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2015年7月、久しぶりに金沢を訪れました。藩政期に地方最大の規模を擁した「加賀百万石」の姿を通して、 この町が表現する多様な美しさと輝かしさとを、真夏の太陽の下で確認することができました。 |
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ひがし茶屋街 (金沢市東山一丁目、2015.7.20撮影) |
兼六園 (金沢市兼六町、2015.7.20撮影) |
訪問者カウンタ ページ設置:2018年3月2日 |
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長町武家屋敷跡から近江町市場へ 〜金沢城惣構の痕跡をゆく〜 2015年7月20日、海の日の金沢は、朝から海の色のような雲ひとつ無い快晴の下にありました。春の芽吹きから初夏の新緑を経て極致を迎える命のきらめきは、極大値を迎えた太陽の熱量を受けて、まさに絶頂の時を迎えていました。 金沢の中心的な繁華街である香林坊(こうりんぼう)地区にあるホテルを出て、金沢の町歩きに出発しました。町の西側は緩やかな下りになっていて、その地形に沿うように南北に水路(鞍月(くらつき)用水)が流れています。安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、金沢城下には二重の堀や土塁が作られていました。この用水路はそのうち外側の堀であり、東側(城側)には土塁が設けられていました。もともとあった自然の段丘地形を利用したものであったようです。城下町における、城を中心に堀や土塁でそれを囲む構造を「惣構(そうがまえ)」と呼びます。金沢市内にはこの惣構の痕跡がよく残されていまして、今回の訪問はその面影を辿る行程ともなりました。
惣構の外側、長町地区には多くの武家屋敷を偲ばせる建物が残っています。石畳の街路やそれにそって続く土塀や長屋門、そして敷地内に植えられた松などの庭木が作り出す風景は、簡素ながら洗練された美観を呈していました。からっとした夏空の下、土塀が続く長町界隈には穏やかな木陰ができて、暑さの幾ばくかを緩和させていました。地区の西側を穏やかに流れる水流は大野庄(おおのしょう)用水。感慨や物流、融雪、防火などに供される多目的用水で、金沢城の築城にも重要な役割を果たしました。大量の木材を運搬したことから御荷(おに)川とも称されたといいます。さわやかに流れ下る水辺は武家屋敷の景観にもマッチしていて、城下町の風情を今に伝えていました。 長町地区を歩いた後は、再び土塁のあった段丘崖を上って東へ、和・漢・洋折衷様式の独特の意匠を持つ神門が目を引く尾山神社へと進みました。初代藩主前田利家と正室まつを祭神とする当神社は、1873(明治6)年、歴代藩主の別邸金屋御殿の跡地に建立されています。境内の東にある東神門は金沢城二の丸に設置されていた門が移設されたものです。神域は豊かな緑に覆われていまして、夏の日射しをそのみずみずしい葉一枚一枚にしっかりと受け止めていたのが印象的でした。神門前を南北に横切る小さな水路は、ここにかつて存在していた惣構の内側の堀の跡(西内惣構堀跡)の一部にあたります。堀は明治以降大規模に埋め立てられ、現在は暗渠になっていますが、暗渠となった道路は辿ることができます。かつての内堀の跡を北へ歩を進めますと、城側(東側)には崖状の地形に石垣が施された箇所も見つけることができまして、ここがかつて土塁が設けられていた(往時の石垣ではないかもしれませんが)場所であることを示唆していました。
内堀跡をさらに北へ進みますと、金沢市民の台所・近江町市場へと到達しました。金沢近隣の豊富な農産物や魚介が売られていたり、それらを味わうことができたりすることから金沢でも有名な観光地とも成っている場所です。近江町市場に近接する武蔵ケ辻は交通の要衝として古くからの金沢における商業中心地で、現在でも金沢駅と繁華街である片町・香林坊エリアとを結ぶ位置にあって、大型商業施設が立地するなどの再開発が度々行われてきた地域です。駅前まで続く大通りから一歩踏み入れますと、昔ながらの町屋造の建物がけっこう残されていまして、東本願寺金沢別院付近を一瞥しながら、別院通り商店街を通って金沢駅前へ。加賀における伝統芸能・加賀宝生(かがほうじょう)の鼓をモチーフにしているという鼓門は、多くの伝統文化としなやかな町並みが残る金沢を訪れる人々に、鮮烈な感慨を与えていました。 ひがし茶屋街から兼六園へ 〜多彩な歴史的景観に触れる〜 金沢駅前から市街地周遊バスを利用して浅野川右岸の橋場町バス停まで移動しました。金沢城かを見下ろす卯辰山の山麓に展開するこの地域は、北国街道沿いであることから物資の流通が盛んで、寺社群に付属する門前町の賑わいもあり、藩政期以降茶屋町として興隆していました。1820(文政3)年に、藩が犀川西岸の「にし」とともにこの「ひがし」を茶屋街として公許、今日まで格式ある茶屋街としての風情を承継しています。2001(平成13)年、「東山ひがし」地区として、国の伝統的建造物群保存地区(重伝建)の認定を受けています。一般には「ひがし茶屋街」名で知られていまして、兼六園と共に金沢を代表する観光地のひとつとなっています。 石畳の通りに面して一階部分は揃いの出格子で統一し、二階は吹放しの縁側とする茶屋建築が立ち並ぶ風景は、洗練された花街としての風趣を存分に漂わせるものでした。町並みも整然とした区画となっており、背後の山並みの緑がみずみずしい借景として目に入ります。地区の中程に位置する「志摩」は、町の創設当初に建築されたお茶屋で、全国的にも希少な建物であるとして国の重要文化財指定を受けています。内部は一般公開されていまして、茶屋文化を紹介する展示がなされていました。簾が下げられた先にいきいきとした木々が清新な坪庭が見える景趣は、四季の移ろいの中で磨かれてきた日本文化の粋を見たような思いでした。
東山ひがしに寄り添うように鎮座する社寺の一部を一瞥した後は浅野川大橋を渡り、左岸に発達した主計町(かずえまち)の茶屋街を散策しました(主計町も2003(平成15)年に重伝建指定を受けています)。目の前に浅野川がたゆたう茶屋町は、東山ひがしとはまた違った趣があります。地区内には金沢城惣構のうち、西内惣構が浅野川に落ち込む場所に「緑水宴」の名で復元されていまして、惣構がいかに規模が大きく、堅牢に設計されていたかを体感することができます。金沢は第二次世界大戦中に空襲を受けなかった町で、大きな地震による被災もなかった経緯があり、古い歴史的な建造物が多く残されているという一面もあります。北陸地方の中核都市として高い中心性や中枢性を維持しながらも、城下町としての遺構が数多く町並みの中に生き続けていることが金沢の魅力をより一層高めています。 浅野川の作る段丘につくられた石段を登り、古い商家とモダンな建築とが併存する尾張町の風景を確認して、橋場交差点付近の東内惣構の遺構を見学後、国道159号を南へ、日本三名園のひとつとして著名な兼六園へと炎天下の市街地を歩きました。この日の金沢は最高気温が33度を超える真夏日を記録していまして、快晴の空の下、真夏の太陽が町並みのすべてを輝かしく照らし出していました。夏の花々も随所にその鮮やかな色彩を見せていまして、この伝統ある都市を装飾していました。加賀藩主が長い年月をかけて造営してきた大名庭園は、広大な園内に池や築山、御亭が配されて、麗しい廻遊式庭園が現出していました。有名なことじ灯籠を眺望した後は、1863(文久3)年に第十三代藩主前田斉泰(なりやす)が母の隠居所として建設した成巽閣(せいそんかく、国重文)へ。一階部分は武家書院造、階上は数寄屋風書院造の建物は、随所に趣向を凝らした意匠が施されていまして、窓の外に広がる緑豊かな園内の風景も相まって、加賀百万石の大都市が生み出した多彩な風趣に接することができました。
兼六園からはお堀通りを渡って金沢城公園へ、石川門をくぐって園内に入り、橋爪門から二の丸広場へと進みました。五十間長屋からは公園内や市街地方面の眺望も利いて、伸びやかに展開する金沢の今を心ゆくまで目視することができました。兼六園や金沢城公園のあたりは高台になっていまして、随所に町並みを見渡せるスポットがあって、町の姿を美しく展望することができます。金沢城跡には1995(平成7)年まで金沢大学のキャンパスが置かれていました。同学が転出した後は、構造物や堀などの復元整備事業が進捗しています。公園の西側に位置する玉泉院丸庭園は、三代藩主利常が1634(寛永11)年に作庭を開始、以降歴代藩主により維持されながら幕末まで存立していました。この年の3月に江戸末期の姿に再現されて、高低差のある敷地に色紙短冊積石垣をはじめとする意匠性の高い石垣が配されて、独特な庭園美を堪能することができるようになっていました。 金沢彷徨の最後は、金沢最大の繁華街である香林坊・片町の活気ある都市景観を楽しみながら登録有形文化財の犀川大橋を渡り、橋爪に近い場所にある雨宝院(室生犀星が養嗣子となった寺)を訪ねながら、東山ひがし地区と並び茶屋町として栄えたにし茶屋街や、南東に広がる寺町を歩いて、越前方面から城下へ入る要衝の防衛として寺院が集められた風景の中をめぐりました。こうした主要道路と寺町、茶屋街の構成はひがし茶屋街と同様となっていまして、壮大な規模を誇った金沢城惣構とともに、この城下町の都市計画の基軸となっていたことが改めて実感されました。
茶屋町の豊かな町並みと兼六園の庭園美、そして現代的な繁華街とが重層的に展開する金沢の町は、真夏の青空の下で、この上ないきらめきとしなやかさで訪問者を迎えていました。酷暑の下での散策となり、しばしば冷房が効いた室内などでの小休止を余儀なくされる行程となりましたが、その分各所をじっくりと時間をかけて見て回ることもできました。四季折々に多様な城主を醸すであろうこの町のそれぞれの季節の姿もまた見てみたいと感じさせる訪問となりました。 |