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河津下田、春暖波濤

 2008年2月23日、早春の伊豆東海岸、河津と下田を訪れました。河津桜はまさに見頃を迎えていまして、あでやかな桜色をいっぱいに花開かせていました。やや盛りを過ぎながらも芳香を漂わせる瓜木崎の野水仙群生地を経由しながら、幕末の開港地・下田へ。風待港として栄えた歴史を色濃く残す町並みは、なめらかな山並みに抱かれた波穏やかな港に寄り添うように広がっていました。
 ※「春暖波濤」は「しゅんだん・はとう」、とお読み願います(筆者の造語です)。


河津桜

河津桜(河津川の並木)
(静岡県河津町、2008.2.23撮影)
瓜木崎

瓜木崎の野水仙
(下田市須崎、2008.2.23撮影)

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ページ設置:2010年2月11日

河津川沿いを歩く 〜河津桜と穏やかな景観を味わう〜

 河津の春は、心をときめかせるほどの色彩にあふれて、鮮烈なあたたかさを訪れるものの心に届けています。2008年2月23日、この年も河津桜がいっせいに咲き誇る季節を迎えていました。この日の河津は、晴天の下にありながらも、強い西寄りの風が吹き荒れていまして、時折日差しが遮られて、にわか雨も落ちる天候でした。正午過ぎに到着した河津川周辺は、そんな荒っぽい天気の中にあっても、大勢の観光客であふれかえっていました。ようやく見つけた駐車場の空きスペースに駐車して河津川沿いを歩き始めます。
 河津町の中心を南北に流れ下る河津川は、伊豆半島にあっては比較的規模の大きい河谷平野を形成しています。そして、河津七滝(かわづななだる)などに代表される、豊かな自然景観を全流域にわたって形成しています。穏やかな山並みに清冽な川の流れ、そして何より心を惹かれたのは、野菜や花々、みかんなどの農作物が栽培される、本当にのびやかな農村景観であったように思います。田園風景の中に鎮座する杉桙別命(すぎほこわけのみこと)神社の大クス(国指定天然記念物)は、幹周り約14メートルほどもある立派な樹相を呈していまして、温暖な伊豆地方の風土を反映させて立派な枝葉を広げていました。

河津桜

河津桜
(静岡県河津町、2008.2.23撮影)
桜と菜の花

河津桜と菜の花
(静岡県河津町、2008.2.23撮影)
河津桜原木

河津桜原木
(静岡県河津町、2008.2.23撮影)
田園風景

河津町内の田園風景
(静岡県河津町、2008.2.23撮影)

 さて、河津桜が咲き乱れる河津川沿いの散策に戻ります。河津桜の並木は、みずみずしい桜色をいっぱいにほころばせていまして、根元に並行して植えられている菜の花の鮮やかな黄色とこの上ないパステルカラーの競演を見せてくれていました。早春とはいえ、周囲はいまだ冬枯れの風景の中にあって、河津桜と菜の花で彩られた川沿いは眩いばかりの暖色のヴェールに包まれ、折からの強い風にも関わらずそこだけ温かさに覆われているかのようでした。

 河津川沿いを上流に進み、天城峠へ続く県道に出て道なりに北へ歩いていきますと、河津桜の原木とされる桜木がまだ元気に花をつけている場所へと行き着きます。原木の傍らには、この桜の木が見出され、やがて河津を代表する花となるまでの略史が紹介されています。昭和30年(1955年)頃に河津川沿いの荒野で偶然に発見された桜の若木は十年目に花をつけ、早春に鮮やかな花を咲かせるこの桜は地域で親しまれるようになったのだそうです。その後の調査で新種と分かり、1974(昭和49)年に河津発祥ということで「河津桜」と名付けられ、翌1975(昭和50)年には河津町の花に指定を受けました。その後原木から増やされた桜は河津町を代表する花として、河津川沿いをはじめ町内外各所に広がりました。原木は発見者の住まいの庭先に、植えられた当時のままに今でも根づいているということであるそうです。

桜並木

河津川沿いの桜並木
(静岡県河津町、2008.2.23撮影)
杉桙別命神社

杉桙別命神社(来宮神社)
(静岡県河津町、2008.2.23撮影)
杉桙別命神社の大クス

杉桙別命神社の大クス
(静岡県河津町、2008.2.23撮影)
海岸

河津川河口付近の海岸
(静岡県河津町、2008.2.23撮影)

 原木の桜を鑑賞した後は、三度河津川沿いの桜並木の下を、多くの観光客の人波のなか進みました。伊豆急行線の下をくぐり、国道を超えて進みますと、海岸に出ることができます。強い風のためか、波もかなり荒れていて、遠くの岬や断崖もかすんで見えました。しかしながら、しゅうへんの崖上を包む植生は常緑で、南方らしい輝かしさを秘めているように思われました。海から吹きつける風も、冷たいながらもどこかあたたかく丸みを帯びているようにも感じられます。そんな温もりを含む風にいざなわれるように、行程はさらに南へと続いていきます。

瓜木崎から下田へ 〜野水仙と穏やかな町並み〜

 伊豆半島周辺は、西寄りの季節風が卓越する天候(冬型の気圧配置)のとき、しばしば俄雨に見舞われることがあります。富士山に当たって北と南の両側に分かれた風が、伊豆半島付近でぶつかって上昇気流が発生するためで、この日の時折雲が広がり、雨が落ちる天気もこの地形的な要因が作用しているのではないかと思われました。下田湾から東へ、太平洋に突き出した瓜木崎は折からの強風に吹きさらしの状態で、青空が広がっていたと思ったの束の間、突然空が暗くなり、灰色の雲からは吹きつけるような雨が落ちる天候へと急変しました。しかしながら、その雨は果たして一時的で、雨を降らせた雲は程なくして東へ去り、今までの空の色が嘘だったかのように、再び空は鮮やかな水色を取り戻しました。流れていく雲と青空の境界が本当にくっきりとしていたのが印象的でした。

瓜木崎

瓜木崎周辺の景観
(下田市須崎、2008.2.23撮影)
水仙

水仙群落
(下田市須崎、2008.2.23撮影)


野水仙の群落
(下田市須崎、2008.2.23撮影)
水仙

芳しい香りを漂わせる
(下田市須崎、2008.2.23撮影)

 瓜木崎は、大規模な野生の水仙(野水仙)の群落で知られます。駐車場となっている広場から岬へ向かう海岸沿いは、花壇に植栽された水仙が最盛期は過ぎていたようであったものの、美しい花を咲かせていまして、香水のような芳しい香りを漂わせていました。海は驚くほどの明るいマリンブルーを呈していまして、亜熱帯のような輝きに充ち溢れていました。ゆるやかな坂道を登り、灯台のある高台に向かいますと、断崖を緑で覆いつくすように水仙の群落が広がっていました。荒れ狂うように吹きすさぶ風に可憐な花が揺れ、花の終わった場所は緑のさざ波が作り出されます。強烈な風はどこか温かさを内にはらんでいるようにも感じられ、温暖な当地の風土を実感させます。

 ご案内のとおり、下田港は1854(嘉永7)年に、日米和親条約により指定された開港の地をして知られます。太平洋の荒波から守られるような入り江を持つ下田は、藩政期を通じて廻船の風待ち港として栄えてきた歴史を持ちます。ヤシの木が植えられた駅前ロータリーが南国情緒を盛り上げる伊豆急下田駅近傍の市役所に自家用車を駐車し、下田の街散策へと出かけました。みやげ物店の並ぶ駅前を過ぎ、大型スーパーの前を通って、下田市街地が広がる平地を構成する稲生沢川の河口方面へと進みます。河口は内港としての機能を有しているようで、多くの漁船が係留されていました。この一帯は廻船問屋が多く立ち並んだ歴史を持つ古くからの市街地で、江戸末期から大正期までに建てられた、なまこ壁の民家が多く残されています。町並みもどこか昔懐かしい雰囲気です。安直楼は、米国総領事ハリスに仕えたお吉が、1822年に小料理屋を営んだ建物であるとのことです。

伊豆急下田駅

伊豆急下田駅
(下田市東本郷一丁目、2008.2.23撮影)


下田とうきゅう前、下田富士を望む
(下田市東本郷一丁目、2008.2.23撮影)


下田内港(稲生沢川河口)の景観
(下田市一丁目、2008.2.23撮影)
安直楼

安直楼
(下田市三丁目、2008.2.23撮影)

 穏やかな町並みを抜け、河口を左手に進みますと、ペリー上陸の碑が佇みます。たもとにアメリカ海軍から寄贈されたという錨が置かれたレリーフは、このあたりが日米和親条約の協議の中で提示された下田の条件にペリーが満足し、条約締結後に彼の艦隊の乗組員が上陸した場所であることを示していました。ペリー上陸の碑から下田公園内の遊歩道を登っていきますと、開国記念碑があります。ペリーと総領事ハリスの胸像と言葉が刻まれたレリーフが掲げられる記念碑は、下田の港と街を見下ろす位置に設置されています。

 開国記念碑を後にして、住宅地へと抜けるゆるやかな階段を下っていきますと、周囲になまこ壁や伊豆石積みの建物が平滑川をはさむ石畳の小道沿いにしっとりと連なる美しい町角へといざなわれます。この小道は、日米和親条約の附則である日米下田条約の締結の場となった了仙寺への参道で、ペリー提督一行が条約締結のため了仙寺まで歩いたという道筋であることから「ペリーロード」と呼ばれます。明治から大正期にかけて建てられた建築物は、往時のエッセンスを生かしながら店舗やギャラリーなどとして改装されていまして、幕末ロマンを感じながらゆったりと散策することのできる美しい町並みがたいへん印象的でした。

ペリー上陸の碑

ペリー上陸の碑
(下田市三丁目、2008.2.23撮影)


ペリーロードの景観
(下田市三丁目、2008.2.23撮影)
了仙寺

了仙寺
(下田市三丁目、2008.2.23撮影)
下田俯瞰

開国記念碑前より下田市街地を望む
(下田市三丁目、2008.2.23撮影)

 了仙寺前から再び市街地を北上し、穏やかな市街地を進んでいきます。下田港の入り江と稲生沢川とに囲まれたわずかな低地は、江戸末期から現代までの間に建築された町屋や住宅によって充填されており、周囲の丸みを帯びた山々に抱かれながら、しっとりとした雰囲気のある町並みとなっています。商店街には中規模のスーパーマーケットが立地していたり、伊豆急下田駅前から南へ続く二車線の道路が貫通していたりと、ただレトロな巷というだけでなく、現代的なエッセンスをも含んでいまして、町としては、歴史的な要素と現代都市の要素との調和がとれていると感じます。この現代的な街路の西の山裾、市街地の町はずれの高台には多くの寺院や神社が佇みます。そしてそれらの寺社は、幕末の開国前後の多くのエピソードの舞台ともなっていました。

 再び伊豆急下田駅前に至り市役所に戻ってこの日のフィールドワークを終えました。春先の季節風はいまだにその力を衰えさせることなく、町の中を駆け抜けていました。開国記念碑前から見下ろした下田港の姿は、水面を小刻みに波立たせながらも、そこだけ特別な力によって守られているかのように、山並みに包まれた静かな港町そのままの装いでした。下田富士の特徴的な三角と、寝姿山のなめらかな風合いとがゆったりと溶け合うような静かな港町は、夕刻を前にとびきりの青空の下にありました。



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