Japan Regional Explorerトップ > 地域文・東北地方 > シリーズ・クローズアップ仙台・目次

シリーズ・クローズアップ仙台

#46ページへ #48ページへ

#47 青葉通を歩く 〜緑濃き仙台のシンボルロード〜
 

 JR仙台駅は広大なペデストリアンデッキを持つことで知られています。周辺には「アエル」をはじめとした高層ビルや百貨店、ホテルなどが屹立していまして、東北最大の中心都市らしい美しい都市景観が広がっています。駅利用者は広々としたデッキの上をゆったりと、駅周辺をひっきりなしに通過する自動車を気にすることなく歩いていくことができます。近年大きく様変わりした東口方面へも駅舎内部を通過する連絡通路によってスムーズに進むことができ、日中から夜遅くまで人々の流れが途絶えません。ペデストリアンデッキの上の空も都心にありながら広々と見えまして、都市空間に極上ののびやかさを与えています。駅前からはかつて市電の通じた大通りである南町通や南北の動線である駅前通などが南北に、東西に伸びていきます。中でも駅前からまっすぐに仙台城址方面へ向かう青葉通は、仙台市街地を代表するシンボルロードとして、定禅寺通とともに位置づけられるメイン・ストリートです。

 ペデストリアンデッキを降りて、仙台ホテルとさくら野百貨店との間を進む青葉通へと繰り出していきます。程なくして到達する南北の大通りは「愛宕上杉通」。市街地北部上杉地区から愛宕大橋まで続く道路であることからの愛称のようです。中心部付近はかつての通り名でいいますと東五番丁に相当することから、現在でも「東五番丁」といったほうが通りが良いと感じる方も多いかもしれません。中央通のアーケードにも至近のこのエリアは圧倒的に商業集積の大きいエリアで、やはり人通りの絶えないエリアとなっています。

仙台駅西口

JR仙台駅西口・ペデストリアンデッキ
(青葉区中央一丁目、2006.12.30撮影)
青葉通

青葉通、仙台駅西口付近
(青葉区中央一丁目、2006.12.30撮影)
愛宕上杉通

愛宕上杉通(東五番丁)、青葉通との交差点から北方向
(青葉区中央一/二丁目、2006.12.30撮影)
あおば通駅

JRあおば通駅入口
(青葉区中央三丁目、2006.12.30撮影)

 東五番丁(愛宕上杉通)から東二番丁通までの区間は伝統的に金融保険業関連の店舗や事業所が多いエリアで、支店経済が都市基盤の大きな比重を占める仙台における一大業務街という印象でした。近年はそれらに加えて商業機能も加わるようになっており、常に移り変わり新陳代謝を続けていく都市の姿を感じさせる地域ともなっています。2000(平成12)年3月に仙石線地下化に伴い延伸開業した「あおば通駅」の入口もこのエリアにあります。この「あおば通駅」から東五番丁地下を通過する仙台市営地下鉄仙台駅、JR仙台駅をへて東口方面へ至る地下の自由道路も整備され、異なった路線間及び仙台駅の東西間のアクセス性が格段に向上しました。ダイエーや七十七銀行本店が接する交差点まで来ますと、街路樹のケヤキも徐々に樹勢が増してきます。
 
 仙台市街地で最大の道幅を持つ片側四車線の大通り「東二番丁通」まで至りますと、通りに面して大きなビルが立ち並んでいまして、ゆったりと取られた歩行者空間もあいまって、機能的ながらもゆとりをもった現代的な都市空間が展開します。交差点の
北西隅には地上24階の超高層ビル「仙台ファーストタワー;仙台共同ビル(仮称)」の建設が進められていました。七十七銀行南の南町通に面したエリアにも別の高層ビルの建築計画が進んでいるようで、花京院周辺の業実ビル群の建設ラッシュから超高層マンションの相次ぐ建設へと続いた仙台市街地における高層ビルの建設熱が現在でも治まっていないことを実感しました。東二番丁との交差点は交通量の多さのため横断歩道は設置されておらず、歩行者は交差点地下の通路を利用することになります。交差点下にはちょっとした広場や駐輪場などのスペースが整備されています。

ダイエー前

七十七銀行前(中央が建設中の「仙台共同ビル」)
(青葉区中央三丁目、2006.12.30撮影)
東二番丁

東二番丁通、青葉通との交差点から南方向
(青葉区一番町二丁目、2006.12.30撮影)
藤崎前

青葉通、藤崎付近
(青葉区一番町二丁目、2006.12.30撮影)
青葉通一番町

青葉通一番町、アーケード街「サンモール一番町」
(青葉区一番町二丁目、2006.12.30撮影)

 東二番丁を西へ渡りますと、ケヤキがますます大きくなって、青葉通建設当時から植えられてきた樹齢の比較的古いケヤキのあるエリアへと移行します。引き続き金融関連の支店やオフィスなどの入るビルが多い一方、仙台最大の繁華街である一番町の近傍ともなって、商店街としての色彩も帯びてくるようになります。仙台における老舗デパートである藤崎も一角に店舗を構えます。青葉通一番町(本来はバス停名)は、「サンモール一番町」のアーケード街が交差する一帯を通称する呼び名です。中央通と直結する「ぶらんど〜む一番町」方面などから流入する買い物客の多いエリアで、南へ向かうと東北大学の片平キャンパスに向かうことから、かつては学生の多い巷でもあったのではないでしょうか。学部が市街地各地に分散した今では、往時ほどではないものの、南町通付近では古本屋も多くて、学都・仙台を強く反映する地域でもあるように思います。かつての奥州街道筋である国分町通を越えますと、北側に「晩翠草堂」と呼ばれる建物があります。仙台出身の詩人・土井晩翠が晩年を過ごした建物で、1945(昭和20)年7月の仙台大空襲で屋敷と3万冊の蔵書を焼かれてしまった晩翠を慰めようと、教え子や市民が1949(昭和24)年に建築して晩翠に贈ったのがこの晩翠草堂と呼ばれる家屋です。オフィスビルに囲まれながらも往時のままの姿を残す草堂は、戦前の仙台市街地の雰囲気を感じさせる数少ない事物のひとつであるのかもしれません。豊かな緑を天蓋にかぶせた穏やかな青葉通は、晩翠通を経てさらに西へ進んで、西公園通に突き当たって通りの西の端へと到達します。

青葉通一番町付近

青葉通一番町付近
(青葉区一番町二丁目、2006.12.30撮影)
晩翠草堂

晩翠草堂
(青葉区大町一丁目、2006.12.30撮影)

※フィールドワーク日が冬だったので、夏場の緑あふれる青葉通の様子も以下に追加いたします。
青葉通一番町

青葉通一番町
(青葉区一番町三丁目、2006.8.6撮影)
駅前

青葉通・駅前(このページ一番上、右の写真とほぼ同じ位置)
(青葉区中央一丁目、2006.8.6撮影)

 青葉通は、広瀬通と同様、もともとあった道路を拡幅したものではないまったく新しい幹線道路として、仙台市街地における戦災復興事業の一環で建設された道路でした。一番広いところで道幅が50メートルもある通りは当初は土埃が舞い、雨の日はぬかるみとなったため、「青葉砂漠」などと揶揄されたといいます。1951(昭和26)年から、台原の国有林からケヤキの苗木が街路樹として移植されたのを契機に徐々に穏やかなケヤキ並木が続く道路として整えられていき、多くの市民や仙台を訪れる人々に親しまれる現在の青葉通へと進化を遂げてきました。大橋から青葉山へと続く緑豊かな景観とも連接しながら、鮮やかな緑に満ちた通りであるように思います。並木の列が多く、彫刻や遊歩道の整備された定禅寺通が都市の中にある公園のような位置づけにあるのに対し、青葉通は業務・商業地域のなかにあって一服の清涼剤となる穏やかさを秘めた通りとしての性格が強いように感じます。
仙台駅を降り立った人々が青葉山へ誘われるルート上にあって、緑をリレーしながら貫通する青葉通は、中心業務地区に集積する建築物群にうるおいを与えながら、今日も人々にみずみずしい空気と木漏れ日とをもたらしてくれているように思います。


このページのトップへ

 #46ページへ           #48ページへ

目次のページに戻る


Copyright(C) YSK(Y.Takada) 2007 Ryomo Region,JAPAN