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北海道の風 T
〜北海道短編随筆集 2000年,道北〜
「風の色」
しずかな沼に、風はわたる
くもがわたる、夏がわたる
みずは、笹は、ななかまどの木は、遠くの山々は、いっせいにふるえて
夏の色を、さわやかな風の色を、ただつたえている
いくつもの季節を越えて
幾千もの時代をよぎって
湛えられた風たちの宿す色は
数えきれないいのちの慟哭
おびただしいいのちの歓喜
そして、今日も回りつづける大地の記憶
いま、水面がかすかに揺れた
雲がわずかにかたちを変えた
森は刹那、ささやきを止めた
風は、何事もなく、そこを通り抜けていった
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(1) 宗谷本線
朝5時の手前、ふと目が覚めた。ゆったりとよこたわる一筋の川が目に入った。周囲はまだ薄暗い。空はどんよりとした雲を纏い、一筋の川と、その周囲の原野と、背後のゆるやかな稜線以外の存在を全く見えなくしている。目立った民家も見当たらない。車の行き交う道路さえ満足に見つけられない。ただ、時折乳牛が放されているのが目に入るだけであった。薄明の少し肌寒い空気の中、そのような光景が、車窓越しにしばらく続いた。 一筋の川とはいえ、川幅はかなり広い。500メートルほどの距離が水没している。満々と水を湛え、平原の中に悠然と腰を据えている。礫を両岸にたくさん従え、下刻に余念のない日本の多くの川の性質とは異なり、周囲の事物や時の流れにうまく同調して、大地の一部であるかのようなひそやかさを持っているように思えた。かといって、川はそれらに埋没することはない。川は、周囲と同じ時間軸の中で同じ要素を共有しつつも、変わることのない信念のごとき、ゆるぎない意志そのものであるかのように思えた。 列車は、川としばらく並走した。いくつかの小さな駅を通過したが、やはりめぼしい民家は見受けられなかった。ねずみ色の空の下、靄のかかった原野が連なり、木々の少ない丘陵の裾に開拓された牧場が点在する。そして、それらの静かさを総括するように川があってやさしくすべてを包含し、それらをひとつの絵画として窓ガラス隔てたミュージアムの額縁に見事に完成させてくれる。 列車は、やがて川を離れた。車窓には、広大な平原だけが残された。氷河によってゆるやかに浸食されたゆるやかな丘陵地帯を抜け、サロベツの原野間近の湿地帯を通り抜け、薄明の大地を、列車は淡々と進む。幾星霜の時を潜り抜けて今という時代にたどり着いたこの土地のドラスティックな躍動のひとつひとつを垣間見せてくれているかのように、人がこの大地に足を下ろしてから刻んできたささやかな開拓の記録を誇るかのように、列車は進み、周囲の風景は流れていくかのように思われた。 列車がゆるやかな丘の間をくぐりぬけて間もなく、南稚内駅に到着した。うす曇の早朝の町は、私の目にひどくさびしく映った。南稚内駅から稚内駅に向かうまでの間、両側には最北の街の景観は灰色に彩られていたように思う。街は小ぢんまりとした建物と道路の集合であった。 稚内駅は、利尻・礼文へのフェリーに乗船する人たちであふれていた。そこで、はじめてこの街の静寂が寂しさなんかではなく、ごく普通の日常の投影であることに気がついた。今まで見てきた自然の風景の延長として捉えればよかったのだ。 (この2日後、礼文から稚内に戻って一晩を過ごした。港から市街地にかけての街は思った以上に元気な印象だった。) 天塩川 サロベツ原野を抜けて、遙か旭川へと続くこの道は 丘を越え、草原を過ぎ、彼方へと淡々とつながっている さらさらと葉を揺らしているトウモロコシの列 ビート、ジャガイモ、ニンジン、そしてたまねぎのモザイク それらの間を道はさらに加速度を上げていく 突然に、大きな瀬を渡る 水を満々と湛え、コーヒー色に夏の日差しを受け、 天塩川はどでんと構えていた 丘のパッチワークや葉の小波や木々のエンブレムを従えて 夏の大空と、風と、光たちを地上に迎えて いっさいを抱え込んでかがやいている 川は、しばらく道と寄り添った 空と遊んだ 大地と戯れた 風と接吻した 夏は見届けた |
(2)礼文島
礼文島は、北海道の北西、日本海の北部に浮かぶ周囲40キロメートルほどの島だ。島の名前は、アイヌ語のレプン-シリ(沖の山)からきている。すぐ南に聳える利尻島から見て、その沖合にある島というところから名づけられたのだろう。利尻島は、先に「聳える」という表現を用いたとおり、標高1719メートルの利尻岳が海面に現れたものであり、アイヌ語で「高い山(リ-シリ)」というその名のとおりの威容を誇る。その利尻島に対して、その沖に並ぶという意味合いが込められているのだろうか。それほどに、礼文は利尻に比べて一歩ひいたところに寄り添っている、落ち着いた感じの、少し意地悪な表現を使えば、地味な島という印象なのだろう。そんな雄大な裾野の広がる利尻島沓形を出航したフェリーに乗り、沖の島礼文島を目指した。 礼文島でフェリーが唯一発着するのが、香深港だ。香深(かふか)は、役場や郵便局、漁協などが集積する礼文島最大の集落である。海岸にまで迫る丘陵に抱かれながらそれと海との間のわずかな平地に南北に市街地が開かれている。海岸にまで迫るとはいえ、稚内の付近で見られたような、なだらかで森林がなく一面草原のかなり穏やかな風貌の丘陵である。したがって、本州のリアス式海岸の湾入部等にある崖にへばりついた集落という印象ではなく、あくまで丘陵に抱かれた、あるいは丘陵とともにある集落といった表現のほうが的確であるように感じられる。 丘陵に寄り添いながら、島の北部の中心地船泊と香深とを結ぶ道道が南北に伸びている。時折海に突き出した尾根や岩山を迂回したり貫通したりしながら道は続く。上泊の集落を過ぎ、金田ノ岬を回り、船泊の街中を通過して、バスは道道を西へ折れて、「4時間コース」と呼ばれるハイキングコースのスタート地点である西上泊へ向かった。
船泊から西上泊間での道は、稚内付近から見慣れた、なだらかな丘の中をすらりとつながっていく。低い稜線の丘に、丸みを帯びた谷壁のひそやかな谷が刻まれ、そのわずかな谷間に点々とトドマツなどの木々が生育している。道路沿いにはイネ科の植物の群れや、礼文・利尻ではごく普通に群落を形成しているイタドリの藪が並んでいる。その他の大地はすべて丈の低い草原になっている。スケールは違うかもしれないが、ヨーロッパアルプスで移牧の行われるアルプの草原を思わせるような光景だ。しかし、アルプスと大きく異なるのは、この地に森林さえ形成することをゆるさない季節風の存在だろう。 礼文島の西海岸には道路はない。日本海の荒波によって鋭利に浸食された断崖が続いており、海岸に屹立した大岩や無数に露出した岩礁が人間の進入をやすやすと許さないためだ。西海岸に沿ってかつては「8時間コース」というハイキングコースが設定されていたが、西海岸中央の宇遠内集落以南、地蔵岩間でのルートの通行が98年に禁止されてしまった。まさに、東海岸の穏やかな容貌とは好対照である。
西上泊は、そんな西海岸の岩壁と、日本海に突き出た澄海岬とのあわいにつつましく発達した入り江に佇む人口69人、20世帯が暮らす小さな集落だ。小ぢんまりしているとはいえ、島の観光名所の一つである澄海岬の麓に位置して人の出入りは多い。また、漁港もあって海産物などを販売したり、加工したりもしている。漁業と観光の島礼文の日常がさりげなく現れたのどかな村というところだろう(しかし、冬になれば、この集落のイメージも一変してしまうのだろう。そのありようも見てみたい)。 澄海岬より北、島北端のスコトン岬までの海岸線は、ゴロタ岬の突起を挟んでゆるやかに弧を描き、鉄府(てっぷ)、鮑古丹(あわびこたん)などの集落を発達させながら比較的穏やかな様子を呈している。ゆるやかな稜線がそのまま海に落ちているといった雰囲気だ。 ゴロタ岬と澄海岬とに挟まれた澄海湾は実に透明で水色に輝き、小波のひとつひとつが夏の光線をえもいわれぬカレイドスコープへと変えていた。沖のシャープなブルーと光を抱え込んだ温かいブルーのコントラストがこの入り江の海の美しさをいっそう引き立てていた。
8月上旬とはいえ、島はすでに夏という季節の帳を下ろし始めているように感じられた。 ヤマハハコたちは薄毛の混じる可憐な白い花を咲かせながらも、一部の個体は茶色に体を変化させ始めていた。低い草丈の草原のなかで、そんなヤマハハコの隊列は一際目をひく。そのヤマハハコよりもさらに背の高いエゾノヨロイグサやオオハナウドたちも徐々に秋色の自分に目覚め始めている。エゾノコギリソウや、タカネナデシコなどの秋の始まりを告げる花たちも草たちの影でひっそりとピンク色の小さな花弁をつけて微笑んでいる。海は夏の日差しを受けてきらきら瞬いているというのに、地上では秋へのマイナーチェンジが少しずつ、かつ着実に進行している。さわやかな風が駆け抜け、その息吹が地上を秋色に塗りこめていく。 ツリガネニンジンの咲く頃 ツリガネニンジンの咲く頃 穴明き貝の転がるゴロタノ浜を歩いた 空は透き通って青い 雲は滲んでいて白い やまはどこまでもどこまでもたおやかに広い 鳥たちはささやいていた 草たちは心躍っていた 花たちは口ずさんでいた みんなみんな、うたをうたっていた ツリガネニンジンの藍色が空に届くとき 生きものたちの歌声が風にひゅうと運ばれるとき ひかりは淡き衣となり、空は大いなる翼となる 海からわたる風はひかりの衣をまとって駆け抜け 空より舞い降りし翼をえていっそう輝きをます ツリガネニンジンの群れを眺めながら岬へ続く道を行く 風はどこまでも快い 空はどこまでも青い 西上泊からハイキングコースをたどって3時間ほどで、島の北端のスコトン岬まで到達した。すぐ沖にはトド島が浮かんでいる。海は鋭い青色を呈しながらも晩夏の乳白色の雲に滲み、この地の夏の終わりを告げているようだった。いかめしい利尻島と寄り添いながらも、決して臆することない個性を持つ島。かぎりないやさしさを持ちながらも厳しい大地を静かに受け入れる母なる島。礼文島のつかの間の夏は終わる。やさしさに彩られた季節は過ぎ去ろうとしている。やがて、すべてが支配される冬。その冬をぜひ体験してみたい。ほんとうの、この島のやさしさは耐え忍ぶその姿にこそ育まれたものであろうから。 |
(3)海は見ていた
海は見ていた 海は見ていた たくさんの思いや、汗や、メッセージがこの海を駈けたこと 時に明るく、時に悲しく、 彼らはそれぞれの歩みを印してきたこと 海は見ていた たくさんの願いや、夢たちを拒まざるを得なかったこと それは突然に海を引き裂き、すべてを隔て、 それを海はただ見つめることしかできなかったこと そして、今、今日もフェリーが海を渡っていく 遙に雲間に見え隠れする利尻 だんだん遠ざかっていく、香深港(礼文) 沖に点々とする焼尻、天売 東に横たわる北海道の島影、ノシャップの町の姿 霧の向こうのサハリン、沿海州 海はそれらをつなぎ、数々の出会いを見届けてきた これからもとこしえに大地が結ばれるように これからも豊かな伝説にめぐり合えるように 海は、見守ってくれている 礼文島香深を離れたフェリーは、稚内港へと向かう。ユリカモメやウミネコらは香深から一団となって船を追いかけるように空を滑り、人間の投げ入れる食べ物を水面すれすれで見事捕らえて見せる。夏場とはいえ、うす曇の午後の甲板は風がやけに冷たく、桟橋から船が離れるにつれて景色を眺める人の数は少なくなっていく。礼文島はゆっくりと平べったい島影へと変わっていき、利尻の三角の山容とともに水平線の上に連なっていく。
海は黒々とささやきながらも、たくさんの人たちを乗せた船を載せて島と島との間を埋める。 “海は見ていた” 身を震えさせる海と、遥か彼方の影絵とを眺めながら、ふと、こんなフレーズが脳裏に浮かんだ。この海は、ずっとずっと昔から、人や生き物達を島から島へと渡し、そのありさまを見つづけてきたのだと。 話は1999年の9月に遡る。この時、私は沖縄にいた。沖縄は琉球と呼ばれた時代よりもさらに遠い昔から、大陸や島々と盛んに交流してきた。そして、戦争と占領という悲しい時代を超えて、今再び平和によって、交流によって世界を一つにしようというメッセージを発信しつづけている。私は沖縄の持つ弾けんばかりの訴えを、ぎらぎらした亜熱帯色の光景の中に強烈に感じとった。そこには、島と島の有機的な連携と、文化を超えた人と人の絆の尊さ、大切さ、そして脆弱さが表現されていた。沖縄は、国際的には日本という主権国家の端にある。首都東京からは遠く離れた辺境だ。しかし、それは多様に存在する視点の1つにすぎず、沖縄にフォーカスを当てれば、そこには多くの島々が手と手を取って結びついた新たな世界が見えてくる。沖縄は、私に新たな視角を与えてくれた。 今、海を渡っている。同じように、多くの命あるものもまた、この海の上を渡っていった。そして、ことばや道具、技術や伝承などのかけがえのない財産もまた、海という道を経て運ばれていった。本州における平安時代から鎌倉時代に、アイヌの文化の礎は完成したという。それまでの長い長い期間、北海道は何千、何万ものドラマティックな出来事が刻まれてきたのだろう。この海の上が我々にとって、いかに輝かしいステージであったか。あのとき沖縄で感じた物語を、この大海原が再び描いてみせた瞬間だった。 やがて、北海道の島影がうっすらと見えるようになった。あれだけたくさん群がっていた鳥たちももうほとんどいない。礼文と利尻は寄り添って、海上の彼方に浮かんでいる。北海道は北に向かうにしたがって低くなり、ノシャップ岬までの間に2段の段丘をつくって、海に落ち込んでいる。薄暗くなり始めたノシャップの町はわずかに光を瞬かせながら、低い段丘のふもとに連なっている。稚内の語源はアイヌ語のヤムワッカナイ(冷たい水の川)であるという。昔の人々は、この土地を清らかな水のある場所と認識し、羨望と期待の気持ちを膨らませて海上から眺めていたのかもしれない。これは、アイヌ語の地名を解説した書の中で見つけた表現である。
北海道の風は、少し冷たく、海の上を流れていく。風の色は、この大地の、この海原の、この地上の豊饒を写して、溶け込ませて、夏の夕日の染みた空の一部となっていく。ノシャップ岬は海にそっとその身をぬらして、その夕日の空の下に近づいてくる。やがて、フェリーは岬を回り、稚内港に入った。港は光をたくさん身につけて、短い夏にこの地を訪れる人々をささやかに歓迎している。あの時、青い海がそうしてくれたように。 北海道の風 風は、うたう 淡々と、口ずさむ ありのままを、奏でる 今、聞こえたのは、こころよい夏の思い出 つむぎだされた、光り輝く抒情詩 たくさんの土の香りと、潮騒に満ちている、 懐かしい、いとおしい、夏のメロディ “世界よ、この調べを聞け 我々のあるべき道を、なすべき術を 世界よ、この静かなる慟哭を聞け“ 風の歌声は、北海道という、 地球の大地のひとつを包み込む 地球の切なる祈りを密かに心に秘めながらも、 なんと心にぬくもりを与える歌なのだろうか なんと慈しみと、愛情に満ちた音調なのだろうか |
北海道の風T −完−
Regional Explorer Credit
8月1日 | 20時過ぎ、羽田空港発。21時30分過ぎに新千歳空港着。札幌駅へ移動し、23時発の稚内行き特急「利尻」乗車 |
8月2日 | 6時に稚内着。フェリーにて、利尻島(鴛泊)に8時30分着。利尻島内を定期観光バスにて周遊後、沓形港から礼文島へ移動 |
8月3日 | 礼文島北部を散策後、香深港より稚内へ戻る |
8月4日 | レンタカーにて、稚内〜クッチャロ湖〜サロベツ原野〜音威子府〜美深〜朱鞠内〜羽幌〜留萌と移動 |
8月5日 | レンタカーにて、留萌〜深川〜歌志内〜芦別〜富良野〜美瑛〜旭川と移動。札幌駅より18時過ぎ、北斗星乗車 |
8月6日 | 北斗星を宇都宮駅で下車、帰路につく。 |
この文章以外の訪問地を撮影した写真は、「フォトギャラリー」にちょっと掲載しました。ご覧ください・・・。
※冒頭の写真は、利尻島のものは2000年8月2日撮影、礼文島のものは同年8月3日撮影です。
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