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峡中、桜色に染まる
〜山梨県の名桜を訪ねる〜

2018年4月1日、春本番の山梨県内を訪れました。富士川沿いの身延山久遠寺から北へ、わに塚の桜から山高神代桜へと進む頃には夜の帳が下りていました。
「峡中(きょうちゅう)」は山梨県の古い呼び名の一つです。雄大な山々に囲まれた大地に咲く、桜の花に酔いました。

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ページ設置:2020年3月29日

身延山久遠寺の桜 〜信仰の山に息づく春の風雅〜

 2018年4月1日、日曜日のこの日、早朝に出発し雁坂峠をトンネルで越えて、甲府盆地へと快調に進む予定でした。しかしながら、三峯神社のお守りを求める予想を超える大渋滞にはまり込んでしまい、雁坂峠を越えて道山梨県内へ入った頃には既に時刻は午後2時手前となってしまっていました。国道52号を南へ、富士川の谷間をさらに車を走らせ、身延山久遠寺への臨時シャトルバスが発着する文化会館に到着したのは午後3時30分になってしまいました。取り急ぎバスに乗って、門前へ向かいます。

久遠寺門前町の風景

久遠寺門前町の風景
(身延町身延、2018.4.1撮影)
山門前のシダレザクラ

山門前のシダレザクラ
(身延町身延、2018.4.1撮影)
久遠寺山門

久遠寺山門
(身延町身延、2018.4.1撮影)
久遠寺・菩提梯

久遠寺・菩提梯
(身延町身延、2018.4.1撮影)

 身延山久遠寺は、信者であった南部実長の招きによりこの地に入った日蓮が草庵を結び、9年後に本格的な堂宇を建造したことにその端緒を持ちます。その入山は1274(文永11)年のことで、爾来およそ800年近くにわたって、この幽谷の山中にて法灯をともし続けてきました。大伽藍の入口に立つ総門は昔ながらの佇まいで、28世日奠(にちでん)が1665(寛文5)年に建立したものと伝わります。多くの観光バスなどが通過する門の扁額には、「開会関(かいえかん)」と記され、それは法華経の信仰で仏になる、すなわちこの門をくぐると仏界、聖域へと進むということを表わしているのだそうです。その先には谷間を埋めるような門前町と、多くの塔頭寺院が甍を並べる景観が続いていました。そうした寺院の多くが宿坊も兼ねていまして、時代を超えて崇敬を集めた大寺院の凄みを実感させます。

 門前町の一角にある駐車場付近でシャトルバスを下り、久遠寺へと進みます。久遠寺は2006年に訪れて以来、12年ぶりの再訪です。たくさんの参詣客が闊歩する門前の家並みの向こうに、しなやかな桜色を称えたしだれ桜が目に入りました。その桜のヴェールの向こうには、壮麗かつ質実な表情がとても厳かな印象を与える山門が聳えていて、訪れる人々を迎えていました。門の先には、杉並木に覆われた石段が境内へと続いています。全部で287段の参道は、菩提梯(ぼだいてい)と呼ばれます。南無妙法蓮華経になぞらえ七つの区画に分けられた階段を上ると涅槃の本堂へ至り、覚りの悦びが生じるという意味が込められているとのことです。石段は急峻な坂を一文字に駆け上がっていまして、自身を戒めながら歩を進める、実際にも修行の道筋となっているように感じられました。

久遠寺

久遠寺
(身延町身延、2018.4.1撮影)
久遠寺・五重塔

久遠寺・五重塔
(身延町身延、2018.4.1撮影)
久遠寺のシダレザクラ

久遠寺のシダレザクラ
(身延町身延、2018.4.1撮影)
久遠寺のシダレザクラ

久遠寺のシダレザクラ
(身延町身延、2018.4.1撮影)

 振り返ると目もくらむような傾斜の石段をやっとのことで上りきり、到達した本堂のまわりには、「久遠寺のしだれ桜」として、毎年多くの人々を魅了する桜木が、この年も豊かな花をたくさん開いて、春風に揺れていました。桜の枝がたゆたう隣には、2009年5月に落慶方法が営まれ、1875(明治8)年の大火による消失以来によみがえった五重塔が、穏やかな佇まいを見せていました。正面にはやわらかな稜線の山を背にした本堂が堂々たる結構を見せていました。

 本堂から祖師堂、報恩閣そして仏殿と連なる諸堂は、いずれも前述の大火後の再建になるものです。そのうち祖師堂の建物は1881(明治14)年に、廃寺となった東京の感応寺のお堂を移築・再建したものであるのだそうです。春のやわらかな空気に包まれながら、艶やかな薄紅色の花弁を揺らすもの、花びらをいっぱい境内の池に落として花筏の風情を演出するもの、やはり満開を迎えていたソメイヨシノとともに春の歓びを表現するものなど、境内の桜はそれぞれに輝き、瞬きながら、えも言われぬ桜色の錦絵を描き出しているように感じられました。

久遠寺

久遠寺・境内のしれ桜の風景
(身延身延、2018.4.1撮影)
久遠寺のシダレザクラ

久遠寺のシダレザクラ
(身延町身延、2018.4.1撮影)
富士川の風景

富士川の風景
(国道52号より、2018.4.1撮影)
堤防のソメイヨシノ

堤防のソメイヨシノ
(富士川町内、2018.4.1撮影)

 身延山の桜を観賞した後は、足許に気をつけながら菩提梯を下って、こちらもたくさんの桜が相変わらずの麗しさを魅せる門前町へと戻り、自家用車を止めた会館前へとバスにて帰りました。既に夕刻が近くなってしまっていることもあり、急いで国道52号を北へととって返し、韮崎市の「わに塚の桜」を目指しました。途中には、やはり12年前に訪問した、「日本さくら名所100選」にも採られている大法師公園もありましたが、このような事情のためこの日は訪れることはしませんでした。堤防上に所々にあるソメイヨシノはたくさんの花を付けていまして、南アルプスから流出する河川のつくる扇状地の大地を彩っていました。


「わに塚の桜」から「山高神代桜」へ 〜夕刻から暗夜へ、一本桜の孤高〜

 富士川の支流釜無川がつくる広大な河谷の西側、野八海訪問後は、前述したこの地域の中心都市・富士吉田の街並みを訪ねました。小河川が形成した扇状地の緩やかな傾斜を進む県道を辿って、日没間近の時間帯にやっとのことで韮崎市の「わに塚の桜」へと到着しました。わに塚の桜は、エドヒガンの一本桜です。周囲は田園風景で視界を遮るものもほとんど無いため、周囲の山々を背景に、ひときわその大きな樹勢を夕方の滲む空気の中に浸しているのが印象的でした。日が沈み暗がりが徐々に支配しようとしている西側の山肌にも点々と、満開の桜の木が見えて、気持ちのよい春の夕方の風景が展開されています。

わに塚の桜

わに塚の桜
(韮崎市神山町北宮地、2018.4.1撮影)
わに塚の桜

わに塚の桜、スイセンの群落
(韮崎市神山町北宮地、2018.4.1撮影)
わに塚の桜

わに塚の桜、アップで
(韮崎市神山町北宮地、2018.4.1撮影)
ライトアップされた「わに塚の桜」

ライトアップされた、わに塚の桜
(韮崎市神山町北宮地、2018.4.1撮影)
周囲の山々にも桜

周囲の山々にも桜
(韮崎市神山町北宮地、2018.4.1撮影)
わに塚の桜

わに塚の桜、遠方に武田廣神社の桜を望む
(韮崎市神山町北宮地、2018.4.1撮影)

 階段状に整地された水田の中を、和に塚の桜の前へと歩を進めます。ライトアップがなされる予定とのこともあり、その姿を見ようと、数百人程度の見物客が私と同様に、ゆったりとその桜の大木へと向かっていました。「わに塚」には、「王仁塚」または「鰐塚」の字が当てられるようです。地元の伝承では、日本武尊の王子・武田王が、諏訪神社(武田廣神社)の南西に「桜の御所」を開いて治世をしき、薨じてこの地に葬られ、それを「王仁塚」と呼ぶとされているのだといいます。近隣の武田八幡神宮に武田王は合祀されていまして、古来よりこの地域が人々の生活の舞台として開かれた土地であることを、それらの事物は伝えているかのようです。その古代からの言い伝えが連綿と伝えられる塚から生じた桜は、力強く根を張っていまして、穏やかに、幾星霜の時代のことを語りかけているように感じられます。

 わに塚の桜は、樹齢およそ300年、樹高は17メートル、根回り3.4メートル、幹周りは3.3メートルという規模で、枝の広がりは23メートルにもなる、堂々たる大木です。下から上まで、花をいっぱいにつけていまして、見上げますとにわかに空に桜色の雲が沸き立っているかのようです。木下にはスイセンがたくさんの花を咲かせていまして、春らしい鮮やかな色彩のコントラストを楽しむことができました。午後6時30分、黄昏の空気に周囲が包まれゆく中、桜にそっとスポットライトがあたりました。桜色は光の当たるところとそうでいないところで繊細な色合いの変化を呈して揺らめき、全体としてこの上のない優美な篝火となって、目の前に灯っていました。向こうに見える武田廣神社境内の桜も満開で、わに塚の桜とともに輝きを放っていたのが印象的でした。

山高神代桜

山高神代桜
(北杜市武川町山高、2018.4.1撮影)
山高神代桜

満開の山高神代桜
(北杜市武川町山高、2018.4.1撮影)
実相寺境内

実相寺境内、ソメイヨシノとスイセン
(北杜市武川町山高、2018.4.1撮影)
実相寺・門前の桜

実相寺・門前の桜
(北杜市武川町山高、2018.4.1撮影)
夕闇の桜

夕闇の桜
(北杜市武川町山高、2018.4.1撮影)
境内の夜桜の風景

境内の夜桜の風景
(北杜市武川町山高、2018.4.1撮影)

 最後に、韮崎市から北へ、北杜市武川町にある山高神代桜を再訪しました。日本三大桜のひとつ(残りの2つは、三春滝桜と根尾谷淡墨桜)として知られます。この桜の特質は、なんといってもその樹齢で、推定で1,800年とも2,000年とも言われる長さを誇ります。その大きさも齢を重ねる割に樹高10.3m、根元・幹周り11.8mもあって、日本最古、そして最大級の桜として、多くの人々の崇敬を集める存在となっています。桜のある実相寺境内に着いた頃には既に午後7時前となっており、辺りは暗闇に包まれていましたが、闇の中、夜風にはためくような満開のエドヒガンザクラは、悠久の時を超えて妖艶さと鷹揚さを蓄えているかのようなしなやかさを見せていました。

 境内にはソメイヨシノやシダレザクラもたくさん植えられていまして、桜の花びらが夜風に舞う中、まさに桜の楽園のようなあたたかさに満ちていました。寺院の境内ということもありほとんど照明もなく、闇夜のひととき、訪れる人のない風景は、吸い込まれそうなほどに端麗で、畏怖さえ感じさせました。


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