Japan Regional Explorerトップ > 地域文・東北地方 > シリーズ・クローズアップ仙台・目次
シリーズ・クローズアップ仙台
| ←#123ページへ | #125ページへ→ | ||||||||||||
#124 初夏の仙台、勾当台公園から上杉へ ~再開発地区と、変わらない町並み~ 2021年6月7日、コロナ禍への配慮から主に郊外の山間部を巡ってきたこの日の仙台フィールドワークですが、午後の数時間は中心市街地の気になるエリアを短時間で回ってみることにしました。地下鉄東西線の八木山動物公園駅のパークアンドライド駐車場に車を止めて、地下鉄で青葉通一番町駅へ。人通りの戻り始めた一番町を歩きながら、勾当台公園方面へ。定禅寺通はまさに杜の都の粋たる鮮やかさに包まれていまして、夏本番前のしなやかさを町並みに与えていました。
定禅寺通のケヤキ並木を確かめた後は、仙台市役所や青葉区役所、宮城県庁のある一帯の中心に位置する勾当台公園へ。広瀬川のつくる河岸段丘が、数段にわたり段差のある仙台市街地にあって、勾当台公園内には、それらのうち上町段丘と中町段丘の間の段丘崖であることは、本稿でも度々ご紹介してきたと思います。その勾配に突き当たる場所という意味である、勾当台公園も、銀杏の木々が新緑が鮮烈に青空に並んでいて、まださわやかさもふんだんにしみこんだ薫風に揺れていました。 北仙台方面へ進むかつての国道4号である勾当台通の歩道を進みます。このことも度々このホームページで言及していますが、仙台における「○○通」という言い方は、「○○」に通じる通り並びにその通りに面する町、ということを意味します。その勾当台へ通じる通りは、多くのオフィスビルやタワーマンションが屹立する現代的な町並みが卓越する道筋となりました。味の素の広告がローカル的なサインとなっている北四番丁から東へ折れて、堤通の交差点を北に入り進んでいきます。市役所の北側の東西の通りが藩政期では「北一番丁」と呼ばれて、そこから北へ順に「北二番丁」、「北三番丁」と町が拡大する度に割り出された通りを、北五番丁、北六番丁と進むと、旧東北大学の農学部の跡地の再開発エリアに辿り着きます。
北六番丁は勾当台通以東はバス通りでもある幹線道路となっています。先ほど説明したロジックに倣って、堤町へと続く通りである堤通より東、東五番丁(愛宕上杉通)の間にあった農学部は、2016(平成28)年に完成した、青葉山キャンパス内の新キャンパスに移転しました。かつての農学部の敷地は、南に接する北六番丁に面して鬱蒼とした杉並木があって、地域のちょっとしたランドマークになっていたと思います。訪れたこの日現在では、その木々も悉く伐採されて仮囲いで覆われる風景へと変貌していました。その囲いに包まれる中、地域の鎮守である雨宮神社の社殿が縮こまれるように佇んでいたのが印象的でした。雨宮キャンパスと呼ばれたこの区画の跡地には、西側に仙台厚生病院、東側には商業施設(イオンモール)が建設されることとなり、北側で先行して進む高層マンションと相まって、一体的な再開発が進んでいました。愛宕上杉通りに面した南側でもマンション開発が行われていました。 北六番丁をさらに東へ進み、上杉の住宅地域を貫く通りを少し歩いた後、宮城教育大学付属小・中学校の門前から南へ続く細い通り(中杉山通)を南へと入りました。北四番丁に出てからは、東へ折れて最初の信号を南へ曲がった通りが、光禅寺通です。北二番丁との角に青葉山から遷座された延命地蔵尊堂があり、その別当寺である光禅寺に通じる通りであることからの命名であるといわれます。現代の仙台市街地は広幅員の道路が縦横に整えられていますが、碁盤目状の町割りの多くは藩政期のそれを受け継いでいます。光禅寺通りは南行きの一方通行路で、その道幅が、城下町時代のサイズ感を体現したものであるのかもしれません。低層の住宅地の中に個人商店が点在する、昔ながらの市街地景観が続いていきます。駅前通へと接続する手前、錦町一丁目のマンションの敷地の一角に、白虎隊の唯一の生き残りで、明治時代を逓信省の工部省で勤務、仙台逓信管理局工務部長を任官後も仙台に住み続けた飯沼貞吉の終焉の地の石碑がひっそりと営まれていました。
仙台駅前の風景を一瞥した後は、地下鉄で八木山動物公園駅へと戻り、自家用車で青葉山へと向かいました。夕刻の風景から夜景へと移り変わる仙台市街地の雄大な景色を確認して、この日の活動を終えました。仙台における郊外エリアの自然と歴史、そして中心市街地における変わる風景、変わらない風景との対比を実感した彷徨となったように思います。 | |||||||||||||
Copyright(C) YSK(Y.Takada) 2026 Ryomo Region,JAPAN