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2005年3月、日本第三の大都市・名古屋の町を、ほんの一部でありますが、歩きました。 好調な製造業、万国博覧会開幕を目前に控えた町は活気に溢れていました。 独特といわれる名古屋の文化を随所に見せる町並みにも触れることができました・・・。 |
訪問者カウンタ ページ設置:2005年5月17日 |
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桜通を歩く −名古屋のまちづくりの礎− 掴みどころが無い。名古屋の町を歩く前、私は名古屋に対して率直にそう感じていました。地理的な知識もほとんど無く、訪問した経験も皆無ということ以上に、しばしばクローズアップされる食文化や祝い事等に関連する、“独特”とされる名古屋文化の存在が、私にそういったイメージを持たせていました。新参者が地域を歩いたとしても、果たしてその地域にしっかりと受け入れてもらえるのだろうか。そんなあやふやな気持ちも抱きつつ、JR名古屋駅を出発しました。245メートルの壮大な2対の超高層ビルからなる「セントラルタワーズ」を中心とした巨大な駅舎が完成を見たのは、1999(平成11)年12月。鉄道駅のみならず、デパート、ホテル、オフィススペース、バスターミナルなどが融合した一大ターミナルとして、1日に約17万4千人の乗車人員を集めています(2003年度)。1937(昭和12)年に竣工した2代目の名古屋駅舎時代から受け継がれた東西(桜通口・太閤通口)に通り抜けのできる自由通路付きの駅舎付近には、さらに東西それぞれの入口付近に複雑に形成された地下街や名鉄・近鉄のターミナル、地下鉄駅や2004年10月開業の「あおなみ線」など、多様な機能が集積するまちとして、名古屋の一大ランドマークとしての地位を不動のものにしているようですね。「名駅」の愛称は桜通口周辺の住居表示となって、このメガ・ターミナルを中心としたエリア名としても広く内外に定着しているようです。 名古屋駅から東へ伸びる桜通を進みます。1989(平成元)年に第一期線が開業した市営地下鉄桜通線の上をさっそうと伸びる大幹線道路は、同じく地下に「ユニモール商店街」を従え、地上にはオフィスビル街を形成しながら、軽やかに大都会の景観を形づくっています。このような都市の無機質な要素を緩和しているイチョウ並木は、1937(昭和12)年に桜通が建設されたのに合わせて植えられました。同じ年に2代目の名古屋駅舎が完成していたことは既にお話しました。名古屋市の顔たる新駅舎に繋がる目抜き通りとして、桜通の建設が行われた背景には、この年名古屋で「汎太平洋平和博覧会」が開催されたことが大きく関わっています。戦前に日本国内で開催された博覧会の中では最大の規模を誇ったこの博覧会は、同年3月15日から5月31日までのわずか78日間の会期中に入場者数480万人を集める大イベントとなりました。博覧会開催に合わせて、市内では他に東山公園(動物園)の開園や市電路線の大幅拡充などが進められました。博覧会の開催と成功は、今日の名古屋市街地のまちづくりの輝かしい礎として、重要な役割を担ったといえそうです。
名古屋国際センター前、松竹梅がコンパクトに植えられた小庭を一瞥しながら、堀川端へ。堀川に架かる桜橋はモダンな雰囲気で、丸い電球が桜の木のような形状に集められた街灯が印象的でした。橋の上から眺める堀川は、両岸に大小の建築物がひしめき合う中、静かに横たわっていました。堀川は、1610(慶長15)年、名古屋城築城のための物資運搬路として福島正則によって開削された人工河川です。名古屋城下町の水運の要として重要な位置を占めました。近代に入ると、市街地化に伴って次第に水質の悪化が深刻化し、近年は潤いある空間としての再評価されて浄化に向けての取り組みや、ウォーターフロントとしての整備も進んでいるようです。 堀川を渡ると、中区の業務地区へと至ります。桜通沿いにはオフィスビルやホテルなどが建ち並ぶ景観が連続します。西を振り返ると、名古屋駅のセントラルタワーズの建物もイチョウ並木の彼方にしっかりと屹立しています。住居表示は「丸の内」「錦」などに単純化されているエリアとなっているものの、交差点の名前には「桜通長島」「桜通長者」「桜通呉服」などが見られまして、住居表示前の通りごとに区画されたかつての町名のバラエティが偲ばれます。幹線道路沿いに展開する、近代的な建築物によるファサードから一歩これらの街路へ入りますと、アーケードが歩道上に設置された、庶民的な雰囲気の漂う商店街が認められました。注意深く観察しますと、業務系の商店街、いわゆる問屋街といった性格のエリアであるようです。中でも繊維の町・長者町繊維街は有名で、繊維街の協同組合がイラストレーターを集めて始めたというシャッターへの派手なイラストのペインティングは海外との競争にさらされシャッターを閉める店舗が多くなった問屋街を活気づけようとの意図があるとのこと。いつの時代も独自のアイディアで活路を見出し、多くの「長者」を輩出した名古屋の伝統がこういったシーンにも表れている、といったところでしょうか。また、私は詳しく知らなかったもののよく知られていることの1つが、名古屋は地下街が多く発達しているということのようです。地上を歩く人が少ない反面、天候に左右されることなく、信号待ちをすることなく、スムーズに散策のできる地下街により多くの人々が闊歩しているとのことで、確かに地上を歩く人の数は少なめと感じていました。地下街の状況については今回私はしっかりと確認していないので何ともいえないのですが、自動車産業の発達した中京圏ですから、地上は自動車の通行に譲り、歩行者は地下をゆったり歩こうとか、そんな“棲み分け”が名古屋スタンダード、ということなのでしょうか。いずれにいたしましても、これだけの町歩きのみでそういった評価を下すことはできません。いずれしっかりと町を歩いて、確かめてみたいと思います。
大津通の大通を横断すると、名古屋の戦後における都市計画のシンボル的な街路、また「100メートル道路」としても知られる久屋大通に至ります。道路の真ん中は緑豊かな公園となっており、公園のランドマーク・テレビ塔の姿も春空に向かって凛としています。桜通から北の部分は「ロサンゼルス広場」と呼ばれるエリアです。ロサンゼルスとは、名古屋は姉妹都市提携を結んでおり、その縁からつくられているようです。ここから北には、同じく姉妹都市であるメキシコシティをモチーフにした広場、やはり姉妹都市の南京をフィーチャーした広場と続き、都市高速に面した北側の空間には、もう1つの姉妹都市・シドニーから寄贈された、オーストラリアへ第一次船団として送られた旗艦・英国船シリウス号の錨の複製が設置されています。穏やかな緑溢れる公園は、国際色豊かな別の一面を持っているようです。 尾張名古屋は城で持つ −名古屋城周辺− 都市高速の下、レモン色のミモザの花が春空に映えていました。高速をくぐり北へ進むと、丸の内地区と三の丸地区とを分ける空堀を越え、名古屋における官庁街へと入っていきます。現在では地下に入りルートも変わってしまいましたが、かつてこの空堀の中を名鉄瀬戸線が走っており、「お堀電車」と呼ばれていたのだそうです。久屋橋を渡りますと、東海財務局や国税庁舎といった国家機関が並び、地方ブロックの拠点としての名古屋を感じさせます。財務関連機関の北には、名古屋市役所と愛知県庁の庁舎が南北に隣り合って並んでいます。名古屋市役所の建物や愛知県庁の建物は、いずれも城の天守閣のような構造物を上に載せていまして、異彩を放っています。2つのオリジナリティ溢れる建物を見ていますと、やはり西洋風の様式を基調とした中に和風なテイストを入れた神奈川県庁の「キングの塔」を思い出しました。しかし、やはり名古屋のそれは横浜のそれとは雰囲気が違っているように思います。「尾張名古屋は城で持つ」という言い方がよくされますね。名古屋が誇る一大ランドマークである名古屋城を強烈に意識しながら、その造形を取り入れた様式を採用しているのかもしれないな、とも感じました。これも「名古屋スタンダード」なのかな、とも思えてしまいます。これ以上ないインパクトを持った“二大庁舎”と大津通を挟んだ西側の市役所西庁舎前の緑の植え込みは、訪問時開幕を目前に控えていた「愛・地球博」のマスコット、“モリゾーとキッコロ”に変身していました。さらに、地下鉄市役所駅の出入口も、名古屋城の天守を模したものでした。
名古屋城内では、「新世紀・名古屋城博」が開催中でした。目玉は1984年以来約20年ぶりに地上に降りた「金の鯱鉾」に触れるということ。そして、“金シャチ”が載っていない名古屋城を見ることができるというのも珍しいといえるのかもしれません。名古屋城の南には、礎石のみが数多く連続する敷地があります。これは、玄関、表書院、対面所などが連続した武家屋敷として、安土桃山から江戸初期の近世城郭御殿としての最高傑作と謳われた「本丸御殿」が壮麗な姿を見せていた名残です。名古屋城と共に国宝に指定され、名古屋の文化財産として大切に保存された建物でした。惜しくも1945(昭和20)年5月に戦災により名古屋城や屋根の上に輝いていた金シャチとともに焼失し、復元されないまま現在に至っているものです。名古屋城天守から眺める名古屋の市街地は広々とした雰囲気で、伊勢湾方向のなだらかさ、鈴鹿山脈から養老山地、伊吹山地、白山方面の山々、北・中央アルプス方面の山々などのたおやかな山並みもあいまって、実におだやかな都市の景観が展開していました。それらの中にあって、堂々と聳え立つJRセントラルタワーズの2つの超高層ビルは、一定の保守性・独自性は維持しつつも、大胆に進取の精神を持って変革を遂げていくという名古屋の気質を象徴しているように思えました。21世紀、さらなる飛躍に向けて、名古屋の街が高らかに宣言しているように見えました。
大津通を経由して再び久屋大通公園に戻り、テレビ塔から名古屋の街を眺めました。市街地を貫く大通の緑は春本番を間近に、のびやかな色彩を大都会の町並みに与えているように感じられました。塔のたもとに目をやりますと、NHK名古屋放送会館と愛知芸術文化センター前の敷地に「オアシス21」という巨大な親水公園がつくられています。ここはバスターミナルの機能も備えているとのことです。春分間近のこの日、セントラルタワーズに、輝かしい夕日が重なりました。今回の名古屋の街歩きは、この街の本当に、本当にごく一部分に触れるだけのものでしたが、名古屋の持つちょっとした独自性を随所に感じさせる内容でもあったと思います。およそ70年前、博覧会開催を契機に一気にまちづくりを進めて成長した名古屋の町は、二十一世紀最初の国際博覧会を擁して、さらなるステップアップをみせようとしています。そんなホットな名古屋の町を今後とも注目していきたいと思います。 参考にさせていただいたページ 「名古屋を歩こう」 http://toppy.net/nagoya/index.html ※名古屋のさまざまな姿を知ることができます。お奨めです。 |