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とうほくディスカバリー


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#5 蔵の街・喜多方散策 〜ふたつの市街地をめぐる〜

 2013年11月4日、山寺訪問を終えた私は山形県内を一路南へ車を走らせ、米沢からは国道121号に入り会津盆地へ、蔵造りの街並みとラーメンで知られる喜多方へと至りました。市街地を南北に流れる田付川に程近い観光駐車場に車を止めて、散策をスタートさせました。まずは川の右岸にある「ふれあい通り」方面へと向かいます。



若喜レンガ蔵
(喜多方市字三丁目、2013.11.4撮影)
ふれあい通り

ふれあい通りの景観
(喜多方市字二丁目、2013.11.4撮影)


酒造会社の蔵
(喜多方市字寺町、2013.11.4撮影)
路地裏の蔵

路地裏の蔵
(喜多方市字二丁目、2013.11.4撮影)

 蔵造りの建物が多いことで知られる喜多方市街地ですが、蔵造りの建物は大きく分けて2つの通り沿いに集まっています。1つはこれから向かおうとしている「ふれあい通り」、そしてもう1つは田付川の左岸に位置する「おたづき蔵通り」です。喜多方は、もともと1つの町であったわけではなく、歴史を遡りますと、「ふれあい通り」一帯に町場を形成した「小荒井」の町と、「おたづき蔵通り」に面した「小田付」の町が1875(明治8)年に他の3村と合併して「喜多方町」が誕生したという経緯があります。会津盆地北部の喜多方周辺地域はもともと「北方(きたかた)」と呼ばれていまして、北方地域の在郷町として成長していた2つの町場を中心とした新たな町をつくるにあたり、この「きたかた」の音に「喜多方」の字を当てた新町名が制定されました。現在はこの二つの市街地は結合し1つの市街地を構成していますが、蔵造りの街並みの分布は、喜多方がもともと2つの町場を基礎に発展してきた史実を今に伝えているというわけです。

 市役所の南を通過し、蔵造りの建物が今でも多く残るふれあい通りへと進みます。一般的な石造りのものに交じって、喜多方では煉瓦を使った蔵が認められることが特徴の一つであるようです。会津から米沢方面へ抜ける街道筋にあたり、水運の便も良い喜多方は、交通の要衝として市街地が形づくられる素地がある場所でした。豊かな農地を後背地に持つことから町場は活力を維持し、扇状地の扇端部に位置することから得られる豊富な湧水も、市街地を支える貴重な資源となりました。ふれあい通り沿いには商家のほか、造り酒屋の蔵も点在していまして、良質な米や水に恵まれた喜多方の地域性を反映しています。喜多方駅に至近な一帯は現代的な建物も少なくありませんが、一歩路地裏に入りますと昔ながらの蔵が多く認められまして、ノスタルジックな町並みに出会うことができました。

田付川

田付川
(喜多方市字緑町、2013.11.4撮影)


おたづき蔵通りの景観
(喜多方市字西町、2013.11.4撮影)
おたづき蔵通り

おたづき蔵通り沿いの蔵
(喜多方市字南町付近、2013.11.4撮影)
喜多方駅前

JR喜多方駅前
(喜多方市字町田、2013.11.4撮影)

 田付川を渡りたどり着いたもう一つの蔵の街・おだつき蔵通りは、駅を中心とした市街地からやや離れた立地もあってか、より多くの蔵が通りに面する街並みが広がっていました。朱色の瓦が鮮やかな蔵は、土蔵に観音開き扉のある窓が豪華にしつらえられていまして、豊かな農産資源を背景に財を成した地域の歴史を今に伝えていました。このエリアでも醸造元が多く立地していまして、穏やかな街並みをより奥行きのあるものにしていました。

 現代の街並みの中に蔵造りの建物を多く残し喜多方の街並みは、この町が享受してきたこの上ない地の利の上に存立してきた歴史を色濃く投影したものであることを実感させるに余りある、極上の美しさに溢れているように感じられました。そして、元来日本の地方は、それぞれの地域が一定の中心性を維持していて、多くの人口を支えていたことを改めて認識することともなりました。

 
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