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平成から令和へ
~2019年、東北・道南、桜と歴史の風景~

 2019年4月27日から28日にかけて、秋田県角館、青森県弘前、そして津軽海峡を越えて北海道松前と函館へ進みました。
それぞれの地域で時代の変化を感じながら、それぞれの桜の風景を見つめました。

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ページ設置:2020年8月12日

角館、武家屋敷通りの町並み ~シダレザクラに包まれる閑雅~

 1989年1月の改元から約31年、この年の5月に令和へと変わることとなった平成の最後の4日間は、晩春の季節を濃厚に感じることのできる東北から北海道を回ろうと思っていました。前年の夏に道南をめぐった際、松前における本土を彷彿とさせる青葉の桜を見た時に、この場所の春の様子も見つめたいと感じたことも動機の一つでした。4月27日の早朝、未だ暗い東北道を北へ進み、秋田道を経て秋田県仙北市の角館に到着したのは午前7時30分頃のことでした。やわらかに雨の降る「みちのくの小京都」は、改元に伴う大型連休の初日でしたが人通りはまだまばらでした。

角館・古城山

角館・古城山
(仙北市角館町表町上丁、2019.4.27撮影)
角館・武家屋敷通り

武家屋敷通りの景観
(仙北市角館町表町上丁、2019.4.27撮影)
角館・武家屋敷通り

武家屋敷通りの景観
(仙北市角館町表町上丁、2019.4.27撮影)
武家屋敷通りのシダレザクラ

武家屋敷通りのシダレザクラ
(仙北市角館町表町上丁、2019.4.27撮影)
武家屋敷通り・枡形

武家屋敷通り・枡形
(仙北市角館町表町下丁、2019.4.27撮影)
角館・外町の景観

角館・外町の景観
(仙北市角館町中町、2019.4.27撮影)

 国道341号沿いにある武家屋敷入口交差点近くの駐車場に車を止めて、路面が濡れる武家屋敷通りを歩きます。深い杉木立の中に埋もれるようにシダレザクラが枝を揺らす風景は、角館の春を穏やかに彩ります。「角館のシダレザクラ」として国の天然記念物の指定を受けるシダレザクラは162本を数えます。それは秋田の久保田藩領の一拠点となった角館に、所預かりとして1656(明暦2)年に入った佐竹義隣(よしちか)やその子義明の時代に、京都から持ち込まれたものが受け継がれてきたものと伝わります。薬医門や屋敷、土蔵などが昔ながらの佇まいを見せる武家地に、満開から葉桜へと徐々に移り変わるシダレザクラがしなやかに重なって、えも言われぬ晩春の情景を現出させていました。花や若葉が雨に濡れるようすも、涼やかな朝の空気にしっとりと寄り添います。艶やかな絹糸のようなシダレザクラが朝の静かな時間を可憐に彩っていました。

 武家屋敷が建ち並ぶかつての武家地は「内町(うちまち)」と呼ばれます。内町の南には町人地である「外町(とまち)」へとつながり、両エリアの間には広幅員の道路があって火除地とされました。外町は市役所支庁舎のほか多くの公共施設に混じって昔ながらの土蔵や町屋が立ち並び、藩政期から現代に至るまで、角館の中心市街地として機能してきた様子がうかがえます。郵便局前には歩道前に雁木状の屋根が架けられたちょっとしたポケットパークがあって、バス停のほか朝市などのイベントが行われる場所であるようでした。その雁木の前を通り最初の交差点を南へ。立町商店会と掲げられた町並みを進みます。この通りの一筋東側には田町武家屋敷通りがあって、その中心的な存在であった西宮家の建物群もこの通りに面していて公開されていました。さらに通りの南には安藤醸造元の建物が美しい風合いを見せていまして、歴史ある武家町の風情を表現していました。さらに穏やかな町を進んだ咲きの神明社の小高い境内からは、シダレザクラが随所にほの明かりを照らす角館の家並みを眺望することができました。

立町ポケットパーク

角館・雁木状の立町ポケットパーク
(仙北市角館町下中町、2019.4.27撮影)
安藤醸造元

安藤醸造元
(仙北市角館町下新町、2019.4.27撮影)
安藤醸造元

安藤醸造元の塀とシダレザクラ
(仙北市角館町下新町、2019.4.27撮影)
神明社

神明社
(仙北市角館町岩瀬、2019.4.27撮影)
神明社から見た角館の町並み

神明社から俯瞰する角館の町並み
(仙北市角館町岩瀬、2019.4.27撮影)
田町武家屋敷通り

田町武家屋敷通り
(仙北市角館町田町下丁、2019.4.27撮影)

 神明社からは市街地方面へと戻り、田町武家屋敷通りのしなやかな町並みへと進みます。こちらの通りにもシダレザクラがたくさん植えられていまして、春の極上の情趣に包まれていました。武家屋敷通りと比べて人通りも少なく、快い散策ができるのも魅力的に感じます。武家屋敷通りの景観を探索した後は、県道を右折して緩やかな坂道の上にある角館駅前を概観しました。秋田新幹線も停車する駅前はこの小京都の文字通りの玄関口です。ここからは秋田県北部の内陸を進むローカル線も発着しており、簡素な駅舎が隣接していました。駅へ向かう通り沿いは市街地の町並みと穏やかに連続していまして、落ち着いた雰囲気を感じさせるのもどこか好感を持たせました。

 ソメイヨシノがはらはらと舞い降りる松庵寺の境内をくぐりながら再び市街地へ戻って、西側をおおらかに流れる桧木内川のほとりへ向かいました。桧木内川の堤防上には、約2キロメートルにわたって400本ほどのソメイヨシノが植えられていまして、それは角館を代表するもう一つの名所として知られています。雪解け水を迸らせる川面は、鈍色の空の色のままの精悍さをもって大地を潤して、まさに満開を迎えていた堤の桜に相対していました。曇り空の元でもなおさわやかな桜色を呈する桜並木のヴェールの上には、雪を頂いた奥羽山脈の山並みが重なって、長い冬の名残を感じさせました。角館の町並みの南西には寺院が集まって寺町を構成しています。静かな寺町には訪れる人も少なく、この町がこの場所にあって地域の中心地として生きてきた歴史を静かに物語っているようでした。

角館駅前

角館駅前の風景
(仙北市角館町上菅沢、2019.4.27撮影)
松庵寺

松庵寺
(仙北市角館町田町上丁、2019.4.27撮影)
桧木内川の桜並木

桧木内川の桜並木
(仙北市角館町西北野、2019.4.27撮影)
桜並木と奥羽山脈

桧木内川桜並木越しに見る奥羽山脈
(仙北市角館町西北野、2019.4.27撮影)
角館・寺町の景観

角館・寺町の景観(本明寺)
(仙北市角館町西勝楽町、2019.4.27撮影)
桧木内川

桧木内川
(仙北市角館町西北野、2019.4.27撮影)

 再び桧木内川の桜並木の下へと戻って、桜の木々の下を散策し、徐々に人が増え始めた武家屋敷通り方面へと戻ります。弱く降っていた雨も止んで、しっとりと濡れたシダレザクラの風合いはこの上のない情趣を含ませていまして、遙か遠くの京都を思い完成されたとも言われる風雅を存分に醸し出していました。午前10時前には角館を後にしまして、先ほど言及した秋田内陸線の鉄路に沿うように進む国道105号を通って弘前へと向かいました。山岳地帯はまだ木々も芽吹かない冬の装いままで、随所に残雪があって寒々とした風景が連続していました。


弘前市街地と弘前公園を歩く ~桜に彩られる城下町の風景~

 角館を出発して自動車を走らせて秋田県内を進み、秋田自動車道の無料期間から東北自動車道へと入って、弘前市内へ。午後1時過ぎにこの日投宿する予定の弘前駅前へと到着することができました。雨は降っていないものの曇り空の下の弘前駅前は、全国有数の桜の名所として例年多くの観光客を集める弘前公園へ向かうバス発着所の前に人が集まり始めていました。私は弘前公園へ向かう前に、城下町としての弘前を探勝すべく、駅前から土手町まで続くことから命名された「えきどてプロムナード」を散策します。

弘前駅

弘前駅
(弘前市駅前町、2019.4.27撮影)
えきどてプロムナード

えきどてプロムナード
(弘前市駅前町、2019.4.27撮影)
奥州街道

奥州街道(県道220号)
(弘前市土手町、2019.4.27撮影)
胸肩神社

胸肩神社
(弘前市品川町、2019.4.27撮影)
御前水

御前水
(弘前市吉野町、2019.4.27撮影)
富田の清水

富田の清水
(弘前市紙漉町、2019.4.27撮影)

 ベニシダレザクラの並木が続く散策路には、りんごなどをモチーフにした多様なモニュメントが設置されていまして、そのルートは自動車の喧噪から離れた心井散歩を楽しめるように配慮されています。春本番を目で感じた後は行き当たった奥州街道を左折し、品川町の胸肩神社を拝観、穏やかな市街地を西方向へ歩き、「富田の清水(しつこ)群」と呼ばれる、湧水が集まるエリアへと進みました。最初に目にした湧水は「御前水」。1686(貞享3)年に藩主の命を受けて紙漉座を創設するにあたり、良質の水を求めてこの地にそれが設けられ、そこから「紙漉町」の地名も生まれたという由緒を持ちます。弘南鉄道大鰐線が寄り添う土淵川を渡りますと、重要文化財指定を受けるものとしては本邦最北に位置する五重塔を擁する最勝院の門前へと行き着きます。津軽藩祖・津軽為信による津軽統一の際に犠牲となった敵味方の人々を供養するために長い年月を経て建立されたという五重塔は、江戸時代初期における一地方の情勢を今に伝えるものとしても貴重なものであるように思われました。

 ソメイヨシノやシダレザクラが気品に満ちた姿を見せる境内を北へ進みますと、新寺町の界隈へと続く道へと出ます。土淵川支流の寺沢川を渡る橋は「日暮橋」で、西方へ向かう道筋にあることを印象づけます。元寺町(現在の西茂森地区)の大火で焼失した寺院の移転先として新たな寺町として割り出された歴史を持つ地区です。町の入口にある弘前高校の敷地内には青森県最古の木造校舎である「鏡ヶ丘記念館(旧青森県尋常中学校本館)」が残されています。現在の新寺町は整然と並ぶ寺院と、アパートや住宅などが混在する町並みとなっていまして、時代の移り変わりにより市井へ溶け込んだ寺町の今を観察することができました。古い町屋も残る町並みを北へ、寺沢川のつくる小規模な谷間を下って進みますと、元来の寺町である西茂森地区方面へと到達することができます。茂森町の枡形を過ぎますと、一直線の道路の両側の杉木立が続く風景に出会うことができます。津軽家菩提寺の長勝寺参道であるこの道路は、沿線に曹洞宗の33ヶ院が林立することから、「禅林街」と呼ばれています。黒門の先は杉並木の続く別世界のような風景が続いていまして、歴代の藩主が眠る古刹へ訪れる人々を導いていました。長勝寺は本堂や山門が重要文化財の指定を受けていまして、この地方における藩政期の代表的な建築のひとつとしてその結構を今に伝えています。

土淵川と弘南鉄道大鰐線

土淵川と弘南鉄道大鰐線
(弘前市吉野町、2019.4.27撮影)
最勝院五重塔

最勝院五重塔
(弘前市銅屋町、2019.4.27撮影)
最勝院

最勝院
(弘前市銅屋町、2019.4.27撮影)
鏡ヶ丘記念館

鏡ヶ丘記念館
(弘前市新寺町、2019.4.27撮影)
新寺町の風景

新寺町の風景
(弘前市新寺町、2019.4.27撮影)
禅林街・黒門

禅林街・黒門
(弘前市西茂森、2019.4.27撮影)

 禅林街を散策した後は、いよいよ弘前城方面へと歩を進めます。禅林街は弘前城から見て西南の位置にあたり、その立地は岩木川のつくる段丘崖の突端に位置する城下の守りの要衝としての役割も持っており、長勝寺境内付近の一帯は特に弘前城の出城としての機能を持つ「長勝寺構」と呼ばれました。その岩木川と東の土淵川に囲まれた南北に細長い台地上に計画された弘前城は、城郭のみならず城下町全体を防衛するよう計画されました。桜で彩られる天満宮境内を経ますと、その城下町の中心にあって堀をめぐらす弘前城周辺は間近となります。弘前市は1889(明治22)年に市制・町村制が創始された際に最初に市となった31の都市のひとつです。前述の台地の先端にある弘前城の周辺は弘前市街地の中心であり、公共施設や商業施設が多く集積しています。その中で、青森銀行記念館の洋風建築が目を引きました。1904(明治37)年建築というその建物は、当時の名匠の手によるもので、近代建築に確かな技術で挑んだ往時の人々の気概を感じさせます。

 弘前城の外濠沿いのソメイヨシノは満開を迎えていまして、水面にはみずみずしい花筏がやさしく漂っていました。観桜客が徐々に増え始めた午後、市役所に相対する追手門より城内へと進みます。ソメイヨシノはどの木もめいいっぱいの花を咲かせていまして、目眩く晩春の情景を最高潮に演出していました。園内の広葉樹もみずみずしい新緑を芽吹かせ始めていまして、すべての歓喜がこの時期に一斉に訪れる「みちのくの春」を存分に感じさせました。外濠の内側は三の丸で、杉の大橋が架かる中濠を越えると二の丸となります。枡形となっている南内門を越えて土塁を回り込むようにして歩きますと、内堀に囲まれた本丸へと導かれます。その工程の間にもたくさんのソメイヨシノやシダレザクラがしなやかな樹冠を春風にそよがせていまして、春の暖気がこの一点に凝縮されたような風景が目の前に連続していきます。中には壮大に滝のような枝を迸らせる大しだれもあって、驚かされます。

禅林街の景観

禅林街の景観
(弘前市西茂森二丁目、2019.4.27撮影)
長勝寺三門

長勝寺三門
(弘前市西茂森一丁目、2019.4.27撮影)


長勝寺
(弘前市西茂森一丁目、2019.4.27撮影)


長勝寺構から岩木山を望む
(弘前市西茂森一丁目、2019.4.27撮影)


天満宮の桜
(弘前市西茂森一丁目、2019.4.27撮影)
青森銀行記念館

青森銀行記念館
(弘前市元長町、2019.4.27撮影)

 内濠に架かる朱色の下乗橋を渡りますと、シダレザクラが多く植えられる本丸です。橋に近い石垣の上には弘前城を象徴するこぢんまりとした天守が据えられていましたが、訪問時現在は石垣の大改修のために本丸内に一時的に曳家で移転しています。主役のいない堀端の桜は、改修が進む石垣の様子とともに満開の表情を見せていまして、この城の歴史の蓄積をリアルに表現して見せていました。石垣の改修工事は2023年に終了する予定で、天守はそれに先駆けて2021年に元来の位置に戻される予定とのことです。時代を超えてこの町を支えてきた城跡の風情と、その流れを引き継ぐための工事現場の機械的な構図とが、どこか温かい空気に包まれているように感じられて、はらはらと舞い降りる桜の花弁を受け止めていました。

 天守は本丸中程の仮天守台に曳家されています。その東側に隣接して天守台を眺望する仮設のデッキが設けられていまして、その上からはこの移設中の時期限定の風景-天守と岩木山とを望むパノラマ-を観賞することができます。天守は江戸時代から受け継がれるいわゆる「現存12天守」の一つとしても知られます。約2,600本あるとされる桜は極上の輝きに溢れていまして、相変わらず曇天の下ではありましたが、北の大地に根付いてなお輝く、津軽の春の粋を存分に表現していました。弘前公園の北側には、藩政期における武家地の町割りをそのまま残した地区(仲町(なかちょう))の町並みが存在しています。生垣がしなやかな雰囲気を醸す風景は弘前城に至近な場所であるにもかかわらず人通りもほとんど無く、最北の地における有数の城下町の佇まいを濃厚に感じさせました。

弘前城外濠の桜

弘前城・外濠の桜
(弘前市下白銀町、2019.4.27撮影)
弘前城・追手門

弘前城・追手門
(弘前市下白銀町、2019.4.27撮影)
弘前城

弘前城・中濠の桜
(弘前市下白銀町、2019.4.27撮影)
石垣の改修工事現場

弘前城・石垣の改修工事現場
(弘前市下白銀町、2019.4.27撮影)
弘前城天守

曳家された弘前城天守
(弘前市下白銀町、2019.4.27撮影)
弘前城のシダレサクラ

弘前公園のシダレザクラ
(弘前市下白銀町、2019.4.27撮影)

 徐々に夕刻が迫り、弘前公園内でも徐々にライトアップが始まりました。桜が暖かな色合いを見せる中でも、風はまだまだ冷たく肌に感じられます。西壕に沿ったソメイヨシノのトンネルを歩きながら、冬から春へと移り変わる季節の強弱を実感します。黄昏時の桜はさらにその繊細な色彩を濃密に夜空に浸して、藍色から濃紺へとしなやかなグラデーションをつくる中に多様な明るさを秘めた桜色を添えていました。藩政期から近代へ、時代が急速に変化する中で、江戸時代の終焉までその影響を長く受け続けた東北地方にあって、その変容に対応することは否応なしに進められるべき事項でした。そんな旧来の態勢の象徴である城跡に、人々は桜を植えました。新しい世への期待と不安、そして長く地域を収めてきた藩主への思いが込められていたのかもしれません。
 
 公園内には、日本最古級とされるソメイヨシノの古木があります。旧藩士の菊池楯衛から1882(明治15)年に寄贈され植樹されたものと言われていまして、樹齢は約120年にもなる、堂々たる古樹です。弘前公園内には樹齢100年以上のソメイヨシノが400本以上もあって、それらは今日でも立派な花を咲かせているとのことです。



仲町武家屋敷
(弘前市若党町、2019.4.27撮影)
弘前城西壕の桜

弘前城・西壕の桜
(弘前市下白銀町、2019.4.27撮影)
西壕端の桜のトンネル

弘前公園・西壕端の桜のトンネル
(弘前市下白銀町、2019.4.27撮影)
日本最古のソメイヨシノ

弘前公園・日本最古のソメイヨシノ
(弘前市下白銀町、2019.4.27撮影)
ライトアップされたシダレザクラ

ライトアップされたシダレザクラ
(弘前市下白銀町、2019.4.27撮影)
弘前公園の夜桜

弘前公園の夜桜
(弘前市下白銀町、2019.4.27撮影)

 平成から令和へ、時代が変遷しても受け継がれる地域の華を、石垣の改修工事の現場を再び概観しながら、この目に焼き付けました。


津軽海峡を越えて北へ ~松前城下、桜と歴史に溢れる光景~

 春の雨がやわらかに空を曇らせた、角館から弘前へと至った一日から開けた翌日は、抜けるような晴天に恵まれる朝を迎えました。この日は新青森駅前に確保しておいた駐車場に車を止めて、北海道新幹線を利用し北へ向かう予定にしていました。弘前市街地郊外の「りんご公園」からは、雪をかぶった岩手山と、間もなく開花を迎えるりんごの木とを、さわやかに俯瞰することができました。

りんご公園と岩木山

りんご公園と岩木山
(弘前市清水富田、2019.4.28撮影)
新青森駅

新青森駅
(青森市石江二丁目、2019.4.28撮影)
新青森駅から見た八甲田山系

新青森駅から見た八甲田山系
(青森市石江二丁目、2019.4.28撮影)
下北半島を望む

北海道新幹線より、津軽半島の大地と下北半島を望む
(北海道新幹線より、2019.4.28撮影)
北海道道南・新緑の山並み

北海道道南・新緑の山並み
(国道228号・知内町~福島町の間、2019.4.28撮影)
津軽海峡

津軽海峡と津軽半島を望む
(北海道松前町、2019.4.28撮影)

 国道7号をたどり、到達した新青森駅の周辺は、都市郊外のロードサイド型の店舗が集積する地区に隣接した新興開発区域といった体の風景が広がる場所でした。整然と区画された街区には未だ空き地が多く、駅前の駐車場や病院施設が不釣り合いなほどの規模で駅に隣接しています。東口側には青森ヒバのシンボルツリーがあって、全面ガラス張りの現代的な駅舎が偉容を見せていました。駅内部のコンコースからは雪をかぶった八甲田山系を望むことができまして、北の大地の雄大さを実感しました。この日は、冒頭に記載したとおり、道南における桜の名所の一つである松前を再訪するつもりでした。北海道新幹線で津軽海峡を越えて木古内駅へ。そこからは路線バスを利用して松前へ向かいます。津軽海峡の前後におけるトンネル部分以外の山並みには新緑が芽吹き始めていまして、それは北海道側の山中へと引き継がれていました。

 新幹線駅として表情を一新した木古内駅前には道の駅の施設があって、道南西部エリアにおける交通結節点として多くの観光客などで賑わっていました。駅前を出発したバスは国道228号を南へと辿り、津軽海峡沿いから知内町と福島町の間は内陸を通過して、穏やかな海と山並みとを車窓から俯瞰することができました。松前市街地に程近いバス停からは、津軽海峡の彼方に津軽半島の稜線をくっきりと望むことができました。飲食店などが建ち並ぶ市街地を過ぎ、天神坂と呼ばれる石段を上り、天神坂門より松前城内へと進みます。門の近くには大きな樹勢を示すソメイヨシノが根を下ろしていまして、たおやかに花を咲かせていました。

松前市街地

松前市街地の景観
(松前町松城、2019.4.28撮影)
天神坂の景観

天神坂の景観
(松前町松城、2019.4.28撮影)
天神坂のソメイヨシノ

天神坂にあるソメイヨシノ
(松前町松城、2019.4.28撮影)
松前城からの俯瞰

松前城から市街地を俯瞰
(松前町松城、2019.4.28撮影)
松前城天守

松前城天守
(松前町松城、2019.4.28撮影)
松前城と堀の風景

松前城と堀の風景
(松前町松城、2019.4.28撮影)

 松前城は正式には福山城の名前で呼ばれ、幕末の1854(安政元)年に幕府の命により海防強化のために完成した、日本では最後かつ北海道内では唯一の日本式城郭です。津軽海峡を望む海成段丘上の高台に縄張りが行われ、二の丸や三の丸の敷地内からは、海峡やその先の津軽半島、そして眼下の松前の家並みを穏やかに望むことができます。1949(昭和24)年の失火による焼失後1961(昭和36)年に再建された天守からも、海と桜と伸びやかな山並みに抱かれた風景を改めて眺望することができました。ソメイヨシノをはじめ、オオシマザクラ系のヤエザクラが多く植えられた城内は、北海道最南のこの地にいよいよ春本番の季節が到達したことを晴れやかに告げていました。堀に望む桜と城郭の風景も格別で、蝦夷地において日本的な藩政期の文化が色濃く残る当地の歴史を感じさせました。

 松前神社の前を通り、城跡に北側に広がる寺町へと歩を進めます。前の年の夏にここを訪れた際、北海道にあってこのような寺院が連続する景観が残されていることに新鮮な驚きを覚えました。杉木立に埋もれるようにしてある寺町は、城下町の北の防衛のためにつくられたもので、それは内地における城下町と変わらない構造です。戊辰戦争では松前は戦乱の舞台となり、寺町もその多くを焼損しました。重要文化財の龍雲院はその戦禍をくぐり抜けた貴重な伽藍が残ります。境内の蝦夷霞桜はまだつぼみでしたが、隣接する光善寺の「血脈桜」は多くの花を咲かせていまして、歴史ある寺町の風情をより格調高いものとしていました。血脈桜は藩政期に髪型を訪れた領民が持ち帰ったもので、寺院建て替えの際切り倒す予定であったものが、住職の枕元に桜の精が現れて血脈を求めたという伝承が残る名桜です。松前家の墓所などが残る寺町の景観は、随所にその輝きをはためかせる桜の木々によっていっそう目映いものへと昇華していきます。藩政期の面影を残す桜の城跡は、わずかに雲を纏始めた春空の下、北海道の遅い季節の訪れを静かに迎え入れているように感じられました。

龍雲院三門

龍雲院三門
(松前町松城、2019.4.28撮影)
寺町の景観

寺町の景観
(松前町松城、2019.4.28撮影)
光善寺・血脈桜

光善寺・血脈桜
(松前町松城、2019.4.28撮影)
桜に包まれた松前城

桜に包まれた松前城
(松前町松城、2019.4.28撮影)
木古内駅前

木古内駅前の景観
(木古内町本町、2019.4.28撮影)
函館市街地を望む

道南いさりび鉄道線から函館市街地を望む
(北斗市内、2019.4.28撮影)

 この後の函館へと進む行程を考え、松前城最寄りの「松城バス停」を午後2時29分に出発するバスで木古内へと戻りました。バスの車窓から望む津軽海峡は、春ののびやかな空気を追って、少しばかりさわやかな風貌を見せているように感じられます。津軽半島や遠く小さく見える函館山や渡島半島の山並みもわずかに滲んで見えているようでした。


函館市街地の夜景を訪ねる ~五稜郭の桜、そして函館山へ~

 2016年3月に新青森駅から新函館北斗駅まで開業した北海道新幹線ですが、その運行開始に伴い、「並行在来線」とされた木古内以東のJR江差線は経営分離され、第三セクターの「道南いさりび鉄道線」に転換されました。そのローカル線の列車で引き続き津軽海峡沿いを進み、午後5時30分頃函館駅へ到着しました。現代的な駅舎に改装された函館駅に降り立つのは2011年以来です。松前ではやや雲が多くなっていた天候も、函館に着く頃には再び快晴になっていました。

函館駅前

函館駅前の景観
(函館市若松町、2019.4.28撮影)
五稜郭公園前電停付近

五稜郭公園前電停付近の市街地
(函館市本町、2019.4.28撮影)
五稜郭公園へ向かう通りの桜並木

五稜郭公園へ向かう通りの桜並木
(函館市本町、2019.4.28撮影)
五稜郭俯瞰

五稜郭タワーから五稜郭を見下ろす
(函館市五稜郭町、2019.4.28撮影)
函館市街地北方

五稜郭タワーから市街地北方を望む
(函館市五稜郭町、2019.4.28撮影)
五稜郭の桜

五稜郭の桜
(函館市五稜郭町、2019.4.28撮影)

 次第に夕闇が迫る駅前から路面電車に乗り五稜郭公園を目指します。北海道南部、道南エリアの中核都市としての都市基盤を備える函館の市街地は、蝦夷地と呼ばれた北海道にあって、幕末以降外国に開かれた港町として飛躍した、最も鮮烈な近代都市としての佇まいをみせる町の一つと言えます。五稜郭の最寄りの電停である五稜郭公園前付近は、デパートも立地する函館市街地における中心的な繁華街の一つを構成しています。交差点から北へ、五稜郭へと進む通り沿いには中低層の商業系のビルが林立し、満開となったソメイヨシノの並木に彩られて活気を呈していました。午後7時に営業を終える五稜郭タワーに何とか滑り込み、水堀で囲まれた五芒星状の城郭が特徴的な姿を見下ろしました。郭内に多く植えられたソメイヨシノも満開の様子で、しなやかな桜色をその近代城郭の随所に輝かせていました。同タワー上からは、五稜郭の全景のほか、函館市街地を360度俯瞰することができます。函館山へと伸びる陸繋砂州を基盤として、港湾都市となった函館の町は、窓の外で美しいオレンジ色の夕景の中に溶け込もうとしていました。その優美な風景はこの町が多くの人々を惹きつける重要な要素の一つとなっていることを改めて実感しました。

 タワーでの時間を早々に終えて、やはり閉門時間の迫る五稜郭内へと急ぎました。五稜郭は日米和親条約における箱館開港に伴い、北方警護のための幕府の拠点として設置した箱館奉行所の所在地として建設された西洋式の稜堡です。郭内には箱館奉行所の建物も復元されていまして、往時を偲ぶことができます。土塁の上に植栽されたソメイヨシノはその多くが満開を迎えていまして、夕焼けの春空にその桜色を静かに滲ませているようでした。幕末から明治の初めの動乱の時代、五稜郭は戊辰戦争における新政府軍と旧幕府軍との最後の戦闘の部隊となりました。大きな時代の画期を象徴する史跡において、新たな時代を迎えるソメイヨシノの佇まいはどこまでもさわやかで、そしてどこまでも晴れやかな姿をしていたように感じられました。

函館市街地西方

五稜郭タワーから市街地西方を望む
(函館市五稜郭町、2019.4.28撮影)
五稜郭タワーから函館山を望む

五稜郭タワーから函館山を望む
(函館市五稜郭町、2019.4.28撮影)
箱館奉行所

五稜郭・箱館奉行所
(函館市五稜郭町、2019.4.28撮影)
五稜郭タワー

五稜郭の桜越しにタワーを望む
(函館市五稜郭町、2019.4.28撮影)
五稜郭公園外の桜

五稜郭公園外の桜
(函館市五稜郭町、2019.4.28撮影)
桜と五稜郭タワー

桜と五稜郭タワー(最上寺境内より)
(函館市五稜郭町、2019.4.28撮影)

 五稜郭の土塁の上に立ち、桜の波の彼方にライトアップされた五稜郭タワーを眺めます。夕刻の空の色を美しく照らす堀は水面も落ち着いていて、箱館と函館、城郭とタワーというこの町における新旧を象徴するような事物をやわらかく包み込んでいました。五稜郭の格外に位置する桜の木の下では、掲げられた提灯の下、北国の遅い花見に興じる人々の平和に満ちた光景に臨むことができました。五稜郭周辺の風景を探索した後は、再び路面電車を利用して市街地を縦断し、函館山ロープウェイの最寄りとなる十字街電停へ。そこから夜の町並みを急いで、坂道を上った先にあるロープウェイの山麓駅へと歩きました。長いゴールデンウィークの2日目ということもあり、函館観光における最大のハイライトとも目される函館山からの夜景を一目見ようと、多くの観光客が底に押し寄せていました。

 長い長い列に並び、満員のロープウェイに乗り、そして展望台周辺における芋を洗うような人の波をかき分け、ようやく目の前にすることのできた函館の夜景は、極上のきらめきに包まれていました。桜が満開になる季節とはいえ、晩春の夜半の函館山山上は吹き渡る風もかなり冷たくて、眼下の街の明かりをより鮮明なものにしているように感じられます。砂州の上に成長した函館の市街地は無数の輝きに彩られて、漆黒の海上とくっきりとしたコントラストを見せていました。ロープウェイの最終予定時刻が近づいてもまだ多くの人々が展望台周辺に残っていました。下りの便を待つ列に並びながら、暗闇と夜景とをしばし俯瞰していました。

十字街電停付近

十字街電停付近
(函館市末広町、2019.4.28撮影)
函館山からの夜景

函館山から見た夜景
(函館市函館山、2019.4.28撮影)
函館港付近

函館港付近をアップで
(函館市函館山、2019.4.28撮影)
函館山上の風景

函館山上の風景
(函館市函館山、2019.4.28撮影)
函館朝市

函館朝市の風景
(函館市若松町、2019.4.29撮影)
函館山を望む

港湾地帯から函館山を望む
(函館市大手町付近、2019.4.29撮影)

 
2019年4月末、間もなく改元を控えるタイミングで晩春の風景を駆け抜けた経験は、この地域の秀麗な桜の光景と、数奇な歴史のエピソードに象徴される風土とも相まって、より鮮烈に、濃厚に胸の中に刻まれることとなりました。春の雨に濡れる景色、透明感に溢れる春空の下の町並み、そのすべてがとても明朗に、移り変わる過去と未来を投影しているようにも思われました。翌朝は朝市周辺を散策した後、函館駅から新函館北斗駅へ進んで、新幹線で本土へと向かいました。その後の行程については稿を改めたいと思います。



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