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シリーズ・クローズアップ仙台
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#49 向山から八木山へ 〜丘陵地に展開する一大住宅地域〜 霊屋下から広瀬川右岸に沿って進む市道はこれから進もうとしている八木山方面から中心市街地へ進むメインルートのひとつとしてバス通りとなるとともに、自動車の交通量も比較的多い道筋です。古来より関東方面から仙台へ向かう街道筋となってきた場所で、仙台城下町建設後、長町を通る新たな奥州道中が整備されるまでは重要な交通路として往来の多かったルートであったようです。自転車で上るのも困難なくらいの勾配となるこの坂道は、鹿落坂(ししおちざか)と呼ばれています。「しし」は鹿に限らず猪などの獣を指す言葉で、八木山が今日のように開発がまったく及ばない山林であった時代そうした獣が多く住んでいて、この坂の付近を通り広瀬川に食べ物を求めて降りてくることから、「ししがおりる坂」が「ししがおちる坂」となり、「鹿落坂」と呼び習わされるようになったとのことです。坂の途中からは広瀬川の河谷の向こうに仙台市街地が広がる美しい風景を見ることができます。 坂上まで来ますと、愛宕大橋方面へは比較的ゆるやかな下り坂です。向山(むかいやま)は、読んで字のごとく、仙台市街地から見て広瀬川を挟んだ対岸の山並みという連想から生じたこの付近一帯の通称で、それが住所地名として住居表示にも採用されたものです。この向山地区における緩勾配の地形は、かつての竜ノ口川の流路を反映したものといわれています。竜ノ口川とは、仙台城址の南、青葉区と太白区の境界に深い峡谷をつくっている川のことです。向山の西で広瀬川に注ぐこの川は、もともとはこの場所で広瀬川に合流していませんで、向山地区のこのゆるやかな地形を流れてさらに下流、現在の愛宕橋付近で広瀬川につながっていました。しかし、広瀬川の曲流によって流れの途中を削り取られて現在の位置で広瀬川に流れ込むようになった結果(この現象を「河川争奪」と呼びます)、竜ノ口川は広瀬川の河床のレベルに合わせるように急激に下刻を行うようになり、現在のような深い峡谷を形成するに至ったというわけです。向山地区を東南東方向に続く谷間のようなゆるやかな坂はかつての竜ノ口川の流域が残されたものであるわけです。
向山地区は西に控える八木山丘陵に接して比較的急勾配の地形を含むエリアである一方、市街地に近接することから住宅の多い地域です。バス通り沿いには小規模ながら商店も集積しています。付近には虚空蔵尊をはじめ、鹿落観音堂や長徳寺、愛宕神社などの社寺が立地しています。近年は広瀬川を介した市街地への絶好の眺望を売りにしたマンション等の立地も少なくないようです。八木山入口・長徳寺前バス停から南へ折れる道路は、まさに八木山地区への入口となります。これより東北工業大学や東北放送などがあるあたりで落ち着くまでは「急峻」と表現しても過言ではないような上りの連続となります。市営バスでこの区間を乗車すると、カーブが続くので気をつけるようにというアナウンスが流れるほどです。八木山入口から向山高校前を経て八木山緑町バス停付近までは特に勾配の大きい坂道です。徒歩でも時々休まないとたいへんな坂道を、バスや自動車が排気ガスを吐きながら上り下りしていきます。 低平で広大な穀倉地帯を擁する仙台において、高度経済成長期以降の住宅地開発は主として丘陵地域を舞台として進められてきたことはこれまで何度かご紹介してきました。八木山地区は仙台における最も大規模な住宅開発が行われた場所のひとつであるとともに、急坂が多いという意味でも仙台の宅地開発の態様を象徴する地域であるともいえます。人が居住する地区をつくるという意味では坂が多いことは基本的に避けられる地形条件といえると思います。そうしたネガティブファクターを押してまでも、八木山は住宅地域化への道を突き進んだわけです。霊屋下から向山、八木山香澄町付近までの地区において住居表示が実施されたのは1966(昭和41)年のことでした。八木山地区はこの八木山入口から八木山動物公園までのこのエリアにおける宅地化をその主要な端緒として(局地的な開発例はその他の地域でもありました)、その後大きくこの丘陵一帯へと波及していくこととなったようです。八木山神社周辺の尾根筋は、八木山開発初期の住宅地域への需要に応えるためか、銀行支店をはじめ比較的多くの商店や飲食店の集積する商業地域を形成しています。道路端からは八木山一帯に展開する住宅地の様子を一望できます。
八木山緑町や八木山香澄町付近にかけては、道路沿いに松並木が続きます。「八木山松波町」と住居表示にも採用されているように、開発前からあった松林を生かしながら、松を植林して整えられました。1994年度には仙台都市景観大賞も受賞しています。東北放送(TBC)の社屋や東北工業大学のある一帯は松並木がとくにまとまっていまして、竜ノ口渓谷から青葉山方面への景観とともに、緑に溢れた環境となっています。この付近から南東の大年寺山にかけての一帯は、仙台市内一円に電波を飛ばす適地であることからテレビ塔がまとまっていまして、夜間にはライトアップされて仙台の夜のスカイラインを飾っています。4塔建てられていまして、大年寺山に3塔(ミヤギテレビ、NHK・東北放送・東日本放送も共用(地上デジタル放送対応のために2001年に完成した新しい塔であるとのこと)、仙台放送)、そして東北放送社屋に東北放送のテレビ塔が、それぞれ建てられています。仙台放送テレビ塔の場所にあった同放送社屋は、2004年11月に上杉へ移転しました。ミヤギテレビのテレビ塔はライトアップの色によって天気予報を行っていまして、晴れはオレンジ、曇りは白、雨は緑となります。 八木山の名前の由来は、昭和初期にかつて「越路山」などと呼ばれていたこの丘陵一帯を購入した豪商・八木家の名によります。仙台市中心部・旧大町四丁目にて「紅久」の商号で紅小間物商を営んでいた八木家は、四代久兵衛氏のときに多角経営に成功し、氏は仙台財界の重鎮として君臨し、貴族院議員をつとめるなど公共事業にも尽力したのだそうです。動物公園の場所にかつてあった野球場(現存しません)は、戦前日米野球が行われたことがあり、かのベーブ・ルースがホームランを打ったというエピソードも残されています。氏が荒廃した山林を市民の憩いの場へ再生しようとの思いから購入、野球場などの整備を図った八木山はその開発の企図とは裏腹に、戦後の都市化の波で大規模な住宅地へと変貌、「八木山」といえば付近一帯の住宅地の代名詞となっています。竜ノ口渓谷に沿った地域にわずかに残る「長町」の住所は、かつて八木山一帯が「大字長町」でくくられていた後に住居表示で大半の地域で住所が変わってしまい、開発の行われなかった最奥の部分のみに旧地名が残されたことを示しています。
八木山動物公園前まで来ますと、青葉山方面へ向かう道路が連接し、八木山におけるメイン通りのひとつである日赤病院前の大通りへとつながります。都市計画道路「川内旗立線」の一部を構成する通りで、建設が計画されている地下鉄東西線の西のターミナル「動物公園駅(仮称)」の設置も予定されています。現在においても市営バス等の結節点として機能しています。周辺には八木山ベニーランドもあり、家族連れで賑わうエリアでもあります。市民の福利厚生を目指した八木氏の理想は、この付近における遊興地として息づいているといえるのかもしれません。 |
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