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#12 伊良湖岬、風光と潮騒 〜伊勢湾口、鳥羽に向かうパノラマ〜 2018年10月8日、とびきりの快晴に恵まれたこの日、初めて愛知県・渥美半島を訪ねました。浜松の宿泊先を出発、海岸線に砂浜が発達する半島沿いの国道を西へ。途中前項にてご紹介した田原市街地散策を挟み、三河湾岸を進む国道259号を進みました。渥美半島は中心部に丘陵性の山並みがある他は台地状の地形を呈していまして、低平な台地の上では畑や水田が広がっていました。そうしたのびやかな風景の中を進んだ先に、渥美半島先端の伊良湖(いらご)岬はありました。
渥美半島は紀伊半島に向かって直線的に伸びる形となっています。これは、西南日本を東西に大きく縦断する断層帯である「中央構造線」の影響によるものです。この断層の活動により隆起した結果、渥美半島から志摩半島にかけての山並みができあがりました。伊良湖水道によって隔てられている両半島間には、答志島などの複数の島嶼があり、そのことを裏付けています。岬には古山(こやま)と呼ばれる小丘があり、その丘に守られるように、北側に伊良湖港が設けられています。ここからは鳥羽港へ向かう伊勢湾フェリーのほか、三河湾に浮かぶ篠島、日間賀島を経て知多半島の河和港へ向かう便と、伊良湖水道の神島へ向かう便が発着しています。港の旅客ターミナルは「道の駅伊良湖クリスタルポルト」も兼ねていまして、その駐車場に自家用車を止めて、伊良湖岬方面へ向けて国道42号をまたぐ歩道橋へと進みました。国道42号はフェリターミナルに接続しているのは、伊勢湾フェリーが国道42号(と国道259号)の海上区間となっているためです。 港に隣接するマリーナが陽光に照らされて輝く風景を階上より概観しながら、暖地性の植生に覆われる古山の山麓を周回するようにしてつけられた散策路を歩きます。目に入る三河湾、あるいは伊勢湾の海面はきらめくような秋空の色を受け取って、この上ない透明感に満ちたマリンブルーに染め上げられていました。その先には知多半島が驚くほどの近さで横たわり、視線を西へとずらしますと、午後の白めく空に滲むように、紀伊半島の山稜がたなびいている風景も、とても清涼な印象です。ウバメガシのような、照葉樹の藪に包まれた散策路をしばし辿りながら、黒潮の温かさを運ぶ海風に吹かれました。
やがて、伊良湖水道との距離が近くなって視界が開け、目の前に伊良湖岬灯台が現れました。鏡面のようにまたたく伊良湖水道の輝きを前に、瀟洒な塔身を見せる白亜の灯台は、慎ましやかに海に向かい、佇んでいるように見えました。伊勢湾港に所在するこの灯台は、1929(昭和4)年に設置されて以来、湾奥に名古屋港など重要港湾を多数擁し多くの船舶が航行するこの水域の安全を見守ってきました。灯台の近くには、海上安全情報の提供と航行統制を所管する伊勢湾海上交通センターが設置されていまして、この水域の重要性が見て取れます。その海上交通センター付近から、灯台の近くを通過する散策路まで下りることができます。高さ14.8メートルの灯台は、海岸ぎりぎりの場所に建てられていまして、灯台を手前にして神島から答志島、そして志摩半島の山並みを望む風景はとても爽快で、海と島とが連なり、海上交通が長きに渡り主要な交通路として機能してきた我が国の歴史にも思いを馳せました。 海岸の遊歩道はコンクリートで舗装され、波消しブロックに押し寄せる波が快い潮騒を響かせて、底抜けに明るい初秋の空に豊かな音楽となって昇華していました。南側の海岸は緩やかな砂浜となっていまして、恋路ヶ浜という名前で呼ばれる場所です。歌曲「椰子の実」が生まれるきっかけとなったエピソードも舞台としても知られるその浜辺は、茫洋たる太平洋から絶えず打ち寄せる波を穏やかに受け止めていました。岬に近い場所は岩が露出している場所もあり、遙か昔の造山運動と、その後の時代における絶え間ない土砂の堆積運動との結果であることも理解しました。
恋路ヶ浜での時間を終え、沿岸の散策路を、伊良湖港まで戻りました。灯台の下を通り、道の駅の駐車場まで散策路は続いていまして、左手に伊良湖水道の風景を見ながら、右手に古山の穏やかな植生を目にしながら、ゆったりと歩いて行くことができました。紀伊半島から水道に浮かぶ島々、知多半島から三河湾へとつながる沿岸風景が一望の下に広がる景色は、黒潮が洗う南の風情そのままの温かさに満ちていました。また、行き交う船舶も多く観察できることも、この岬の突端における眺望をより魅力的なものにしていると感じられました。 |
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