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シリーズ・クローズアップ仙台

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#99 富谷宿の町並み 〜仙台北郊のベッドタウンの原点〜

 2016年12月23日、前年の同時期以来の仙台を訪れました。この日は冬型の気圧配置が強まって宮城県内は各地で強風が吹き荒れており、JRも随所で運休する荒天となっていました。予定していた福島県浜通り方面へのフィールドワークへ向かうべく乗車していた列車は名取駅に到着したものの運行が再開されなかったため、それを翌日に延期することとし、仙台市内へとって返して地下鉄で泉中央駅へ。その足で仙台市に接する富谷市へとバスで向かいました。

国道4号

国道4号の風景(旧奥州街道筋との分岐点)
(富谷市富谷、2016.12.23撮影)
熊野神社

熊野神社
(富谷市富谷、2016.12.23撮影)
富谷宿の町並み

富谷宿の町並み(本陣跡前)
(富谷市富谷、2016.12.23撮影)
恋路の坂

恋路の坂
(富谷市富谷、2016.12.23撮影)
毘沙門堂

毘沙門堂
(富谷市富谷、2016.12.23撮影)
富ヶ岡公園からの俯瞰風景

富ヶ岡公園から七ツ森を望む
(富谷市富谷、2016.12.23撮影)

 富谷市は仙台市の北に位置する人口5万人あまりのまちです。仙台市北部の泉区が仙台都市圏の郊外化に伴って飛躍的に人口を増加させる中、その延長上でベッドタウン化が進み、近年では宮城県内でも屈指の人口増をみました。直近の国勢調査で人口5万人を記録したことを期に、2016年10月10日に市制施行を果たしました。泉区域から連続する丘陵地域を中心に新興住宅地が発達していますが、この日は富谷が町として存立していく原点となった、奥州街道の宿場町であった、旧富谷宿の町並みを訪ねました。

 泉中央駅を出たバスは、仙台北部道路が延伸し郊外における幹線道路として多くの交通量のある国道4号をそれて沿線の住宅地を経由しながら進み、ひより台地区にあるショッピングセンターの南、西川の流れに沿って進む市道にある富谷バス停に降り立ちました。現在はこのショッピングセンターを中心としたエリアが市の中心的な地区となっていますが、かつての中心市街地は西川を渡った南、県道256号の指定を受ける道路に沿っておかれていた旧富谷宿のあった地域でした。熊野神社の前で南からきた街道は東へ直角に折れて、宿場町の中心へと入っていきます。沿道には昔ながらの町屋造の建物が多く残されていまして、伝統的な町場であることを物語っていました。富谷宿は仙台藩祖伊達政宗が仙台城下町を形成した際に奥州街道のルートが変更されてこの地域を通過することとなった際、吉岡宿(現在の大和町)との距離が遠くなったことから、新たな宿駅として政宗が建設を指示したものであると伝えられています。政宗の命を受けて宿場建設に尽力した内ヶ崎家は本陣を務め、その本邸や別邸も地区に残ります。富谷宿は富谷新町宿とも呼ばれ、現在でもこの界隈は「しんまち地区」と称されているようでした。


旧役場

旧役場の建物(シルバー人材センター)
(富谷市富谷、2016.12.23撮影)
内ヶ崎別邸前

内ヶ崎別邸前
(富谷市富谷、2016.12.23撮影)
富谷宿

富谷宿東のクランク部分(北からのアングル)
(富谷市富谷、2016.12.23撮影)
御所橋

御所橋(西川を渡る)
(富谷市富谷、2016.12.23撮影)
代官松

代官松
(富谷市富谷、2016.12.23撮影)
北雲台

北雲台
(富谷市富谷、2016.12.23撮影)

 本陣跡から丘陵を登る「恋路の坂」を上って毘沙門堂の境内を経て、内ヶ崎家が明治期に完成させた富ヶ岡公園へ。高台の園内からは、穏やかな家並みを連ねるしんまち地区の先に、雄大に聳える奥羽山脈の山並み、特徴的な山容を見せる七ツ森などを美しく眺望することができました。公園から坂を下って再び街道へ戻り、脇本陣跡や旧役場の建物(シルバー人材センター)を経て進みます。街道は内ヶ崎家別邸前で北に直角に曲がって西川を渡り北へ進んでいました。富谷中央公民館はかつての代官所の跡地で、「代官松」と呼ばれる松が敷地内に現存しています。街道を外れた東の高台には、内ヶ崎家の墓所である北雲台があって、大きく様変わりする富谷の町並みを見守るように佇んでいました。


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