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シリーズ・クローズアップ仙台

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#88 黒松団地を行く 〜仙台郊外における大規模団地の先駆け〜

 2013年11月2日、地下鉄八乙女駅周辺を確認した後、地下鉄南北線が進む谷津の東側の丘陵地に開発された東黒松団地に入り、メインの通りを南下、地下鉄黒松駅方面へと向かっていました。真美沢堤の東にはまとまった緑地が残されていまして、真美沢公園として供用されています。東黒松団地を縦断してきた道路はこの丘陵性の緑地を切通して黒松駅前へと続いていきます。この道路によって分断された公園を連絡する歩道橋も架けられています。緑地には多くの松の木が見られまして、これが団地形成前に「黒松山」と呼ばれていた所以であるのかもしれません。

黒松駅への道路

真美沢公園の間を地下鉄黒松駅へ向かう道路
(泉区旭丘堤二丁目、2013.11.2撮影)
黒松駅前から見た地下鉄

黒松駅前から見た地下鉄高架
(泉区黒松三丁目、2013.11.2撮影)
黒松駅

地下鉄黒松駅
(泉区旭丘堤二丁目、2013.11.2撮影)
黒松団地の景観

黒松団地の景観
(泉区黒松三丁目、2013.11.2撮影)

 東黒松団地が完成したのは、1978(昭和53)年頃であることは既にお話ししました。周辺を見渡しますと、東南に南光台(1975(昭和50)〜1977(昭和52)年に住居表示実施)、真美沢公園の丘陵地を挟んで南に旭丘堤(1974(昭和49)年住居表示実施)があって、それぞれが独自の区画をもって、モザイク状に団地が分布していることが見て取れます。そして、これらの泉区内(旧泉市内)の団地の南、青葉区内(合併前からの仙台市内)には、1965(昭和40)年に住居表示が行われた旭ヶ丘団地があります(旭ヶ丘は仙台市で最初に住居表示が施行された地区と記憶します)。このように、住居表示の実施年度と各団地の分布とを照合しますと、仙台市中心部に近い場所から徐々に外縁へ、丘陵地域の宅地化が進行したことが理解されます。そして、地下鉄駅名にも採られた黒松団地は、1973(昭和48)年の住居表示実施地区ですが、実はこの団地の造成は1959(昭和34)年には開始されており、旭ヶ丘団地とほぼ同時期には完成していた、この地域では最古参の大規模団地といえる地域です。

 黒松駅は、真美沢堤のある窪地の上に建設されています。黒松駅のすぐ南まで地下を進んできた鉄路は、この谷間の部分で地上に出て、その谷筋を高架で抜けていきます。駅前を通過する道路も谷間に蓋をして通されています。その「橋上」からは、真美沢堤を取り囲む緑豊かな谷間をさっそうと北へ向かう地下鉄のようすを眺めることができました。生協の店舗が立地するほかは目立った商業集積は無い駅前を一瞥し、緩やかな坂道を上って、完成当時は旧泉市内では随一の規模を誇ったという黒松団地へと向かいました。

黒松団地の景観

黒松団地の景観
(泉区黒松一丁目、2013.11.2撮影)
黒松団地の景観

黒松団地、団地越しに泉ヶ岳方面を眺望
(泉区黒松二丁目、2013.11.2撮影)
水田と地下鉄高架

真美沢堤近くの水田と地下鉄高架
(泉区八乙女中央五丁目、2013.11.2撮影)
真美沢堤を越える地下鉄

真美沢堤を越える地下鉄
(泉区七北田、2013.11.2撮影)

 地下鉄線、すなわち丘陵地を削る谷間のカーブに並行するように緩やかな曲線を描く南北の二本の道路に挟まれて、県営住宅やUR都市機構(旧公団)の集合住宅などの団地が立ち並び、高度経済成長期に完成した団地のよすがを今に伝える景観が広がっていました。丘陵地の尾根筋に沿って平坦な土地を整備し、それを基準に区画が整理されているため、東西は緩やかに下る傾斜が付けられています。戸建て住宅が立ち並ぶ西側の住宅地域の向こうには、仙台川の作る谷間を介してその西の丘陵の緑を介し、遠く泉ヶ岳方面を眺望することができました。この団地が完成した当時は、周辺はほぼ緑濃い丘陵地域であったことを考えますと、丘の上に建設された巨大団地は、高度経済成長と仙台都市圏の郊外化とをまさに象徴するような存在であったであろうことが想像に難くありません。その後は前述のように宅地化は周辺部へと拡大し、現在は真美沢堤の北の谷筋にも、八乙女駅方向から宅地化の波が浸透していまして、比較的古い丘陵上の団地から、新しい家並が続く崖下の宅地を見下ろすという形になっているのが印象的でした。

 黒松三丁目の住宅地域から東へ、真美沢堤の周りの緑地へと入り、斜面を下って地下鉄高架の下をくぐりますと、農業用の溜池として造られた真美沢堤のほとりへと出ました。堤の北側には、わずかながら水田が残っていまして、宅地が開発される前の原風景をとどめていました。その田んぼの畔に立ち、その横を高架で抜けていく地下鉄の車両を見る光景は、この地域は歩んだ半世紀がいかに劇的な変容を伴ったものであるかを物語っているように思えました。


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