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シリーズ・クローズアップ仙台

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#23 榴ヶ岡(つつじがおか)を歩く 〜身近な憩いの場所の今昔〜


これまで、JR仙台駅の東側の地域として、鉄砲町・二十人町地区新寺・連坊地区などをご紹介してまいりました。3期にわたる区画整理事業を経て、仙台駅東口エリアの町並みの近代化は現在最終段階を迎えつつあるようです。2005年4月9日、このエリアを再び歩く機会がありました。鉄砲町・二十人町地区における旧来の町並みのクリアランスと区画整理は粛々と進められている印象です。東十番丁を継承する街路も、宮城野大通り北側において拡幅が進捗し、国道45号線方面への展望がますます開けるようになりました。一方、宮城野大通りから更地の広がる北側を注意深く観察しますと、南から北に向かって土地が緩やかに、階段状に上っている様子が見て取れます。この階段状の地形は、仙台市街地を流れる広瀬川がつくった河岸段丘の1つで、専門的には「中町段丘面」と「上町段丘面」との間の段丘崖ということになります。仙台市の中心市街地には、勾当台公園のあたりや広瀬川に近い地域など、至るところに段丘崖を反映した坂があり、やや起伏に富んだ地形になっています。

東十番丁の東には、この段丘崖の高低差をさらに上回る高まりが続いています。住所で言うと、榴ヶ岡から五輪一丁目、同二丁目にかけては周囲からは比高にして3〜4メートルほど高くなっていて、市街地から見ますとちょっとした丘となっています。これも同じように河岸段丘によるものかというと、実は違います。仙台市周辺では、太白区南部から仙台市街地を横切り、利府町方面へ、南西から北東方向に連なる複数の活断層帯が形成されていまして(長町利府線と呼ばれます)、この丘は、これらの断層の運動によって隆起した地形であるとされています。宮城野大通りを東へ歩いていましても、仙台駅から暫くは緩やかな上りで、その後は逆に東に向かって下る地形を実感できます。この隆起のことを、専門的には「宮城野撓曲(とうきょく)」と呼びます。仙台市内の地形については、いずれ機会がありましたらまとめてお話しできればと思っています。

拡幅の進む東十番丁

拡幅の進む東十番丁、北方向
(宮城野区東十番丁、2005.4.9撮影)

鉄砲町・和光神社付近

鉄砲町の町並み、和光神社付近
(宮城野区鉄砲町、2005.4.9撮影)
榴ヶ岡天満宮参道

榴ヶ岡天満宮参道
(宮城野区榴ヶ岡、2005.4.9撮影)
榴ヶ岡天満宮

榴ヶ岡天満宮
(宮城野区榴ヶ岡、2005.4.9撮影)

この丘は、榴ヶ岡(つつじがおか)と呼ばれます。読みに忠実に「躑躅が岡」などと表記されることもあり、古来より歌枕として著名なこの岡は、かつてはつつじが多く咲いていたといいます。この丘では、1189(文治5)年に藤原泰衡が源頼朝の群に抗った国分鞭楯(むちたて)であるとされ、また伊達政宗が仙台に城下町を建設をする際、築城の有力な候補地であったとも伝えられています。東十番丁から旧仙石線の廃線跡付近を進み、榴ヶ岡天満宮へ続く石段を登って、榴ヶ岡へと進みました。榴ヶ岡天満宮は、1667(寛文7)年仙台藩四代藩主綱村が東照宮に隣接して祀られていた小田原天神社を遷宮したもので、綱村はさらに1695(元禄8)年に、亡き母の菩提を弔うため榴ヶ岡の北側に釈迦堂を建立しました(1971年に釈迦堂は新寺小路の孝勝寺に移築されています)。この際桜の馬場や弓場も整備し、多くのシダレザクラを植え、「四民遊覧の地」として開放しました。榴ヶ岡公園は1977(昭和52)年に仙台市の公園として再整備が行われ、桜や梅をはじめとしたおよそ2,700本の花木が溢れる緑豊かな憩いの場所となっています。桜並木は開花を直前に控え、すずなりについた蕾は桜色に染まって今にも咲き出しそうに見えました。榴ヶ岡公園は西公園(青葉区桜ヶ岡公園)と並ぶ、仙台における花見の名所として知られます。



榴ヶ岡公園、桜並木
(宮城野区五輪一丁目、2005.4.9撮影)
見える建物は歴史民俗資料館

榴ヶ岡公園の景観
(宮城野区五輪一丁目、2005.4.9撮影)
榴ヶ岡公園からの景観

榴ヶ岡公園から南方向を俯瞰
(宮城野区五輪一丁目、2005.4.9撮影)
榴ヶ岡公園の景観

榴ヶ岡公園から南西方向を俯瞰
(宮城野区五輪一丁目、2005.4.9撮影)

桜の植えられたエリアの東には、広大な芝生の公園が広がります。春の穏やかな朝、公園を散策したり、キャッチボールをしたりする人々の姿が見られました。公園の一角に、仙台市歴史民俗資料館があります。1874(明治7)年に建築された宮城県最古の洋風建築で、白い外壁の美しい簡素な外観が印象的な建物です。この建物は旧歩兵第四連隊の兵舎として建設されたものです。四季折々の豊かな景観を楽しめる場所として今も昔も多くの人々に親しまれ続けてきた榴ヶ岡公園も、一時歩兵隊の練兵場となっていた時期があったことを今に伝えております。

榴ヶ岡公園から南へ向かいますと、宮城野大通り方面への視界が開け、現代都市仙台の景観を展望することができます。眼下の町並みは移り変わっていきますが、仙台の人々にとって身近な行楽の場所として、榴ヶ岡公園は今も昔も穏やかな佇まいを見えてくれています。


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