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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜

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#56 お台場に「上陸」する 〜観光地として賑わう臨海副都心〜 (港区・江東区)

 2013年6月1日、根津界隈の散策を終えた後、まだ行ったことのないお台場方面へ足を延ばそうと思い立ち、汐留へ向かいました。「シオサイト」として再開発が進む汐留エリアは、浜離宮恩賜庭園も至近で、銀座から新橋にかけての地域とも近接することから、かつて銀座方面から浜離宮に入り、美しい庭園越しに汐留のビル群を眺めたことがあります。江戸の時代から続く庭園の「借景」に現代の高層ビル群が屹立する風景は、近世から近代、そして今へと成長と変化を続けてきた東京を象徴するものであるように思います。汐留駅から「ゆりかもめ」に乗車し、お台場へと進みました。

汐留シオサイト

汐留シオサイトのビル群
(港区東新橋一丁目付近、2013.6.1撮影)
ゆりかもめより

ゆりかもめより、イタリア公園と浜離宮(奥)
(港区東新橋一丁目付近、2013.6.1撮影)
日の出桟橋とレインボーブリッジ

ゆりかもめより、日の出桟橋とレインボーブリッジ
(港区海岸二丁目、2013.6.1撮影)
お台場海浜公園の景観

お台場海浜公園の景観
(港区台場一丁目、2013.6.1撮影)

 江戸時代末期、開国を迫る米国の「黒船」来航を契機として、江戸防衛のための砲台が江戸湾内に築造されました。品川沖の江戸湾内に7基(これらとは別に陸上に1基が建造された)の砲台が建設されたことからこれらは「品川台場」、また幕府への経緯から尊称を冠した「御台場」と呼ばれました。これが今日の「お台場」の呼び名の元となっています。これらの砲台は実際には使用されることなく明治を迎えます。昭和初期から高度経済成長期ににかけて、台場は埋め立て地の一部となったり、撤去されたりして徐々に数を減らしていきました。現在は、レインボーブリッジの南に位置する第六台場と、いわゆるお台場エリア(東京港埋立地13号地)と陸続きとなり台場公園として開放されている第三台場の2つが残っています。ゆりかもめはレインボーブリッジを渡ってお台場に入ります。お台場での最初の駅であるお台場海浜公園駅で下車し、お台場散策をスタートさせました。

 まずは人口の砂浜が整備されているお台場海浜公園を一瞥しながら、台場公園として利用されている第三台場へ歩きます。四方を堅牢な石積みで囲まれた台場は、中央は窪地になっていまして、陣屋跡や弾薬庫跡などの史跡が残ります。南側の土手の上には砲台跡もあって、その土台を示すレプリカが設置されていました。土手上には黒松が植栽されています。他の台場もほぼ同様の構造であったものと思われますから、この規模の砲台が会場に数珠上に連なる光景は壮観であったことでしょう。そしてそれは鎖国の治政下に突如降って湧いた外国からの脅威に対する当時の幕府の警戒感がいかに強固であったかを示すものでもあったでしょう。こうした軍事施設がやがて時代を経て「史跡」となり、臨海部における新たな都市開発の舞台となったことは、時代の急激な変化を象徴するとともに、既存の資源をダイナミックに更新し邁進していく大都市の本質そのものの具現化と見て取れるのかもしれません。台場公園の土手の上に立ってお台場の高層ビルや商業施設群を眺めながら、そうした感慨に浸りました。

台場公園

台場公園(第三台場跡)・砲台跡のモニュメント
(港区台場一丁目、2013.6.1撮影)
第六台場とレインボーブリッジ

台場公園から見た第六台場とレインボーブリッジ
(港区台場一丁目、2013.6.1撮影)
台場公園

台場公園から見たお台場
(港区台場一丁目、2013.6.1撮影)
アクアシティとフジテレビ

お台場・アクアシティとフジテレビ
(港区台場一丁目、2013.6.1撮影)
ウエストプロムナード

お台場・ウエストプロムナードの景観
(江東区青海一丁目、2013.6.1撮影)
豊洲

豊洲・豊洲センタービル
(江東区豊洲三丁目、2013.6.1撮影)

 不海浜公園に沿って西に進んだ後、「自由の女神像」のあるあたりから南に続くプロムナードを抜けて、観光地として多くの人でにぎわうお台場の今を観察しました。アクアシティお台場や特徴的なフォルムがお台場をシンボライズするフジテレビ社屋、ダイバーシティ東京といった施設群が平坦な埋立地上に続く風景は、まさに現代におけるウォーターフロントの開発風景を現出させるものでした。お台場がいわゆる東京臨海副都心の中核としての成長を見た道筋はまさに紆余曲折を経るものでありました。都心部における過密の解消のための受け皿として進められたお台場の開発は、1995(平成7)年の世界都市博覧会中止によって大きくその政庁に歯止めをかけられるといったこともありました。その後も前出のフジテレビの移転などを契機に徐々にお台場のフロンティアとしての価値が上がり、商業施設が充実、今日の観光地としての基盤を得ることができました。隣接する有明エリアとともに臨海副都心を構成し、東京における新たな業務核としての成長も著しいものとなっています。2020年の東京オリンピックでも主要会場の一つとして活用される見込みとなっています。

 パレットタウンと呼ばれる商業施設群も、多くの人々で溢れていまして、人気観光地としてのお台場の趨勢を体感しました。この施設の南を通過するゆりかもめ青海駅で再び同線に乗車し、東の終点である豊洲へと向かいました。2016年現在、施設の施工や環境問題で揺れる豊洲市場予定地を俯瞰しながら、豊洲へ到着し、この日の活動を終えました。こちらも高層マンションや大型の商業施設の進出が進む活気のあるエリアで、駅前に屹立する豊洲センタービルがその威容を見せていました。

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