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山辺の道、青垣碧壌

 2009年3月7日、大和国の古代道路のひとつである「山辺の道(やまのべのみち)」を歩きました。歴史と豊かな景観とを感じることのできる気持ちの良いハイキングコースとなっている「まほろばの道」をご紹介します。

 ※タイトルの「青垣碧壌」は筆者の造語です。「せいえんへきじょう」とお読み願います。

山辺の道

山辺の道・野辺の菜の花
(天理市内、2009.3.7撮影)
山辺の道

山辺の道、大和青垣の向こう、三輪山を遠望する
(天理市内、2009.3.7撮影)

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ページ設置:2013年5月26日

古道の面影 ~丹波市から山辺の道へ~

 古来より幾多の豪族が割拠し、古代日本において中枢的な位置を占め続けてきた奈良盆地は、大阪へのベッドタウンとして多くの宅地開発がおこなわれる中にあっても、なお、そうした遥か昔日の事跡を感じさせる歴史的資産が濃厚に残されています。奈良に限らず、大阪や京都、滋賀など、近畿地方の諸地域を歩くことによる筆者にとっての一番の感動は、著名な史跡や文化に触れることではなくて、何でもない日常的な都市や集落景観の中にこうした懐かしい風景を目にすることです。明治維新を経て日本が近代的文化や諸制度を本格的に受容し、産業や流通が根本的に変容してから約150年を迎えようとする現在でも、日本各地には近代化が進む前後における幾多の建造物や土木資産が存立し続けているということに気づかされてからは、そうした「昔ながらの日本の残片」を記録し、現代的事物の成長との関わりとのなかでとらまえることが重要なことなのではないかと考えるようになりました。これはもちろん畿内だけのことではなくて、他の地域においても同様に大切なことではないかと考えています。

 今回は、そうした日本的なもののまさに原点である奈良盆地の東縁、「大和の青垣」と美称されるたおやかな丘陵地帯に最古の古道として建設された「山辺の道」を歩きます。

天理駅前広場

天理駅前広場
(天理市川原城町、2009.3.7撮影)
天理本通

天理本通
(天理市川原城町、2009.3.7撮影)
丹波市

丹波市町の景観
(天理市丹波市町、2009.3.7撮影)
丹波市

丹波市町・陽屋根のある風景
(天理市丹波市町、2009.3.7撮影)

 2009年3月7日、春の日が穏やかな朝、「天理総合駅」から踏破をはじめます。もともと別の駅であった両鉄道の天理駅が1965(昭和40)年に統合された経緯から、地元では「天理総合駅」の通称で呼ばれます。駅前広場の広い空間を南東に進み、アーケードの天理本通を東へ進めば天理教関連の諸施設を経て山辺の道散策の起点である石上神宮(いそのかみじんぐう)へと至ります。石上神宮へ向かう前に、現在の天理市街地の中心的な町場が形成されていた丹波市を訪ねることにしました。

 1954(昭和29)年にかつての丹波市町などの合併により天理市が誕生する前は、旧丹波市町は奈良県内でも屈指の町場を形成していたようです。市役所北西の川原城町の信号を西へ国道25号を進み、最初の信号を南へ折れると、布留川の流れを超えた先に奥ゆかしい町場が連なる丹波市町の街並みの中へと誘われます。平入・切妻造の町屋は格子壁や虫籠窓を備える伝統的な佇まいで、ここが歴史が古く、かつては大いに栄えた場所であることが想像されます。丹波市の街並みを貫通する通りは、近世には上街道と呼ばれ、京都や大阪から奈良を経て、伊勢や吉野方面へ向かう重要な街道として整備・保護されていたようです。ルーツをたどりますと山辺の道などと並び古代官道として建設された「上ツ道」に行き着くという古い伝統を持つ道筋です。中世より六斉市が立ち、近世から明治期にかけても市場の立つ賑やかな町場であったといいます。クランク状に曲がった先は道幅が広くなり、かつては馬に水を飲ませていたという水路が暗渠となって存在し、ここがかつて市が立った場所であることが理解されます。広い道路の北側の一角には、明治時代に造られたという陽屋根(木製のアーケード)の一部が現存し、丹波市の街並みのシンボルとなっています。近くに鎮座する市座神社の名前にも、市場としてのこの町の歴史を物語っています。

布留町の景観

「布留の里」の景観
(天理市布留町、2009.3.7撮影)
石上神宮

石上神宮・拝殿
(天理市布留町、2009.3.7撮影)
永久寺跡

永久寺跡
(天理市杣之内町、2009.3.7撮影)
生駒山地・矢田丘陵

生駒山地・矢田丘陵を望む
(天理市園原町付近、2009.3.7撮影)

 天理本通に戻り、長大なアーケードを抜けて布留川のつくる扇状地をゆるやかに駆け上がるように進みます。後にご紹介する大神神社とともに日本最古の神社といわれる石上神宮の周辺は古来より布留(ふる)の里と呼ばれ、万葉集にも詠んだ歌が収録されているほど、古くから歌枕として憧憬の的であった土地です。山辺の道は全体では奈良市の春日山から丘陵に沿って桜井市に至る全長約35キロメートルの道程ですが、石上神宮以南の約15キロメートルのルートがハイキングコースとして、より整備されています。山々の緑や町屋造の家並、谷間に沿って小ぢんまりとある水田の奥ゆかしい布留の里は、山辺の道の沿線に次々と展開する美しい風景の序章にしかすぎませんでした。

 石上神宮の境内から南へ小道を下り、国道25号をくぐって進みますと内山永久寺跡に到着します。永久年間(1113~7)に建立された永久寺は石上神宮の神宮寺として大伽藍を構えたものの、明治期の廃仏毀釈により廃寺となりわずかに池を残すのみとなっているのだそうです。池の周囲は季節になると桜が美しいことで知られているようで、筆者が訪れた時は梅の花が一斉に咲き揃っていました。折しも早春の穏やかな気候に恵まれたこの日は、野辺に多くの草花が芽吹いて、のびやかな田園風景に彩りを添えていました。たおやかな山裾をなぞるように進むルートは、水田の只中を、集落の中を、また場合によっては住宅と住宅の間のわずか数メートルの空間を軽やかに進んでいます。山から流れだす谷間をいくつも経由するため、ちょっとした峠を上がって下る場所もあります。高台では、奈良盆地の茫漠たる風景の彼方、盆地西縁の矢田丘陵を介して生駒山地や金剛山地の山並みも眺望できます。

夜都伎神社

夜都伎神社・拝殿
(天理市乙木町、2009.3.7撮影)
金剛山地

金剛山地から二上山(右)を望む
(天理市園原町付近、2009.3.7撮影)
山辺の道

集落の中を進む山辺の道
(天理市乙木町付近、2009.3.7撮影)
山辺の道

田園風景の中を進む山辺の道
(天理市乙木町付近、2009.3.7撮影)

 永久寺跡から峠を越え園原町の小さな集落や水田のある谷間を下るように進み、乙木町の集落の北側に位置する夜都伎(やとぎ)神社へ到着します。この地域では珍しいという茅葺の拝殿が、春日造檜皮葺の壮麗な本殿と寄り添って宮山(たいこ山)と呼ばれる小丘上に鎮座しています。春日大社と関係が深く、集落の方向に南接する石鳥居は、1848(嘉永元)年に春日若宮から下賜されたものと言われているのだそうです。乙木集落は、土蔵造りで外壁を板張りとした家並みが続く風景がたいへん印象的でした。

後半へ続きます。



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