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屋久島種子島、緑水霧幻

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種子島縦断 〜島の自然と文化をたどる〜

 縄文杉を目指したトレッキングの翌日は、屋久島の東に浮かぶ種子島へと向かいました。滞在中のホテルから路線バスに乗り屋久島東部の町安房(あんぼう)へ向かい、そこから高速船で種子島北部の西之表港へと出発しました。島北部の宮之浦と並び、安房川河口にまとまった市街地を形成する安房の町は、縄文杉を目指す観光客が集まることもあり、宿泊施設や山岳ガイドなどが充実しています。午前7時、まだ曇り空が支配的な安房港を高速船は出港しました。所要時間は50分で、高速船は種子島への寄港後はそのまま鹿児島へと向かうため、比較的多くの乗客がありました。

屋久島・安房港

屋久島・安房港
(屋久島町安房、2015.8.30撮影)
西之表市街地遠景

種子島・西之表市街地遠景
(西之表市沖、2015.8.30撮影)
種子島時尭像

種子島時尭像
(西之表市西之表、2015.8.30撮影)
月窓亭

月窓亭
(西之表市西之表、2015.8.30撮影)
犬の馬場

赤尾木城・犬の馬場
(西之表市西之表、2015.8.30撮影)
本源寺

本源寺
(西之表市西之表、2015.8.30撮影)

 屋久島と種子島は隣り合う存在ながら、その姿は実に対照的です。2,000メートル近い標高の山々が連なる屋久島に対し、種子島の標高は高いところでも282.4メートルと300メートルにも満たず、共に400平方キロメートル以上の面積(屋久島:約505平方キロメートル、種子島:約444平方キロメートル)を占めながら、種子島は海上から眺めるとほぼ平坦にしか見えません。島に近づくにつれて、そうしたなだらかな島の北側のわずかな湾入部に規模の大きい市街地が展開しているのが分かりました。種子島の中心都市・西之表市の街並みです。西之表には種子島・屋久島地域(口永良部島を含む)を統括する県の出先機関が置かれており、同市には当該エリアを対象とする中枢管理機能が集約されています。港近くのレンタカー店で車を借りて、一日限りの種子島周遊を開始しました。

 西之表は種子島を治めた種子島家の城下町としてその都市基盤を確立しました。種子島家は藩政期以降は島津氏に臣従したため、江戸時代を通じて種子島は薩摩藩領として時間を過ごしました。種子島滞在の最初は、レンタカーを駐車場に置いて、城下町としての佇まいを残す西之表市街地を散策することからスタートしました。鉄砲館(種子島開発総合センター)で地域を概観した後、向かいの旧榕城中学校跡の敷地に隣り合って建てられている第十四代島主種子島時尭(ときたか)像を確認し、この場所が時尭が建設した内城(うちじょう)の跡地であること、そして彼こそが種子島に漂着したポルトガル船から鉄砲を購入し、火縄銃の製造に成功した人物であることを知りました。周辺には明治期以降種子島家が居住した月窓亭(げっそうてい)や、内城の後に種子島家の居城となった赤尾木城(あかおぎじょう)跡(現在の榕城小学校)、犬追物などの乗馬の稽古が行われた「犬の馬場(いんのばば)」、かつて使用された井戸「井ノ上」などが残されており、島主の菩提寺である本源寺や第19代島主久基を祭神とする栖林(せいりん)神社などの史跡とともに、コンパクトながらもここが城下町として栄えた往時が偲ばれました。

 城跡のあるエリアは海岸沿いの市街地よりは一段高い海岸段丘上に位置していまして、商店街などは国道58号沿いと港とを結んだ一帯に主として展開しています。その街角には鉄砲鍛冶集落跡を示す表示もあって、西之表の町が藩政期以降、一貫してこの地域を代表する町場を形成していたことを感じさせました。

栖林神社

栖林神社
(西之表市西之表、2015.8.30撮影)
西之表市街地

西之表市街地の街並み
(西之表市東町、2015.8.30撮影)


喜志鹿崎灯台
(西之表市国上、2015.8.30撮影)
喜志鹿崎から大隅半島を望む

喜志鹿崎から大隅半島を望む
(西之表市国上、2015.8.30撮影)
鉄浜海岸

鉄浜海岸
(西之表市安城、2015.8.30撮影)
田園風景

種子島の田園風景・屋久島の山並みが見える
(中種子町増田付近、2015.8.30撮影)

 西之表市街地を散策した後は、一路車を北へ走らせて、島の北端を目指しました。時折雨の降る天候であったものの、左手に広がる海原の先には大隅半島の山並みや、さらに薩摩半島の開聞岳もうっすらと望むことができました。市街地を抜けると周囲は急速に山林や農地などに覆われる風景へと移り変わりまして、種子島本来の自然と田園の景観が確認できるようになります。北端の喜志鹿崎(きしかざき)には、重要な航路である大隅海峡を通過する船舶に位置を知らせるために灯台が建てられています。大隅半島最南端の佐多岬へは約40キロメートル、大隅半島への最短距離は33キロメートルとのことで、種子島にとって九州は身近な存在であったことが想起されました。

 喜志鹿崎の訪問後は、島主の崇敬も篤かったとされる奥神社を一瞥し、島の東海岸を南下しました。展開していくパノラマは、雄大に広がる山並みや畑、穏やかな家並、そして漁港といったもので、離島における農村地域ののびやかな光景が車窓越しに行き過ぎました。鉄浜(かねはま)海岸は、砂浜に多く砂鉄を含むことから名づけられたもので、曇天下ということもありましたが確かに浜辺はやや黒ずんで見えました。身近に豊富な砂鉄が存在したことも、火縄銃製造を可能とした条件の一つであったことが窺い知れる場所です。東海岸を進む県道を走りながら、西之表市から島の中部を占める中種子町域へ。海岸から離れた場所を通る道からは、さとうきび畑や島の集落の街並みの向こうに屋久島の山並みを望むことができました。屋久島の海岸線は見通せないため、あたかも種子島の山であるかのように見えるその風景は、冒頭でお話しした屋久島と種子島の標高の違いを端的に表現しているものとしてたいへん興味深く見えました。こうした風景は種子島の随所で確認することができます。

阿嶽川マングローブ林群生地

阿嶽川マングローブ林群生地
(中種子町坂井、2015.8.30撮影)
千座の岩屋

千座の岩屋
(南種子町平山、2015.8.30撮影)
種子島宇宙センター遠景

種子島宇宙センター遠景
(南種子町茎永付近、2015.8.30撮影)


七色坂観望台から眺望する前之浜海岸
(南種子町西之、2015.8.30撮影)


七色坂観望台から眺望する水田地帯
(南種子町西之、2015.8.30撮影)
鉄砲伝来紀功碑

鉄砲伝来紀功碑
(南種子町西之、2015.8.30撮影)

 県道は島の内陸へと進んでいき、中種子町の中心的な町場を形成する野間地区へ。野間地区もまとまった市街地が整えられていまして、町の主要な商店街として一定の中心性を持っているように感じられました。島の主要幹線道路である国道58号と、島の西海岸・東海岸をそれぞれ縦断してきた県道がこの場所で交わっている格好になっていることも、この町の中枢性を高めていることに寄与していると言えそうです。そうした県道の一つである県道75号(西之表市街地を起点として東海岸を縦貫して野間に至った後、再び島の東岸へ進みます)をさらに東南へ進みながら、中種子町から南部の南種子町へ、阿嶽川(あたけがわ)マングローブ林群生地や千座(ちくら)の岩屋と呼ばれる海食洞窟などのバラエティに富んだ自然景観を訪ねて、南海上に浮かぶ種子島の風土に触れました。そして、現代の種子島を代表する施設である、種子島宇宙センターへと到達し、宇宙産業の最先端技術に触れました。そうした現代的な施設が種子島の自然豊かな風景の中に溶け込む様子は、種子島の温暖な風光とも相まって、開放的な雰囲気に溢れているように目に映りました。

 島の中でも沖積地が相対的にまとまっているようで、多くの水田が認められる島の南岸を通過し、最南端の門倉岬へ。岬の手前には「七色坂観望台」と名付けられた場所があり、前之浜海岸の砂浜と防風林、水田とそれらを取り囲む山林が一体となった美しい眺望を楽しむことができました。1543(天文2)年、門倉岬近くの海岸に一隻のポルトガル船が漂着し、日本に初めて鉄砲が伝えられました。海へそそり立つ岬の海食崖からは、茫漠とした大海原が広がって、戦国時代に起きた時代の画期を静かに伝えていました。西には山麓にたっぷりと雲を従えた屋久島の山容が驚くほど近くに迫ります。

門倉岬から望む屋久島

門倉岬から望む屋久島
(南種子町西之、2015.8.30撮影)
島間港

島間港の景観
(南種子町島間、2015.8.30撮影)
中之上

中之上の街並み
(南種子町中之上、2015.8.30撮影)
坂井神社の大ソテツ

坂井神社の大ソテツ
(中種子町坂井、2015.8.30撮影)
古市家住宅

古市家住宅
(中種子町坂井、2015.8.30撮影)
馬毛島と開聞岳

種子島西海岸から馬毛島と開聞岳を望む
(中種子町納官付近、2015.8.30撮影)

 門倉岬を後にしてからは、島南部の要港でフェリーが発着する島間(しまま)港を一瞥してから、南種子町の中心市街地・中之上(上中)地区へ、国道58号を進みました。西之表から離れていることから野間地区に比べてより多くの商店が集まった街並みが形成されているように思われました。国道58号をさらに北へ辿りながら、1846(弘化4)年建設とされる種子島でも最古級の民家である古市家住宅(国重要文化財)や坂井神社の大ソテツを見学して、西之表へと戻りました。中種子町北部から西之表市に入るあたりは西海岸沿いを進んだこともあり、屋久島や間近の馬毛島、そしてかすかに開聞岳の姿も望むことができました。午後5時30分過ぎ、鹿児島から到着した高速船にはやはり多くの人が乗り込んでいて、西之表港へと降り立っていきました。灰色に沈む海の向こうには、壁のような山肌を空へ聳えさせる屋久島の藍色の山体がゆったりと腰を据えていました。


エピローグ 〜屋久島・種子島、緑水霧幻〜

 屋久島での最後滞在の夜が明けて、島を離れる8月31日の朝は、オレンジ色の朝日がとてもさわやかな日和で始まりました。夏のような鮮やかな日差しの下でスタートした今回の屋久島・種子島の訪問は、たっぷりと雨と雲とに包含された濃密な2日間を経て、再び晴天の青空が顔をのぞかせつつある中、終わりを迎えようとしていました。鹿児島から比較的近い位置にあって豊富な林産資源や農産物に恵まれた島々は、現代的な新たな価値を付加してよりいっそう眩く感じられます。人間と自然とがそれぞれの領域を尊重しながら共生する大地。その道半ばにある島の風景は、何よりも貴重な地域の宝であるように感じられます。雨に濡れながら長い踏破の先にやっとめぐり逢えた縄文杉の穏やかな表情、随所に輝かしい自然と都市とが調和した姿を見せた種子島の容姿は、どこまでも貴く、そして何よりもつつましく、南の地の空を仰いでいるように思われました。

朝焼け

屋久島の朝焼け
(2015.8.31撮影)




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