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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜

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#24 東京リレーウォーク(16) 〜池袋から巣鴨へ 副都心の変遷〜 (豊島区・文京区)

 2008年11月2日中山道板橋宿の訪問を終えて池袋駅に到達して終わったフィールドワークの延長として、2008年12月28日、この年最後のフィールドワークをJR池袋駅からスタートさせました。2008年3月、東京駅から歩き始めて、歩き終えた場所から次の散策を始める形で東京を縦横に歩いてきた「東京リレーウォーク」」は、池袋駅から旧中山道筋を踏襲しながら南東へ進み、スタート地点の東京駅へと戻るルートをとりました。

 暮れも押し迫り、正午目前の副都心は冬晴れの穏やかな日差しの下、多くの人々が闊歩していました。東京山の手の三大副都心のひとつである池袋は、西武線と東武線が収斂する一大ターミナルとして新宿駅に次ぐ集客を誇ります。池袋を象徴する超高層ビルの一つであるサンシャイン60は都内一の高さを誇ります(2012年5月からは、東京スカイツリーが新たに都内一となる)。冬晴れのこの日は、360度すっきりとした空の下で輝くような都心のパノラマを観ることができました。

池袋駅

池袋駅(東口)の景観
(豊島区東池袋一丁目、2008.12.28撮影)
池袋駅前

池袋駅前の景観(サンシャイン60通り)
(豊島区東池袋一丁目、2008.12.28撮影)
サンシャイン60からの展望

サンシャイン60展望室から新宿・六本木方面を望む
(豊島区東池袋三丁目、2008.12.28撮影)
明治通り

明治通り沿いの景観
(豊島区上池袋一丁目、2008.12.28撮影)

 サンシャインシティを後にして首都高速が上を通過する歩道を進み、明治通りに出て旧中山道方面へ向かいます。池袋駅に近いエリアでは高層のマンションが多く立地していた通り沿いは、北東に向かうにつれて徐々に低層のビルや住宅が卓越するようになります。上池袋交差点を抜けて到達する堀割交差点でで明治通りに交差する道路がかつての中山道となります。付近には豊島区教委によって建てられた「千川上水調整池跡」と題された説明板が設置されています。千川上水は下谷・浅草方面へ上水を供給するために玉川上水を分水する形で1696(元禄9)年に整えられたのだそうです。建設後は上水のほかに農業用や産業用にも転用され、1865(慶応元)年には幕府が滝野川に建設した反射炉の水車利用のため、王子方面への分水を開削する際に堀をつくりました。「堀割」の地名もこの堀に由来すると解説されていました。

 旧中山道は武蔵野台地の末端部、本郷台地に刻まれた小規模な谷と谷の間の尾根筋を進んでいます。現在は一見して土地の高低差がわからないほど周囲は建物によって覆い尽くされています。とはいえ、その建物は低層のビルや戸建ての住宅がほとんどを占めており、中には町屋造りの古い商店も残っているなど、東京都区部とは思えない古い町並みも認められます。商店街や都電の停留所名にもなっている庚申塚は、中山道にあって板橋宿に入る前の立場(休憩所)として名所になっていたようです。さらに旧街道筋に歩を進めますと、巣鴨地蔵通り商店街のアーチが見えてきます。巣鴨といえば、「とげぬき地蔵」。歳末を迎え、この日も多くの参拝客や買物客がとげぬき地蔵尊(高岩寺)や商店街を訪れていました。

旧中山道

旧中山道、町屋造りの建物
(豊島区西巣鴨三丁目付近、2008.12.28撮影)
庚申塚

旧中山道・庚申塚商店街の景観
(豊島区西巣鴨三丁目付近、2008.12.28撮影)
巣鴨地蔵通商店街

巣鴨地蔵通商店街
(豊島区巣鴨四丁目付近、2008.12.28撮影)
とげぬき地蔵尊

高岩寺(とげぬき地蔵尊)
(豊島区巣鴨三丁目、2008.12.28撮影)

 旧中山道筋はとげぬき地蔵の南で白山通り(国道17号)の大通りに合流し日本橋を目指します。昔ながらの懐かしい雰囲気を濃厚に残す商店街は正月飾りなどもたくさん並べられていてたいへんな人でごった返していました。山手線巣鴨駅周辺の商業施設と一体となった活気にあふれた商店街は白山通りの歩道にも伸びるような印象で、同通りの歩道上にはアーケード状の屋根が設置されています。都心の中心業務区域からそれを取り巻く下町エリアを越えておおむね旧街道筋を拡幅し進んできた国道17号は、巣鴨に行き着くと旧道を逸れ新道を行って巣鴨や板橋を迂回していることは、巣鴨や板橋が江戸郊外の中心的な町場として伝統的に機能してきたことと無縁ではないのかもしれません。絶えず新陳代謝を繰り返し、新たな都市空間が生み出され続ける現代の東京にあって、近世期から近代にかけての江戸の姿を感じさせるこのエリアは、とても貴重な存在であるように思われます。

 現代の巨大都市東京の一翼を担う一大ターミナルである副都心・池袋と、近世からの主要街道筋に発達した伝統的な町場である巣鴨は、ともに豊島区に属することからも想起されるように、元来は武蔵国豊島郡の範域でした。現在の市町村制の基礎となる1889(明治22)年の市制・町村制下においては、巣鴨は巣鴨町の区域に、そして池袋は巣鴨村の範囲で、池袋は中山道に面して町場を形成していた巣鴨から見れば町はずれの、畑が広がる農村的なエリアであったことになります。1903(明治36)年に池袋駅が開設されてからもしばらくは両エリア間の中心性の序列に大きな変化はなかったようで、1918(大正7)年に池袋の属する巣鴨村が町制を施行する際も、町名は「西巣鴨町」であり、あくまで中心地たる巣鴨の西、というニュアンスが多分に含まれるものであったようです。巣鴨町と西巣鴨町は1932(昭和7年)に当時の東京市に編入され、高田町、長崎町とともに豊島区となり現在に至ります。 その後、山手線に大手私鉄が収斂するターミナルとして急成長した池袋は近代的な巨大都市へと生まれ変わり、歴史的な町場をなす旧来の巣鴨とは一線を画した地域へと変遷していきます。

白山通り

白山通り、巣鴨駅付近の景観
(豊島区巣鴨一丁目付近、2008.12.28撮影)
六義園

六義園・「藤代峠」からの景観
(文京区本駒込六丁目、2008.12.28撮影)
石碑

「弥生式土器発掘ゆかりの地」石碑
(文京区弥生二丁目、2008.12.28撮影)
赤門

東京大学・赤門
(文京区本郷七丁目、2008.12.28撮影)

 巣鴨駅を過ぎて国道を東へ折れて、一駅東の駒込駅南にある六義園(りくぎえん)へ寄り道しました。1702(元禄15)年に、武州川越藩主柳沢吉保が築造した庭園で、現存する江戸期の大名庭園としては屈指の名園として知られています。現在は東京都所管の都立公園となっていて、高層建築物の立ち並ぶエリアにあって貴重な緑に包まれた、穏やかな空間を提供してくれています。中央に池を設け、周囲に複数の築山を配置する回遊式築山泉水庭で、庭園北寄りにある築山「藤代峠」からは、現代のビル群を“借景”にした池と緑のみずみずしい景観を眺めることができます。春の枝垂桜がとくに有名なこの庭園は、四季折々、さまざまな表情を見せて心を和ませてくれているようでした。

 六義園を後にして、不忍通りから諏訪台、谷中、言問通りを経て再び国道17号へと戻るルートを辿りました。諏訪台は、都内に残る数少ない「富士山が望める富士見阪」のあるエリアで、この日も富士の眺望を期待して寄り道したものの、富士山を観ることはできませんでした。谷中、根津及び千駄木周辺のいわゆる「谷根千」エリアを過ぎて、東京大学の施設群が集まる一帯に到達します。弥生二丁目11番付近には、「弥生式土器発掘ゆかりの地」と刻まれた石碑と「東京大学浅野地区遺跡案内」と題された表示板が設置されており、「弥生式土器」命名の由来となった土器が発見されたゆかりの場所としての来歴が説明されていました。本郷通り(国道17号)を南に進み、赤門前を通過して、「本郷もかねやすまでは江戸の内」の川柳で知られる店舗が所在する本郷三丁目交差点に達しますと、日本橋もいよいよ間近の存在となってまいります。

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