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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜

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#82 竹ノ塚駅周辺を歩く 〜東京郊外の都市化の変遷を見る〜 (足立区)

 2019年12月14日、冬らしい青空の下、足立区の竹ノ塚駅へとやってきました。複々線の線路を高密度で通過していく列車は、駅付近の踏切を「開かずの踏切」とさせており、大事故も起こる要因となっていました。このことから同駅付近では立体交差事業が進捗していまして、訪問当時は当駅に停車しない急行線のみ先行して高架化され、緩行線は仮設のホームで運用されているようでした。駅の南西にある区立大境公園は、この日開催される健康ハイキングの受付に並ぶ多くの参加者の行列ができていました。

竹ノ塚駅

竹ノ塚駅(西口付近)
(足立区竹の塚六丁目、2019.12.14撮影)
東岳寺

東岳寺
(足立区伊興本町一丁目、2019.12.14撮影)
白旗塚史跡公園

白旗塚史跡公園
(足立区東伊興三丁目、2019.12.14撮影)
伊興寺町

伊興寺町の景観
(足立区東伊興四丁目、2019.12.14撮影)
伊興遺跡公園

伊興遺跡公園・復元された縦穴住居
(足立区東伊興四丁目、2019.12.14撮影)


伊興氷川神社(淵の宮)
(足立区東伊興二丁目、2019.12.14撮影)

 竹ノ塚駅周辺は東京北郊における穏やかな住宅地としての風景をみせていました。現在は「東武スカイツリーライン」の愛称を持つ東武伊勢崎線の北千住〜久喜間が開業したのは1899(明治32)年のことでした。当時のこの地域は一面の田園地帯に、小河川のつくる自然堤防上に集落が点在するという土地利用であったようです。地域を南北に貫通する尾竹橋通りを除けば、道路は概ね狭小で入り組んでいまして、往時の集落構造が踏襲されていることが類推されます。伊興町前沼交差点など、住居表示により使われなくなった小字名が残るのも印象的です。通りに面する東岳寺は住宅地に囲まれた狭い境内を持つ現代的な佇まいで、安藤(歌川)広重の墓地があることで知られています。東岳寺から北東方向、スカイツリーラインに沿った場所にある白旗塚史跡公園は、白旗塚古墳を中心に設えられた小さな公園です。園内のカエデは鮮やかに色づいて、中心に公園の造形物のようにある古墳が、この場所が古来より人々の生活の本拠となってきたことを物語っていました。

 白旗史跡公園を後にして、西へと歩き、伊興白幡交差点を渡って西の小さな水路(保木間堀)に沿った道路を進みます。この一帯には複数の寺院が集まっていまして、通称「伊興寺町」と呼ばれる落ち着いた景観が認められます。これらの寺院は明治期の地勢図にはありません。大正時代、関東大震災の後、浅草近傍にあった寺院がこの地に移ってきて、寺町を構成したものであるのだそうです。大正末期にあっても都心からは離れた郊外の農村部としての雰囲気を残していたのでしょうか。その後の大都市圏化によって周囲も住宅地域となっていますが、この寺町の存在は、このエリアが農村地域から現代へと急変した歴史を今に伝えています。寺町の西には氷川神社と伊興遺跡公園が隣接します。都内でも屈指の古墳時代遺跡とされる伊興遺跡では、多数の住居跡や祭祀の存在を思わせる遺物が発見されています。その時代、東京湾はこのあたりまで湾入し、いち早く陸地化したこの場所には多くの人々が移住し、豊かなコミュニティを形成していたと推定されています。多くの淵があったことから氷川神社は「淵の宮」とも呼称されるとともに、そこから区内の地名である「淵江」の名も起こっています。




見沼代親水公園
(足立区古千谷本町四丁目、2019.12.14撮影)
見沼代親水公園近くの畑地

見沼代親水公園近くの畑地
(足立区古千谷本町三丁目付近、2019.12.14撮影)
日暮里・舎人ライナー

日暮里・舎人ライナーの構造物
(足立区舎人五丁目、2019.12.14撮影)
舎人氷川神社境内からの景観

舎人氷川神社境内からの景観
(足立区舎人五丁目、2019.12.14撮影)
神領堀親水緑道

神領堀親水緑道
(足立区舎人五丁目付近、2019.12.14撮影)
入谷氷川神社近くの畑地と住宅地

入谷氷川神社近くの畑地と住宅地
(足立区入谷二丁目、2019.12.14撮影)

 水路沿いをさらに進み程なくして到達するはんの木橋交差点を経て北西へ、見沼代親水公園の遊歩道へと歩を進めます。埼玉県内から続く見沼代用水東縁の流路を利用して整えられた遊歩道の周囲には、戸建ての住宅の間に畑地も点在していまして、和やかな景観が広がっていました。水辺に親しめる散策路はふんだんな街路樹や植栽、休憩施設があって、快い町歩きできるように配慮されていました。舎人諏訪神社を過ぎますと、尾久橋通り上を進む日暮里・舎人ライナーの構造物が見えてきました。その終着駅である見沼代親水公園駅の近くには舎人氷川神社があり、その境内からは都市化の進む同駅周辺の現代的な風景を冬空の下くっきりと観察することができました。

 見沼代親水公園をさらに上流へ進みますと、舎人第一小の北東付近で南へ分岐する緑道へと到達します。神領堀親水緑道と呼ばれる散策路で、この道の存在も、かつてはこの一帯が農業地域で、用水を供給していた水路がその後の都市化で緑道へと転用された経緯を伝えるものとなっています。ビニルハウスなども存在する遠藤の風景を一瞥しながら緑道の終端へ進みますと、その西には入谷氷川神社の境内の近くへと至ります。それぞれの集落の鎮守が今に残ることに歴史を感じさせるとともに、「入谷」という地名にも、かつて東京湾がこの辺りまで食い込み、谷地形を構成することとなった地形発達史を想起させます。現代の町並みと藩政期の農村的な雰囲気とが豊かに交錯する入谷地域を歩き、1532(天文元)年創建の源證寺へ。境内の太子堂は江戸中期の建築。聖徳太子の末裔と伝わる開山上人所持の聖徳太子像を祀ります。二度日暮里・舎人ライナーの構造物にそった尾竹橋通りへと出て、広大な敷地を誇る舎人公園へ。戦時中における防災緑地として計画された空間を基礎とする公園は、現在は多くの市民の憩いの場となって多くの人々を惹きつける存在となっています。

源證寺

源證寺
(足立区入谷二丁目、2019.12.14撮影)
舎人公園

舎人公園の風景
(足立区古千谷二丁目付近、2019.12.14撮影)
炎天寺

炎天寺
(足立区六月三丁目、2019.12.14撮影)
竹ノ塚駅周辺

竹ノ塚駅周辺、進む高架化工事
(足立区竹の塚一丁目、2019.12.14撮影)
竹ノ塚駅東口

竹ノ塚駅東口の風景
(足立区竹の塚六丁目、2019.12.14撮影)
光の祭典

光の祭典(元渕江公園内)
(足立区保木間二丁目、2019.12.14撮影)

 西伊興の住宅地域を通過しながら、スカイツリーラインを越える栗六陸橋を経て竹ノ塚駅の東側へと進みました。駅近傍の商業地域とマンションなどが建ち並ぶ一角に、炎天寺が佇みます。小林一茶が多くの句を詠んだゆかりの寺としても知られているようで、境内には一茶の像やカエルの置物などが置かれています。境内のイチョウの大木は目映いばかりに色づいて、都市部における遅い黄葉を夕日に照らしていました。この日は竹ノ塚駅から東にある元渕江公園で「光の祭典」が開催中で、夕闇が迫る中、ライトアップされた園内のメタセコイアが七色のイルミネーションを夜空に灯していました。

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