられた参道となっており、日吉神社参道へと続く県道を横断しますと道は通常の市道となり、坂本の穏やかな町並みの中を続いていきます。

 坂本は比叡山や日吉神社の門前に展開するいわゆる門前町で、参道には延暦寺の里坊が立ち並びます。坂本を特徴づけるもうひとつの、そして忘れてはならない特徴が、「穴太(あのう)積み」と呼ばれる石積みです。日吉東照宮の参道を進み、慈眼堂(信長の死後、延暦寺の再建に尽力した天海僧正の廟所)や滋賀院門跡周辺に掛けては、自然石をたくみに積み上げた、いわゆる「野面積み」の一種である穴太積みを随所に発見することができます。一見粗野に積み上げただけのように見える穴太積みは、内実はとても崩れにくく、排水性に優れているといった利点があります。中世に活躍した技術者集団「穴太衆」が関わったその「歴史的資産」は、坂本の穏やかな町並みや緑に囲まれながら、しっとりとした輝きを見せているように感じられました。

日吉東照宮

日吉東照宮
(大津市坂本四丁目、2007.12.14撮影)
慈眼堂

慈眼堂
(大津市坂本四丁目、2007.12.14撮影)
穴太積み

慈眼堂北側付近・穴太積みの見える風景
(大津市坂本四丁目、2007.12.14撮影)
旧竹林院庭園

旧竹林院庭園
(大津市坂本五丁目、2007.12.14撮影)
日吉神社

日吉神社境内・社叢
(大津市坂本五丁目、2007.12.14撮影)
琵琶湖

日吉神社北より琵琶湖を望む
(大津市坂本五丁目、2007.12.14撮影)

 旧里坊のひとつを庭園として改修した旧竹林院庭園を鑑賞した後、日吉大社の境内を散策しながら坂本地域の散策を続けました。神社の境内にも穴太積みが随所に織り込まれており、朱色の神社の建物やみずみずしい社叢の色彩に溶け込んでいるのがたいへん印象的でした。境内を抜けてからは、水田や集落が点在するのびやかな景観が展開されます。古い民家の基礎や階段状になっている畦の土留めも石積みが使われている場所があって、寺院などの特別なものだけでなく、普段使いの身近な場所においても石積みの技術は生かされているということを実感させる風景でした。

 遠くになめらかに広がる琵琶湖の水面、その向こうに横たわるようにたなびく鈴鹿山地の山々、そして近江富士とも呼ばれる三上山の姿。それらの間を埋める平地に広がる近江平野は、たいへんたおやかで、古来より多くの史実と関わり向き合いながら今日を迎えたこの地域を象徴しているように感じられます。琵琶湖の手前には速達性を重視し踏切をつくらないとのことから全線で高架仕様となっているJR湖西線の鉄路が南北に伸びていて、風景のアクセントとなっています。たどり着いた西教寺は、聖徳太子の創建と伝えられ、明治中期に真盛上人が再興、現在は天台真盛宗の総本山となっている寺院です。塔頭寺院が美しく並ぶ参道を経て勅使門に至り、左手には壮麗な唐門が印象的な宗祖大師殿が配され、右手の石段を登った先には正面の唐破風が印象的な本堂と、京都伏見城から移築したという客殿のある中心伽藍が広がります。西教寺から俯瞰する琵琶湖の見える風景もまた格別です。

西教寺

西教寺・塔頭寺院の立ち並ぶ参道
(大津市坂本五丁目、2007.12.14撮影)
田園風景

田園風景・琵琶湖を望む
(大津市坂本五丁目、2007.12.14撮影)
滋賀院門跡

滋賀院門跡
(大津市坂本四丁目、2007.12.14撮影)
穴太積み

坂本・穴太積みの見える風景
(大津市坂本四丁目、2007.12.14撮影)
坂本

坂本の町並み
(大津市坂本四丁目、2007.12.14撮影)
日吉茶園

日吉茶園(京阪坂本駅前)
(大津市坂本四丁目、2007.12.14撮影)

 穏やかな伝風景の中を再び坂本の町のほうに戻ります。行きにたどった高台の細道より一段下の、現代的に舗装された広い道を進みました。西側の山々の緑豊かな様子や、風にさらさらとたなびく竹林のさわやかさ、そして穴太積みや時折昔ながらの土蔵を擁する民家などのある風景の中を歩いて、たいへん快い雰囲気に浸ることができました。坂本の町並みを歩きながら、里坊ごとに見事に積まれた穴太積みの石積みの美しさに触れるとともに、滋賀院門跡の唐門などの整えられた山門の建築美も眼にすることができました。モータリゼーションが進んだ現在、こうした路地にも多くの自家用車が侵入してきます。散策には注意を要しますが、一方でこうした昔ながらの資産が、今日においても生活の舞台の中に脈々と息づいているということは、たいへんなことなのではないかとも思われます。

 穴太積みに溢れる風景を堪能した後は、虫篭窓や格子窓などが奥ゆかしく配された町屋造りの商家が立ち並ぶ商店街を、京阪坂本駅に向かって歩きました。主に平入の切妻造りの商家が立ち並んでいまして、明治・大正期によく見られる洋風のコンクリート建物も混じっておりまして、大いに栄えた門前町としての坂本の姿も確認することができました。駅の近くには、名物の「鶴喜そば」を出す店も集まっていまして、門前町の風情を演出していました。駅前には、「日吉茶園」の伝統が保存された一角があります。延暦寺開祖最澄が入唐求法の際天台山で茶飲みを得て日本に持ち帰り、坂本の地にそれを蒔いたとされ、坂本は日本における茶の発祥の地でもあるのだそうです。京阪電車に乗車し、大津の散策を続けます。


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