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「街」としての萩
2000年3月、山口県(萩、青海島、秋吉台)を訪れました。早春の山口県内はたおやかなやさしさに溢れているように感じられました。「地域文」としては私にとって処女作となるこの文章(これより前に書かれた文章をリメイクしたものはありますが、地域を意識して書いた文章はこれが最初と記憶しています)、ついに(?)公開です。 ※文章は、2000年3月当時の状況で書かれています。ご了承ください。 |
訪問者カウンタ ページ設置:2005年7月29日 |
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山口は、捕らえどころのないところであると思う。本州の一番西にある県であるため、他の府県と違い、日本海側とか、太平洋側とか、内陸とか、明確に区分できない位置にある。つまり、山陽・山陰・中国山地という3つの特色ある地域の特徴をすべて併せ持った土地柄であるといえるというわけである。さらに、他の府県の場合、県庁所在都市を中心とした大きな都市があり、その都市が県全体をいわば統括する格好になっているのに対し、山口県の場合は、県庁のある山口市が人口12万余りと全国の県庁所在都市中最小の人口にとどまっていまいちぱっとしない。かといって人口が最も多い都市といえば、下関市(25.3万人)で、こちらは県の最西端という位置もあり、なかなか県内で勢力圏を広げるというわけにはいかない。むしろ、関門海峡を挟んだ対岸の北九州市とのつながりが深く、九州の経済圏に包摂されているきらいがある。九州と山口県とを合わせて「十州」と呼ぶこともあると聞く。また、人口が10万を越える都市が山口、下関のほかに、宇部(17.2万人)、徳山(10.8万人)、防府(11.9万人)、岩国(10.8万人)と4つもあり、まさに「どんぐりの背比べ」の様相を呈している。つまり、山口県は、地域区分でも、都市の分布形態においても、わが国の他地域には余り見られない独特の特性を持っているといえる。この「個性的」な山口を一度しっかりと見ておきたい。そして、似たような都市どうしがどのように存立し、中心性を持って機能しているのかを確かめてみたい。今回の訪問の動機は、まさにこのようなところにあったといってよい。 萩は、そんな個性豊かな山口の中にあって、その個性を象徴するような街の1つであろう。長州藩の本拠として維新の夢を抱いた多くの志士たちを育んだ土地としてあまりにも有名であるし、また「山陰の小京都」として、土塀や堀の多く残る景観はまさにこの街にしかない特色である。さらに、萩は山口県の日本海側の中心地としても重要な地位を占めている。そんな萩の街を、春の雨の中、ゆっくり散策した。
萩は、土塀の中に日常が重なる「不思議な」街であった。特に、萩城跡(指月公園)の外堀から三の丸にかけて広がる堀内地区は、藩政時代から続く多くの長屋門や土塀を残し、その落ち着いた雰囲気と現代の生活空間とが微妙に触れ合うところであった。石垣を数段積み重ねた上に、白やオレンジの土壁を連ねた土塀がごくありふれた路地脇に続いている。路地は舗装されていたり、砂利道だったり、また土塀自体もしっかり塗りなおされたものや崩れかけたものなどもあり、実にさまざまである。土塀が両脇に連なり昔ながらの雰囲気を漂わせていたかと思うと、突然大通りに出て車が行き交い、いつのまにか現代のモータリゼーション著しい巷へと移り変わってゆく・・・。街全体が博物館のような中にあっても時は2000年、確かに人々はそこでくらしているのだ。
北東セクター〜南セクターは、萩で一番の中心商店街である。東萩駅とバスセンター、萩駅とをつなぐ交通の動脈上に位置し、萩市内のみならず、周辺の後背地からのアクセシビリティも高い地区となっているためであろう。背後に堀内地区や萩城下町などの観光地も擁し、商店やスーパーマーケットなどの立地も多い。街路がやや狭く、自動車利用には少々不便だが、バス利用で周辺からやってくる高齢者には重要な日常生活の拠点となっているように思われた。
秋吉台に春は駈ける 春のつつみこまれるような青い空は 時折吹き込む春風の音と重なり合う 明日は春の雨になるだろう |
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