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2017年5月、瀬戸内海に浮かぶ小豆島を訪れました。おおらかな自然や歴史を感じる町並みなどをめぐりながら、穏やかな瀬戸内の海と、輝きに満ちた島の緑に存分に癒やされました。 |
オリーブ公園・オリーブの木 (小豆島町西村、2017.5.3撮影) |
二十四の瞳映画村 (小豆島町田浦、2017.5.3撮影) |
訪問者カウンタ ページ設置:2019年5月7日 |
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土庄の町並みを歩く 2017年5月3日、前日夜に東京駅八重洲口を出発した高速バスで、午前7時香川県・高松駅前へと到着しました。海水を堀に引き入れいていることでも知られる高松城跡(玉藻公園)に近接する同駅は、四国の玄関口として本州側の宇野港から就航する船便に接続するため、海岸に向かい合うように設計された、始発駅としての形状を持っています。海に面して再開発が行われ(サンポート高松)、開放的なエリアとなった港からは、小豆島や直島諸島へのフェリーや高速艇が出発しています。午前7時40分発、小豆島土庄港行きの高速艇で、小豆島へと向かいました。この日は朝から雲一つ無い晴天で、高松市街地の東に偉容を示す屋島や、瀬戸内海の周辺の島々を美しく眺望することができました。高速艇は波静かな海をしぶきを迸らせながら進んで、約35分の所要で小豆島の中心市街地を構成する土庄へと到着しました。
小豆島は瀬戸内海の東部に位置する、面積約153平方キロメートル、人口2万8千人ほどの島です。近年淡路島をはじめ、瀬戸内の多くの島々が本土との架橋によって結ばれる中、小豆島は現在でも船便によってのみ到達ができる島です。そのため、同じ県内の高松港のほか、岡山や姫路など、他県の港からも定期航路があって、多くの就航数を誇ります。女木島、男木島を左手に、豊島の大きな島影を見ながら到達した土庄港は、厳密には小豆島ではなく、世界一狭い海峡として知られる土渕海峡を隔てて小豆島に接する前島に所在しています。土庄港からは、高松港のほか、同じ土庄町内である豊島を経由し宇野港へと至るフェリーや高速艇が発着することから、連休中のこの日は島を訪れる多くの人で賑わっていました。この日は定期観光バスを利用して島を巡る予定にしており、その出発時間までの時間を利用し、小豆島最大の町場を形成する土庄の町を歩いてみることにしました。 島を舞台とした小説「二十四の瞳」を題材とした「平和の群像」に因み名付けられた「平和の群像通り」(国道436号)を進み、左手に土渕海峡を見ながら、新緑の緑が美しい山並みと穏やかな町並みが続く市街地へ歩きます。西本町交差点で国道から分かれて市街地へと辿りますと、「土庄迷路のまち」と称されたアーチや案内板が目に留まりました。西本町交差点から中央公民から役場へと進む通りと、「中央通り」と呼ばれる商店街とが分かれる道筋は比較的直線的であるのに対して、その主要街路からひとたび路地に入りますと、道路はとても複雑な構成となっていまして、まさに迷路のようであることから、「迷路のまち」と呼ばれるようになっているようでした。その成因としては、この場所に町をつくる際、海賊から生活を守るため、また海風から建物や日常生活を守るため、意図的にこのような網の目のごとき町並みがつくられたと言われているとのことでした。前述の世界一狭い土渕海峡を経て、町並みの中を進み、地域の篤い信仰を集める西光寺へ。朱塗りの山門と三重塔が目を引く高台にある境内からは、土庄の町の慎ましやかな家並みを、美しく眺望することができました。北西と南には瀬戸内海、そして北側には急峻な山並みと南西側の前島の高まりの間にあって、静かな入江状の低地にある土庄の町が、舟運の拠点としてまさに地の利を得た場所に発達したことが、手にとるように理解できました。
西光寺からは、境内にあって地域のシンボルとして親しまれる銀杏の木の名前を採った銀杏通りから中央通りへと進み、定期観光バスの出発点である土庄港へと戻りました。その過程で、迷路の町と称される、個性的な街路と木壁の美しい建物が多く残る穏やかな町並みや、大阪城築城のために多くの石材が切り出された小豆島にあって、運び出されず残された石などを観察することができました。そうした豊かな景観は、古くより海上交通の要路であった瀬戸内海にあって、有数の大きさを持つ小豆島は、そうした海運上の拠点としてだけでなく、醸造業をはじめとした島ならではの産業も興隆し、発展してきた地域の歴史を反映したものであるようにも感じられました。 寒霞渓から岬の分教場へ 土庄港を出発した定期観光バスは、野生の猿が餌付けされていることで知られる銚子渓での停車を経て、小豆島の脊梁たる尾根筋を貫く小豆島スカイラインへと進んでいきます。晩春から初夏へと進む季節、山々の緑はいっそうその鮮やかさを増して、まだ春の冷たさを宿した深いマリンブルーの海へと少しずつその熱量を分け与えているように感じられました。木々の中には鮮やかな照葉樹も混じっていまして、さらに緑にきらめきを添えていました。
バスはやがて小豆島随一の景勝地・寒霞渓(かんかけい)へと到達しました。小豆島最高峰かつ瀬戸内海でも最も標高が高い星ヶ城山(標高817メートル)の西側に広がる、多くの奇勝を含んだ、島にあるものとしては規模の大きい渓谷です。南面する内海湾(うちのみわん)に向かって展開する渓谷は、随所に火山性の岩が露出して、それらを覆うように豊かな緑が繁茂して、彼方の瀬戸内海へと続く雄大な眺望を実現しています。麓からはロープウェイも通じていまして、その山頂駅周辺には鷹取展望台や四望頂(しぼうちょう)展望台など複数の展望所があり、海と山とが織りなす美しい風景を感じることができます。 眼下にはふんだんに広がる、小豆島の森と大地が揺るぎない基盤を形成し、それに寄り添うように大きく広がる草壁の市街地、その市街地のすぐ外側には、田浦半島によって外海と隔てられた内海湾の静かな海が横たわって、そのしなやかな青の色彩そのままの空と、その下の瀬戸内海のたおやかな水面へとその穏やかさがつながっていく。輝きとしなやかさとが混然となった、瀬戸内という多島海が作り出す美観が達したこの上ない佳景が、目の前に存在していました。寒霞渓は新緑の季節は言うに及ばず、秋の紅葉の時季に、その麗しさの最高潮を迎えます。例年多くの人々が寒霞渓を訪問して、その錦に染まった景勝に酔いしれます。
ロープウェイで変化に富んだ景色を目に焼き付けながら寒霞渓を下り、再び定期観光バスに乗車しました。小豆島霊場第20番佛ヶ滝に立ち寄りながら、内海湾を望む一帯に醤油醸造元が多く集積し、近代以前の蔵造りの町並みが色濃く残る「醤(ひしお)の郷」にて小休止しました。定期観光バスのため、醤油や関連製品を販売する店舗に立ち寄るだけとなりましたが、小豆島を代表する産業のひとつである醤油醸造業の空気を感じることができました。小豆島における醤油製造は、文禄年間(1592〜1595)に始まります。江戸時代に入った寛政年間(1789〜1801)頃までには、瀬戸内海を航行する北前船による交易にのり、上方を中心とした島外への出荷が始められ、全国的な醤油産地へと成長していきました。小豆島の醸造業は、醸造に適した気候と、外部から材料を調達可能な舟運により存立していたといいます。現代においても醸造業によって形づくられた奥ゆかしい建造物群が佇む景観を一瞥し、瀬戸内海が往時はいかに活発な流通が行われていたかに思いを馳せました。 醤の郷を後にして、バスは田浦半島の先端部へと進みました。車両が行き違うことも難しい海岸沿いの隘路を進んでいきますと、小説「二十四の瞳」を映画化する際に設営されたオープンセットを利用したテーマパークである二十四の瞳映画村へと到着しました。二十四の瞳に登場する「岬の分教場」については、瀬戸内海べりの一寒村と描写されているだけであるものの、映画は作者の壷井栄の出身地である小豆島を舞台と比定し、旧苗羽小学校田浦分校近くにセットが設営され、撮影が行われました。映画村には戦中戦後の瀬戸内海の一村落が再現された町並みが保存されていまして、瀬戸内海のゆるやかな海岸風景もあいまって、その美しい風景と作中で表現される戦争の悲惨さとを現代に語りかけてくれているように感じられました。苗羽小学校田浦分校の建物も映画村の北に現存しています。
初夏の雰囲気を濃厚に宿す空は徐々にその明るさを増して、分教場の前の内海湾の海を鮮やかに照らし出します。海を取り巻く島の緑もさらに透明感を加えていって、盛夏へと進む季節の序章を高らかに描き出しているように実感されます。穏やかな海とたおやかな島々によって構成される唯一無二の風景は、ここを訪れる度に新鮮な感慨でもって胸に迫ります。岬の分教場からは再びバスで海岸沿いを進み、最後の訪問箇所である小豆島オリーブ公園へと向かいました。 オリーブ公園から土庄へ 小豆島は、国内でも有数のオリーブ栽培地域としても知られています。外国産のオリーブ製品に押された時期もありましたが、近年の健康指向によって国内産の製品が見直され、小豆島のオリーブも再び脚光を浴びています。瀬戸内海に向かって緩やかに傾斜する斜面いっぱいに約2,000本のオリーブの木が植栽されて、園内は地中海沿いのオリーブ畑を思わせるような修景がなされていました。小豆島にオリーブがもたらされたのは1908(明治41)年で、国内の多くの地域え栽培が頓挫する中、オリーブの主要な産地の一つである地中海沿岸地域と気候が似ている小豆島では特産化に成功し、その後の農家の尽力もあって一大産地へと成長してきた経緯があります。地域を特徴づける花木としても定着、現在オリーブの花は香川県花に、そしてオリーブの木は同県の木の指定を受けています。
オリーブの葉が醸し出す柔らかな風合いと、一枚一枚の葉が爽やかに日射しを照り返す様は、5月の小豆島の和やかな薫風にとてもよく調和していまして、限られた島の資源と地勢を最大限に生かそうとした、島の人々のたゆまない進取の精神をオリーブが広がる景観の中に見たような気がいたしました。オリーブの枝先には今まさに花を開こうとする小さな花房がたくさんついていまして、そのひとつひとつが豊かな輝きを秘めているようでした。オリーブ公園でのひとときが終わった後、バスは沿岸の国道を進む予定でしたが、渋滞中とのことで帰路は渋滞箇所を大きく迂回するように、島の中央部を進む県道252号から県道26号へと進むルートを採ったようでした。車窓からは小豆島唯一のもので、日本棚田百選のひとつでもある中山千枚田を確認することができました。 定期観光バスは土庄港へ戻りましたが、土庄地区南部のホテル宿泊者の利便のために途中下車も可能であったことから、干潮時のみ砂州が現れる景勝地・エンジェルロードに立ち寄った後、路線バスを利用して土庄港へと戻りました。この日は島内での宿泊が確保できず、岡山市内のホテルに投宿予定であったため、同港から新岡山港へと向かうフェリーに乗って島を離れました。夕刻が迫ってやや雲の多い天候となっていましたが、海面は終始穏やかで、甲板から瀬戸内ののびやかな風景をしばし眺めていました。
晩春から初夏への階段を上る清爽な空気の下訪れた小豆島は、島で育まれた多様な産業によって形成された美しい町並みと、そうした生活の舞台を穏やかに包み込むような、この上のない輝きを放つ山と海とに抱かれた、最高の風景によって彩られていたように感じられました。島を象徴する植物であるオリーブの花言葉は、「平和」と「知恵」で、オリーブは幸せを呼ぶ木とも形容されます。この豊かな風物によって育まれた小豆島そのものが、まさにそうした幸福と安寧とを体現する有機体であるともいえるのかもしれないとも思われました。 |