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35.二十世紀梨の花(鳥取県) 二十世紀梨(にじっせいきなし)は、鳥取県の特産物としてあまりに有名ですね。栽培面積、収穫量、出荷量ともに日本一を誇ります。幸水や豊水など、日本梨全体では、茨城県、千葉県に次いで第3位の生産量となるようです。私の地元群馬県でも、前橋市や明和町などの梨の生産が盛んな地域があり、日本各地で梨の栽培が盛んな地域がありますが、だいたいは幸水や豊水などいわゆる「赤梨」の産地で、日本全体でも赤梨の生産が主流です。その中で、鳥取県は県全体の梨の生産量のうち実に約75%が二十世紀梨であり、まさに鳥取県は二十世紀梨の特産地であるといえます。ほぼ県全域において栽培されていますが、県の中部から東部にかけてが主要な生産地であるようです。春になると、梨畑は白い梨の花で埋め尽くされます。そんな梨の花が、鳥取県を象徴する存在として、県の花とされたのは、ごく自然なことではないかと思いますね。このように、鳥取県で花開いている二十世紀梨ですが、その故郷が鳥取から遥か離れた、千葉県松戸市であることは、意外に知られていないことなのかもしれません。 松戸市内には、その名も「二十世紀が丘」という場所があります。1888(明治21)年に、現在の二十世紀が丘(東葛飾郡八柱村)に住んでいた少年、松戸覚之助がごみ捨て場に生えていた小さな梨の木を偶然発見し、彼の父が経営する梨園「錦果園」にそれを移植して育ててみたところ、10年目に結実しました。 この梨は、形がよく、これまでにない甘さとジューシーさを備えていました。その年、日本初の農学士であった渡瀬寅治郎により、「二十世紀梨」と命名されました。二十世紀に王座をなすであろうとの願いを込めたものといわれています。
1904(明治37)年、鳥取市の旧家に生まれた北脇永治が苗木10本を、育成者松戸覚之助の経営する「錦果園」から購入したことから、鳥取県の二十世紀梨の歴史が始まります。甘美な風味を持つ二十世紀梨は全国的に栽培が普及したものの、黒斑病という病気に弱い品種であり、各地での生産量は徐々に少なくなっていきましたが、鳥取県では黒斑病の克服に向けて研究と努力が重ねられ、今日の大生産地へと発展していったのですね。 2004年は、鳥取県に二十世紀梨が移入されて、ちょうど100年という節目の年です。今年も、故郷から遠く離れた鳥取県の大地で、二十世紀梨はたおやかに、県民のたゆまぬ努力に支えられて、豊かな実りを迎えることでしょう。100年前に千葉県からやってきた二十世紀梨の苗木の一部は、現在でも鳥取市内に生育しており、実をつけ続けているのだそうです。 山の端へ絨毯をなす梨の花 |
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